第24話 これからなすべきことは
お茶会でリュシエンヌの魔法が暴走してから、数日が過ぎた。だというのに、リュシエンヌは未だに離宮に滞在している。
なぜかと言えば、レナルドに引き留められているからである。結局あの日は疲れもあってか、ベッドで寝ているレナルドの隣で再び寝てしまった。そうして翌朝になって、レナルドは言ったのだ。
「リュシー、鏡は見た?」
「ええと……はい」
全日に『イリス』と呼んでいたのは、寝ぼけてでもいたのか、彼のリュシエンヌに対する呼称は再び『リュシー』に戻っている。
「その瞳の色の意味はわかるね? 君は、宵の神の子だ」
「はい……」
「今、君のその目のことをすぐに公表するのは得策ではないと思う」
なぜ、と問いかけかけたリュシエンヌに対して、レナルドは彼女の髪をすくう。
「君の父親にこのことが知られれば、きっとろくなことにならないのはわかるだろう?」
「……っ!」
思わず眉間に皺の寄った彼女に、レナルドは困ったように微笑む。
「父に、折檻を受けていたのを……知っていたんですね……」
「……ごめんね。本当は、もっと早く助けてあげられればよかったのに」
後悔の滲む声音で言うレナルドに、リュシエンヌは混乱する。
(どうして、この人がこんなに辛そうなんだろう)
レナルドは、リュシエンヌとはただの政略目的で婚約していたはずだ。彼女が憑依するまでの間、穏やかに接していたのは婚約者を逃がさないためだったのではないのか。
彼女がリュシエンヌになってから、元のリュシエンヌでなくなったことを疑われ、そうして「リュシー」だと彼に告げたときから、レナルドはリュシエンヌに対して酷く甘い。魔法が暴走したリュシエンヌを抱き締めたときだって、真実リュシエンヌを心配しているとしか思えなかった。
憑依して一番初めのデートのときにレナルドが見せた優しい顔は、ただただ胡散臭いだけだった。なのに、今心配そうにリュシエンヌの顔を見つめる彼のその瞳に、偽りや演技が見えない。これが腹黒な男の演技なのだとしたら、相当なものだろう。
「……我が家のことなんて、レナルド様には、どうしようもないことでしょう」
ぽつりと言葉が滑り出た内容に、リュシエンヌ自身が驚く。ルベル家を、自分の家だなどと思ったことはないはずなのに。
「ううん、これからはそうでもないよ。僕が、絶対にリュシーを守るから」
そう言って彼はリュシエンヌの髪に口づける。その仕草に見入った彼女と目が合うと、彼は目を細めて微笑んだ。
『イリス』
彼の口は動いていなかったのに、そんな声が聞こえたような気がして、どきりとした。だがそれにリュシエンヌが意識を向けるよりも前に、レナルドは話を続ける。
「僕が、ルベル家をどうにかする」
「どうにか?」
「神の子であるリュシーを虐げていたって告発するんだ。そうすれば、当主をすげ替えられるだろう?」
神の子は丁重に遇されねばならない。だからこそこの国では神の子を虐げる者には厳罰を与えることになっているのだ。そんな知識は、リュシエンヌの記憶にはなかったが、レナルドができるのだと言えば、そうなのだろうと彼女は思った。
「わかりました……。でも、その準備は私にもさせてください」
きゅ、と拳を握ったリュシエンヌがそう言えば、レナルドは驚いたように目をみはる。だがすぐに穏やかに微笑んだ。
「そうだね、そうしよう。準備が整うまで、 リュシーはこの離宮に暮らしてくれるかな?」
「はい」
リュシエンヌはそうして、離宮に滞在することになったのである。
ルベル家からはバティストがしつこく家に戻せと要求してきていたようだが、お茶会のとちゅうで倒れて、安静が必要であるとしてそれをつっぱねているらしい。お茶会で倒れたのは嘘ではない。
離宮での生活は、意外にもルベル家にいたとき以上にリラックスしたものであった。何しろ、レナルドがこの離宮からメイドを締め出しているので、朝、仕度のためにやってくる者もいない。ベルナールはリュシエンヌの護衛のために、離宮に一緒に寝泊りしているが、もうレナルドとふたりきりになるのを彼は邪魔しなかった。それは恐らく、もうリュシエンヌの秘密について、レナルドに隠すべきことなどないに等しいからだろう。とはいえ、護衛の立場のためか、彼はできうる限りリュシエンヌの近くで護衛をしようと心掛けているらしかった。もちろん、そもそも離宮の中にはほとんど人がいないから、襲ってくる者もいないのではあるが。
