第23話 神の祝福

 レナルドが暁の神の子であることを公表すれば、リュシエンヌを守る力を手に入れることができるかもしれない。


 そう考えたこともあったが、現時点でリュシエンヌは神の子ではない。おまけに魔法の才も失われている。ただの伯爵令嬢にすぎない彼女は、暁の神の子の婚約者を外される未来は見え切っていた。少なくとも、彼女が神の子としての瞳を取り戻さない限り、レナルドが神の子であることを公表するのは危険だろう。


 リュシエンヌを守りたいのに、自分では何もできない。そんな日々を過ごしていたが、あと一年もすれば、王から結婚の許しが出るというところにまで成長した。そうすればリュシエンヌをルベル家から引き離せる。このところのリュシエンヌは、以前にも増してますます心を閉ざしているようだが、きっとルベル家から離れれば、落ち着くに違いない。


 だが、彼女を迎え入れる前には、レナルドはやっておかねばならないことがある。それは王妃から未だに送られてくる刺客の対処である。はっきりいって、命を狙われ続けている状況で、リュシエンヌと結婚するのは彼女をさらなる危険に晒すことにしかならない。


 だからこそ、レナルドはある決心をしたのだ。


「陛下、お話があります」


 夜更けすぎに密かに国王の寝室を訪ね、謁見に臨んだレナルドは、長年隠し続けた眼帯の下の、群青の瞳を国王に晒して見せた。


「そなた……神の子であったか」

「ええ。私のこの目は、我が婚約者、リュシエンヌ・ルベルの宵の神の子の力によって、回復しました」

「なんと……!」


 リュシエンヌが元は宵の神の子の特徴を備えていたことを、国王も知っている。


「彼女の神の子の瞳は、私の目を癒す代償として、今、眠りについているのでしょう」


 彼がそう話すのは確たる根拠があったわけではない。だが、そんな気がしていた。片目を失ってもレナルドが神の子の恩寵を受け続け、刺客を退け続けたのと同様に、きっと目の色が菫色からアイスブルーに変じているリュシエンヌだって今も変わらずに神の子なのだろう。


「ふむ……では、一刻も早く、この事実を公表して……」

「いえ、それはお待ちください」

「なに」

「私は、長年、命を狙われ続けています」

「なんだと!?」


 神の子の命を狙い続けるとは神への冒涜に他ならない。災いを呼ぶことすら恐れられる。


「誰だ、その不届き者は!」


 激昂した国王に対し、レナルドは暗く微笑んでその犯人の名を告げる。


「王妃様です。証拠もございます」


 この告発に、半信半疑だった国王も、レナルドが提示した証拠の数々に認めざるを得なかった。レナルドは今まで王妃を告発するための証拠を集め続けていたのだ。


「それに王妃様に直接尋ねたことがあります。『私の命を狙ったか』と。もちろん否定しておいででしたが……」

「ふむ……そなたは、『見破り』の祝福を持っておったのだったな」

「はい。暁と宵の神の加護のブローチをされてるときに尋ねましたので、確実かと」


 国王は渋面を作る。レナルドが授かっている祝福は、人の言葉に乗った嘘を見破るというものだ。彼には、それが嘘なのか本当なのかが、直感的にわかる。とはいえ、意識的に見破ろうとしない限りは感じ取れないのだが、暁と宵の神をモチーフとして、神官に加護を与えられた品を身に着けている相手ならば、その見破りの難易度が下がる。理屈はわからないが、暁と宵の神が手を貸してくれているのだとレナルドは理解していた。


 つまり、暁と宵の神モチーフのブローチをした王妃の言葉は、確実な嘘だったのだ。レナルドの祝福については、国王しか知らないことである。


「……王妃は断罪せねばならぬか」

「はい。その断罪の準備が終わるまで、どうか私の目の秘密は陛下の胸の中にしまっておいていただけませんか?」

「そうさな……わかった」


 この会話を経て、レナルドは王妃を排除する段取りを進めることになった。レナルドの目のことを隠し続けたのは、状況が固まる前にレナルドの身分を明らかにすれば王妃が証拠隠滅を図る可能性もあったからだ。


 同時に、ルベル家がリュシエンヌに対してしていることの調査も進めていた。これは内部に密偵を送らねばならないから、国王の助けが必要だった。リュシエンヌと結婚ができても、バティストのような父親がいては、彼女が真に心落ち着けることはないだろうと思ったからだ。


 レナルドが神の子だと知った国王は、昔レナルドの世話を任せていた乳母を呼び戻し、彼女の娘と共に世話をさせようとしてきたが、レナルドはそれを固辞した。神の子であることを公表する前に待遇を変えては、そこから事情が筒抜けになる。それでは意味がないのだ。大体にして、乳母の子の名がイリスだというのも気に入らなかったから、レナルドは彼女らの受け入れを拒んだのだ。


 そうしてリュシエンヌを迎える準備を着々と進めるレナルドは、なんとかリュシエンヌとふたりで話せないかと機をうかがっていた。けれど常に監視がいる彼女に秘密を打ち明ける機会は訪れなかった。


