第25話 神の子のお披露目
バティストを告発するための準備は、あっと言う間に整った。というのも、どうやらレナルドが以前からずっと証拠集めを進めていたおかげらしい。秘密裏に離宮に神官がやってきて、リュシエンヌの瞳の色を確認されたりもしたが、それはすぐに終わった。
そうしてから、リュシエンヌはレナルドたちと共に馬車に乗って出かけた。向かった先は神殿である。今日は神殿でバティストの断罪が行われるのだ。馬車に乗ったリュシエンヌは、髪を結いあげて、頭からレースでできたヴェールを被っている。これはときがくるまで、彼女の瞳の色を隠すためである。外からは彼女の表情がみえづらいが、リュシエンヌからは周囲を見るのはたやすい。馬車の向かいに座ったレナルドを見て、ふと、リュシエンヌはここのところの怒涛の展開で忘れていた疑問を思い出した。
(そういえば)
彼はまっすぐにリュシエンヌを見つめているが、その右目には未だに眼帯をしている。しかし彼の右目は群青色で、欠けたところなどないというのに。
「レナルド様は、眼帯を外されないんですか?」
その指摘に、レナルドが「ああ」と頷いた。
「リュシーにはタイミングを言ってなかったね。今日、君のそのヴェールと一緒にはずすよ」
「そうなんですか?」
「うん。ルベル家を告発するにあたって、君の瞳の色を公開したら、君が神の子であることはバレてしまうだろう? そうしたら、僕の目も明かさないと困ったことになるからね」
「困ったこと?」
「うん。そうならないようにするよ」
リュシエンヌが神の子であることと、なんの関係があるのかはわからなかったが、レナルドはそれ以上説明する気がないようで、そこで言葉を切った。
「気になっていたんですが……」
「うん?」
「いつから、その目は治っていたんですか?」
リュシエンヌの問いかけに対し、レナルドは一瞬口を開けて、また閉じ苦い笑みを浮かべる。
「……うん。そう。僕はもともと神の子だったらしいね。
「それは」
「ああ、着いたみたいだ」
続いて言葉をかけようとしたリュシエンヌの視線を、ふいっとかわして、レナルドは馬車の外に目を向ける。
「そうですね……」
妙にはぐらかされたような気がしたが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「レナルド様、今日のことが無事に終わったら、お話したいことがあります」
「うん。僕もだよ。じゃあ、リュシー。行こうか」
先に馬車を降りてレナルドが差し出した手を自然にとって、リュシエンヌは馬車を降りる。そして、神殿での断罪のときが始まる。
馬車から降りて移動した神殿の前の広場には、すでに人が集まっていた。きらきらと木漏れ日の落ちる広場の奥には、暁の男神像と宵の女神像が対になって立っており、その手前には透き通った水が湧き出る泉があった。
(ここ……みたことある?)
ふと考えて、その場所がリュシエンヌの身体に憑依してすぐのころに見た夢の場所と同じなのだと気づく。
(あれは……リュシエンヌの記憶だったんだわ)
そこは幼かったリュシエンヌが、かつて彼女の祝福を判定するためにきた場所だった。思い出そうとしても思い出せない記憶だが、夢の中で見た映像と記憶は違うものの一致している。夢と違うのは、その泉の前にいくつか椅子が置かれていて、男性と女性が一人ずつ座っていて、その周りを取り囲んだ護衛騎士が並んでいて、人が多いことだろう。護衛騎士だけでなく、記憶の中では神官は一人きりだったが、簡素な神官服をまとった者の他に、装飾の凝った位の高そうな神官も泉の前に待機している。その集まっている人の中には、当然バティストもいる。彼は護衛騎士の他に、マリエルなどのメイドも従えていた。人前だからだろうか、いつもリュシエンヌの記憶の中にあるような不機嫌な顔ではなく、バティストは人のよさそうな穏やかな顔をしていた。だが、内心ではなぜ神殿に招集されたのかがわからず、焦っているに違いない。
「来たか」
そう声をあげたのは、椅子に座っていた栗色の髪の男性だった。
「陛下、お待たせしました」
(陛下!?)