リュシエンヌ専属メイドであるマリエルについては、ルベル家にいてこの離宮には来ていない。
「彼女にはリュシーの服を運んでもらったりしようね?」
レナルドが言った通り、マリアンは数日リュシエンヌがここに滞在するために荷物をとってきたりしてくれているようだった。だから、リュシエンヌはこの離宮に入ってからというもの、ほとんどレナルドとベルナールとしか会っていない。
離宮の生活で他人と接する機会が減って助かることは、菫色の目のことを誰にも指摘されないほかにも、もう一つあった。
それは魔法の練習である。
「リュシー。君は、風の魔法の扱いに長けているはずだよ。でも、今はうまく使えないんだろう? なら、練習をするしかない」
そう言うレナルドの助言で、リュシエンヌは今までよりも一層魔法の練習に励んだ。人目を気にしなくてもいいから、ルベル家にいるときよりも、練習に割ける時間が多いのだ。しかも、魔法を使えないであろうレナルドが、その指導をしてくれる。
「つむじ風を思い浮かべて。小さな風が渦を巻いて、指先から出てくるような……」
「……あっ」
彼の言葉の通りにイメージすると、ふわっと小さな空気がリュシエンヌの指先に生まれた。それは一瞬にして消えてしまったが、紛れもない魔法の片鱗だったのだろう。
「今の……!」
「少しできたね。上手だよ」
「ええ……ありがとう、ございます……」
手放しで褒めてくれる彼に、なんだか居心地を悪く感じながらも、リュシエンヌは礼を告げる。一人で一ヶ月以上もの間練習していたときにはまったく捗らなかった魔法の練習が、レナルドの力添えで驚くほどに進歩したのだ。
リュシエンヌはその日も魔法の練習を終えて、疲労からベッドに沈みこむ。記憶にはないが、どうやらリュシエンヌは魔法を使う感覚を身体が覚えていたらしい。一度発動のきっかけをつかめば、ダンスのときと同様に、あとは色々な魔法を発動するのは簡単だった。だが、まだ気持ちが追いついていないのか集中せねば失敗することもある。やはり制御が課題だろう。
慣れない魔法の練習は酷く疲れるから、このところは練習を終えたら寝てしまうのが常だった。ちなみに初日こそ同じベッドでレナルドは寝ていたが、リュシエンヌの猛抗議によって寝室は分けられているので安心だ。
「今日も、たくさん練習に手伝ってくれたな……」
ぽつりと呟いた声は、枕に沈んでかき消えた。
レナルドは離宮の外に出られないリュシエンヌの代わりに、バティストを告発するための準備を着々と進めてくれているらしい。そのために忙しくしているはずだが、その合間を縫って、彼はリュシエンヌにかなりの時間を割いてくれる。しかも、彼女に負わされた怪我が治りきってもいないというのに、である。
突然態度が軟化した彼の真意はわからない。だが、今のリュシエンヌにできるのは、バティストを告発するための材料をレナルドに伝えることと、魔法の練習くらいしかない。
(婚約破棄をしなくても、魔法の暴走は起きてしまったんだもの。もっと、制御をうまくできるようにならないと)
先日の暴走は、バティストを拒絶したときや、レナルドに怯えたときに暴発した以上の威力だった。あのときレナルドがすぐにリュシエンヌを落ち着かせてくれなければ、きっとあのまま彼女の魔法は暴れ続けて、天候をも破壊していただろう。
(あれは……夢の中の辛い気持ちとリンクしてたから、暴走してしまったんだと思うけど……)
実際に婚約破棄をされなくとも、魔法が暴走してしまうことはわかったのだ。であれば、今後、小説の流れに沿わずとも、いつリュシエンヌの魔法が暴走するかはわからない。バティストの折檻がリュシエンヌを暴走に導くなら、退けるしかない。そして、それ以上に制御を心掛けねばなるまい。
(もう、絶対に暴走することがないようにしないと)
つむじ風を自在に出せるようになったリュシエンヌは、そう心に決める。目を閉じて瞼裏に浮かぶのは、あの日、どんなに傷ついてもリュシエンヌの身体を抱き締めて離さなかったレナルドの姿だ。そのたびに胸が痛む。
(ここが小説の世界かどうかは関係ない。もう、誰も傷つけたりなんかしないように)
リュシエンヌが破滅を迎えるなんていう未来以前に、もう、自分のせいでレナルドが傷つくのを見るのはいやなのだ。そうして過ごす日々の中で、リュシエンヌは考えておくべき問題を忘れていたのだった。
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