 そんな中でもお茶会の頻度は変えず、レナルドはリュシエンヌと会える時間を大切にしていた。ロケットペンダントを密かに作り『イリス』だった頃の彼女の肖像を大切にしていたのだって、会えない時間を我慢するためだ。お茶会の前にそのロケットを開いて確認していたのは、いつもの習慣だった。


「イリス、早く君に」

(もう怖がらなくてもいいんだと伝えたい)


 彼女が怖いものは全て取り除いてあげたい。そんな気持ちが、独り言として口から漏れていたのに、レナルドは気づいていなかった。


 そのころからである。いつもはただ不機嫌なそぶりで黙り込んでいただけのリュシエンヌが、お茶会でレナルドと顔を合わせるたびに、酷く暴れるようになったのは。


 どんな言葉をかけても、彼女からかえってくるの罵声だった。


「会いたいなんて、うそばっかり!」


 叫んだリュシエンヌは、それ以上言葉を続けられないようで、ティーカップを投げた。それがレナルドの肩にぶつかって濡らす。


「……っ」


 暴れて罵ってきているのはリュシエンヌのほうなのに、彼女は酷いことをしたあとに必ず傷ついたような顔をする。


(僕のせいで、こんな顔をさせているのか)


 そう思うとレナルドの気持ちは重く沈んだ。それでも、リュシエンヌがお茶会に欠かさず参加してくれるのが救いだった。


 辛い日々が続いたが、あと少しで王妃とルベル家当主の断罪の準備が整う。事態が急変したのはそんなときだった。どこから漏れたのか、王都にレナルドが神の子であることと、婚約破棄を検討しているという根も葉もない噂が出回ったのだ。


 そうしてリュシエンヌは魔法を暴走させた。暴走しながら海へと移動する彼女の元に駆けつけたとき、リュシエンヌの瞳は、アイスブルーから菫色に変じていた。神の子の力を取り戻していたらしい。何年も制御していなかった魔法の力を暴走させたから、彼女は力を押さえきれないに違いない。


 絶望した彼女を、どうしても救いたかった。だから、崖の淵に立った彼女が、身を投げようとしているのに気づいて、レナルドは叫んだのだ。


「やめるんだ!」

「やめられるわけがないじゃない! もう手遅れだわ!」


 彼女は災害をひきおこすのをやめろと言われたと勘違いしたらしい。彼女の言う通り、何もかも手遅れなのかもしれない。


「撃ち方用意!」

「よせ! 彼女は拘束するだけだ!」

「撃てーっ!」


 無残にも鉛玉に撃ち抜かれる彼女に、それでもレナルドは手を伸ばした。手遅れでも、どうしても彼女を助けたかったからだ。


「リュシー!」


 崖の下の海へと、彼女の身体が消えていく。全てを諦めたように彼女は瞼を伏せ、菫色の瞳が隠れた。それを目にした瞬間に、レナルドは崖に向かって身を投げ、彼女を追っていた。


(だめだ。だめだだめだ……! リュシーを、イリスを失うなんて、絶対に……!)


 先に落ちた彼女に手が届くわけがない。それでもレナルドは腕を伸ばし、そしてざぶん、と冷たい海へと彼の身体も沈んだ。だが。


「……?」


 気づけば、彼の身体は止まっている。冷たかったはずの彼の身体は燐光を放ち、温かな光に包まれていた。そうしてそれは、リュシエンヌの身体もである。目を閉じたまま動かない彼女は光に包まれたまま、海の中に漂っている。


(ああ、そうか)


 レナルドは静かに息を吐きながら、リュシエンヌの身体に近づいた。止まったままの海の中で、彼はリュシエンヌの身体にそっと触れる。穏やかに温かい彼女は目覚めず、銃弾の痕が残ったままだ。


 貴族の子には、祝福が与えられる。しかし、神の子には神から直接強大な祝福が与えられている。その祝福は強大すぎるゆえに、神官には全貌を見通すことができない。


 レナルドに与えられた祝福は、正確には嘘を見破るものではない。『神に与えられし慧眼』という祝福であり、本来ならばレナルドが知りたいと望んだものを全て知ることのできる祝福である。だが、普段は人間の身には強すぎて、ふだんは嘘を見破るくらいにしか働かない。だからこそレナルドも長年自身の祝福は『見破り』だと思っていた。だが、死に瀕したせいなのか、その祝福は真価を発揮したらしい。


(今からでも、リュシーを助ける方法が、あるんだ)


 リュシエンヌは祝福がないのではない。その祝福が特異すぎて、神官ですらない下位の司祭には見通せなかっただけだ。リュシエンヌに与えられた祝福を見たレナルドは、同時に彼女の祝福の意味と、その祝福の一部が、彼を癒したときにレナルドの身体に一次的に移っていることを理解した。


「なら、やり直せるかもしれないね、リュシー」


 目を閉じたレナルドが呟いてリュシエンヌの身体を抱き締める。そうして、燐光はふたりを包んで弾けたのだった。

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