つまりは国王である。ぎょっとしてリュシエンヌはさっと礼をとる。身分が上のものに相対したときに、その姿勢をとることがまるで当たり前かのような動きだった。つまりはその隣に座っているのが王妃なのだろう。
「構わぬ。では始めよう」
鷹揚に頷いた国王は、泉の前に立っていた神官に目配せをする。その神官は、先日離宮にリュシエンヌの瞳の色を確認しに来た者だった。あのときは質素な服を着ていたからわからなかったが、どうやら高位の神官であったらしい。
夢の中で、リュシエンヌの祝福の確認をした司祭は地味な神官服を着ていたからきっと下位の力が低い神官だったに違いない。
「第五王子殿下、ルベル伯爵令嬢、こちらへどうぞ」
「ああ」
頷いたレナルドは、リュシエンヌをエスコートして神官の前へと進んだ。太陽と月のモチーフをあしらった杖を持った神官は、しゃらん、と地面に突き立ててそれを鳴らし、衆人の注目を集める。
「これより、祝福の鑑定を行います」
この言葉に反応したのは、バティストと王妃だけだった。本来ならば、祝福の鑑定など、幼子のころに洗礼とともに済ませるものである。そして、レナルドとリュシエンヌもそれは受け終わっているというのに。
「神官長が自らなさるの?」
この声をあげたのは王妃だ。きっと彼女は何をするのかも伝えられずにここに連れてこられたのだろう。だが、彼女の疑問の声に杖を持った神官――神官長は答えない。
周囲の反応に構わず、神官長の声に従って、レナルドが先に前へ出た。彼は目を閉じた状態で神官長に相対し、そのレナルドの眼帯をはずした神官長は、古代語で祝詞を唱え始める。その言葉がきられると、神官の指先からまばゆく青白い光が発しはじめる。
「暁と宵の神よ、この者の
とん、とレナルドの額に指を触れさせる。とたんに青白い光は彼の身体を包んで光り輝き、やがて額に収束するとぼんやりと紋様をかたどる。それは瞳のような形だった。
「レナルド・イディオ・ギルマン第五王子殿下の、祝福は……『神の与えた慧眼』です。全てを知ることができる祝福を授かっておいでです。暁の神の子よ、よくぞ、右の目をご回復なされました」
「なんですって!?」
恭しく頭を垂れた神官長の動作に、王妃が悲鳴のような声をあげた。レナルドはまだ目を閉じたままだ。
「お控えください、王妃殿下」
「第五王子が……暁の神の子ですって? そんなはずが……だって欠落王子でしょう! それに、祝福が神の与えた慧眼だなんて、そんなことがあるわけ……」
「王妃」
ぴり、と低い声が王妃を制止する。
「神に授けられた祝福を、誤ることなく、全て正しく鑑定できるのは神官長の他におるまい。下位の神官ならば見誤ることもあろうがの……レナルド」
「はい」
返事をしたレナルドは、そこでようやく両の目を開いた。途端に、それまで静かにしていた護衛騎士たちも含めて、どよめく。
「神の子だ……」
「欠落王子じゃなかったのか?」
「そんなばかな」
冷静に黙っているのは、国王の両脇を固める騎士だけである。
「リュシー。君も鑑定を」
レナルドに促され、リュシエンヌも一歩前に出る。
「リュシエンヌ・ルベル伯爵令嬢の鑑定をこれより行う」
すると、神官長が柔らかく微笑んで、先ほどと同じように古代語で祝詞を唱え始める。リュシエンヌは目を伏せて、神官長の言葉が切れるの待った。祝詞が終わる前に、神官長はリュシエンヌのヴェールをあげて、彼女の顔を露わにした。ざわめいていた者たちが、制止の声もないままに再び黙って見守りはじめる。
「暁と宵の神よ、この者の
まばゆく青白い光る指先が、リュシエンヌの額に当てられた。夢の中で見た幼いリュシエンヌは、その光が身体を覆うことなく消えていた。だが今は、直視が辛いほどに強い光が身体を包んで、リュシエンヌにまとわりつく。ひとしきりの発光のあとに収束した光が、リュシエンヌの額に収束して紋様をかたどる。
「……リュシエンヌ・ルベル伯爵令嬢」
「はい」
すぅっと開いた瞼から、紫の瞳が露わになる。今、額に鮮やかに浮かぶ燐光とともに、彼女の瞳はうっすらと光を放っていた。おそらくこれが、祝福の鑑定の副作用なのだろう。
「菫色の瞳……!?」
「伯爵令嬢は力を失ったのでは?」
またも周囲がざわめくが、神官長は構わずに続ける。
「あなたの祝福は……『神に与えられし廻る運命』……宵の女神の子よ、よくぞお戻りになられました」
(戻る?)
一瞬疑問に思って、リュシエンヌはすぐに納得する。
(瞳の色が昔は菫色だったってことよね?)
リュシエンヌの十歳よりも前の失われた記憶の中では、もしかしたら菫色の瞳だったのかもしれないと思う。
(でも……)
「リュシエンヌ! 我が娘よ! 神の子の力を取り戻したのだな!」
大きな声をあげたのはバティストだ。その声でリュシエンヌの思考は中断される。父親の表情もセリフも、まるでずっと前から可愛がっている娘の回復を心から喜んでいるかのようだ。
(白々しい)
顔をしかめそうになったのをかろうじてこらえ、リュシエンヌは口元にうっすらと笑みを浮かべる。
(昔の私だったら、嬉しく思えたのかしらね)
憑依する前から自身が『リュシエンヌ』であったかのような感想のおかしさに、彼女は気づいていない。
「そうです。神の子らはここに力を取り戻されました。『神の子を慈しめ。さすれば幸福がもたらされるだろう。神の子を虐げるな。過ちは不幸を呼ぶことだろう』……かの伝承に従い、神の子を虐げた者に罰を与えましょう」
神官長はただ静かに宣言した。
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