第9話 にわか雨と迷子の後輩

 「あれ、もうこんな時間……?」


 案の定進展ゼロのまま時間だけが無駄に過ぎていく中、石原が唐突にそう口にした。

 その言葉を耳にした俺も無意識に時計に目をやってしまう。

 

 「何か予定でもあったのか?」


 だけども、まだ最終下校時間にはなっていなかった。となれば時間を気にする理由は個人的な用事についてだと思う。

 まあ今の俺には検討が付いているけど。

 

 「うん、今日は21時から……って天谷は知ってるよね」

 「勿論です。プロですから」

 「いや一体なんのプロなのよ……」


 石原はそう自分から疑問を投げつけたくせに、既にバックを手に持ち立ち上がった。


 「って事でまた。天谷も好きな時間に帰ってねー」

 「え?この先輩どうするん?放置でいいの?」


 先程から相も変わらずソファーで寝ている先輩を目で指してみる。


 「うーん、放置でいいよ。鍵持ってるしそのうち勝手に起きて勝手に帰るよ」

 「扱い雑じゃね?」

 「確かに雑なのは認めるけど、戸締りはしっかりしてくれるから大丈夫よ」

 「そうかい……」


 その謎の信頼は一体どこから出てくるんだろう?俺はこの先輩と出会ったのついさっきの事だから余計にそう感じる。


 「じゃあ、また明日ねー」

 「あ、ああ。またな」


 そう言って石原は俺と熟睡中の先輩を取り残して颯爽と部室から去ってしまった。

 よーし、じゃあ俺も何かするか。そうとなったら今日のおさらいだ。

 当面の目標は新規入部者を集めることだよな。でも一人で勝手に動かれてもかえって迷惑になるかもしれないなあ。

 ……もしかして、する事無くね?

 

 (……帰るか)

 

 そして俺が出した結論がこれである。自身の無力さが恨めしい。でもしょうがない、事実なんだから。

 そんな気持ちで帰り支度を始めようと自分のカバンを探そうとし……

 って、あれ?


 (俺のカバン、無くね?)


 あ、そういえば教室に置きっぱなしだ。石原に急かされて教室から飛び出したんだっけ。

 しょうがない、取りに行くか。

 俺は先輩を取り残して部室を出て行った。

 




 「本当に置きっぱなしとかアホかよ……」

 

 誰も居なかった教室で自分に対して思わずそんな事を呟いていた。特に深い意味はないけども。

 一応中身を確認してみたけど、何か盗られた形跡はなさそうだった。

 よし、荷物も持ったし今度こそ帰ろう!

 そう意気込んで教室から出ると、ふと外が暗くなっている事に気が付いた。

 なんだ?今日は随分と日没が早いな……

 いや、違うなコレ。なんだか嫌な予感がしたので耳を澄ませてみると


 (うーわ、雨降り始めてるじゃん……)


 嫌な予感が的中した。なんでこういう悪い予感ってのは当たりやすいんだろうね?

 まあいい。こんな事があろうかと俺は折りたたみ傘を常備しているのだ。備えあればなんとやら。

 そしてなにやら廊下のど真ん中で立ち尽くしている人がいる。きっと傘を持っていないとでもいうのだろうか?ご愁傷様、名も知れぬ少女よ。

 じゃあ俺は帰ろう。

 

 「あ、あのーすみません……」


 とその人の隣を通り過ぎようとしたらほんわかとした声で呼び止められた。


 「……何でしょう?」


 さっきの心の中で彼女に投げた言葉を表に出さないようにしなければ。の気持ちで返事をした。


 「えーとですね、つかぬ事をお聞きするんですけど……」


 そう言っている彼女は何処か少しためらっているような雰囲気を醸し出していた。

 言うのにためらう様なつかぬ事とは一体……?

 そして彼女は一呼吸おいてから


 「ここって、どこですか?」

 

 そう俺に尋ねてきた。

 ……


 「……はい?」


 自分の中でもあまりの困惑だったのだろう、素っ頓狂な声が出た。

 ここが、どことは?学校じゃないの?

 え?どゆこと?全然言いたいことが分からない。

 せ、せめてなにか答えてあげなければ……


 「ど、何処って言われても……が、学校?」

 「すみませんそれは分かります」


 力強く否定された!?なんで!?

 ……いやどう考えてもそうなるだろ。


 「えーっとですね、わたし体験入部をしようとしてですね、それで美術部ってどこなのかーって思いつつ、いつかはたどり着くかなって歩いてたらいつの間にかこの場所に居たんです……」


 名も知れぬ子は何故か俺にこうなった経緯を説明してくれた。一番欲しい情報ではない気がするけども。

 いや待て、体験入部?


 「……もしかして君、新入生?」

 「はいっ、入学したてほやほやです」


 一日経っているからほやほやでは無くね?

 ……ってそうじゃない。

 えーとつまり、この子学校で迷子なの?そんな事ある?

 いやでも入学してまだ2日目だししょうがないのかあな?ようわからん。

 ようわからんけど、この場所については一応教えてあげよう。


 「ここは教室棟の3階、2年生の教室がある場所だよ。美術部の場所は分からないけどそういった場所はあっちの方角」


 そしてさっき自分が歩いて来た方角を指してみる。それにつられて迷子の後輩はその指の先を眺めた。


 「ほーなるほど分かりました。ありがとうございます」


 そう言って迷子の後輩は走り去ってしまった。廊下は入らない方がいいと思うよ。

 あ、そういや名前聞くの忘れたな……

 まあいっか!さーて今度こそ帰るぞ。

 それにしても学校で迷子とは珍しい。そんな人始めた見た。

 この学校、別に特段に広いわけではないし、各教室もちゃんと棟ごとに分かれているから比較的にわかりやすいとは思うんだけどね。

 実際、校内について全然知らない俺でもなんとかなってたわけだし。

 あの子、もしかして方向音痴だったりするのかな?

 あれ?じゃあ一人で行かせたのはまずかったような……

 

 (なんて言うのも今更か……)


 しかし、もう去ってしまった以上は名も知れぬ後輩が無事に目的地にたどり着くことを祈るしかない。

 次に会った時にでも、気が利かなくてすまんかった。って謝っとくべきか?会えるか分からないけど。

 いやでも初対面の後輩女子相手にしては流石にお人好し過ぎだよなあ……

 でもあの子が本当に方向音痴で天然っぽい子だったらまた会えるかもな。

 そう、今あそこで立ち尽くしているように子の様に……

 ……

 ………

 ……………

 うん?

 え?嘘?まさか……


 「あ、先輩。また会えましたね」

 「いや会えましたねじゃないでしょ!?」

 

 間違いない!さっきの子だ!?

 え!?なんで!?俺と反対方向へと走っていったはずなのに、なんで俺と同じ方角、しかも俺より早くにいるんだ!?

 おかしい、おかしいよこの子!?


 「え、えっと、後輩さん?」

 「はい、後輩です」


 うん、良い返事だ。

 いやそうじゃなくて。


 「び、美術部の体験入部はどうしたの?」

 「そう言えばそうでしたね」


 そう言えばって何!?そんな今思い出したかのような表情しないで!?

 しかも笑顔で言うような事じゃないでしょ!?この子見ててすごく不安になる。


 「それがですね先輩、あの廊下を歩いていたらなんやかんやあって気が付いたらこの場所に居ました」

 

 いました。じゃないんだが?あと、なんやかんやってなんやねん。

 もうどこから突っ込んだらいいんだろう……俺はツッコミ係じゃないんだよ?

 と、取りあえず落ち着こうそうしよう。俺は一旦辺りを見回してみる。

 ……良さそうな話題発見。

 

 「と、とりあえず今日はもう帰ったら?今から行っても俺はしょうがない気がするんだけど?」


 そして俺は廊下に吊るされている時計に目線を向けて今の時間を伝えると、後輩も目線が動く。

 この時間だと恐らく今から行っても体験入部なんて30分も出来ないはずだ。


 「確かに先輩の言う通りかもしれませんね。折角雨も降っている事だし新調した折りたたみ傘の出番って事ですよ」

 「……そうかい」


 よく分かんない後輩だなあ……

 この子を上手に言い表す言葉はなんて言うんだっけ?気分屋?


 「あの先輩……で合ってるんですかね?」

 「合ってるけども、改まってなんでしょう」

 「折角の機会なのでお名前聞いても良いですか……?」


 そんな適当な……

 でも、まあいいか。減るもんじゃないし。


 「天谷だ、天谷和也」

 「天谷先輩ですか」

 「うん」


 そうして後輩はしばらく俺の顔をぼんやりと見つめ始めた。

 ……その顔、何考えているのか分からないよ、先輩には。


 「ありがとうございます、天谷先輩」

 「いやいやどうって事ないよ」

 「いえいえ、私が感謝しているのは間違いではないですから。むしろ言わせてください」

 「そう……」

 「じゃあ、また会えたら。ですね」

 「会えたらな」


 そう言って後輩は小さく手を振って歩き去ってしまった。

 にしても今日は不思議な人物と出会いすぎな気がする。睡眠先輩と迷子後輩、か。

 うん、癖が強いな。

 あれ?そういや俺、なんか忘れているような……

 あ、そうだ。思い出した。


 「後輩の名前、聞くの忘れたな……」


 思い出したのは結構どうでもいい事だった。

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