第22話 消せない瑕

 レナルドの住まう離宮は、普段からメイドや警護の侍従が少ない。それゆえに庭園でリュシエンヌと一緒に遊んでいても、メイドたちに彼女が見つからずに過ごせていた。けれどその日、いつも静かな離宮にはいつも以上に人の気配がなかった。


(今日は街でお祭りでもあったかな?)


 街で祭りがあれば、メイドや侍従は欠落王子の世話など投げ出して遊びに出かけてしまう。とんだ怠慢だが、処罰を受けた様子を見たことがないから、サボっていたって誰にもバレないのだろう。しかしそんな日でも、一人や二人は離宮に残っていて、完全に無人になることはない。


 だというのに、この日に限っては無人と思えるほどに、静かだった。変だとは思ったが、レナルドはわざわざメイドたちを探しに行くようなこともしない。


(今日はイリスが来るって言ってたからちょうどいいけど……なんだろう?)


 嫌な胸騒ぎを覚えて、約束の時間には早いがレナルドは庭園に出た。そこで、ふらりと立ちくらみをおぼえて膝をついたときには、心臓がドクドクと鳴り出して、視界がぐるぐると回り始める。


 毒の症状だった。


 王妃が向けた刺客が井戸に入れた死に至る毒である。この離宮専用に掘られた井戸に投げ込まれた毒は、レナルドの食料をかすめとる使用人たちにも効いて、彼らは厨房で絶命していた。同じ毒を、レナルドは知らないうちに口にしていたのである。


 王妃が執拗にレナルドの命を狙うのは、端的に言って妬みと八つ当たりだった。レナルドの母である第四側妃は容姿に秀で、王の寵愛を受けていた。すでにその第四側妃はレナルド出産時に亡くなっているが、彼女の残した息子のレナルドもまた、美しく、王の寵愛を受けていた。


 神の子に似て非なる容姿の子どもであれば、気味悪がって処分してしまう親も、残念ながら多い。それは神のふりをした悪魔だと捉える者が少なくなかったからだ。不遇の扱いだとは言っても、欠落王子が生きて王の住まう敷地に離宮が与えられている時点で、過分な寵愛だと王妃には思えた。


 それに比べると、王妃の産んだ第三王子は、とりたてて秀でたところがない。この国では王妃、側妃が産んだのに関係なく、早く生まれた者が順に王位継承権を持つ。つまり、王妃の子は王位継承権第三位であり、秀でたところさえない第三王子が王位を握るには革命でも起きなければ難しいだろう。


 王妃なのに、側妃ばかり可愛がられて、王子までぱっとしない。そんな鬱憤を、消えても差支えのないレナルドに向けていたのである。


 今まで離宮にやってきた刺客は、皆、レナルドの返り討ちにあって死んだと思われているが、いずれも凶刃が届く前に神罰がくだり、絶命していた。レナルドのことを欠落王子だと信じて疑わない王妃は、神罰なのだとは夢にも思わず、なかなか死なないレナルドに業を煮やして、井戸まるごとに毒を入れるという強硬手段に出たのである。


 神罰は、殺意を直接向けて、命を奪わんと確たる意思をもって直接手を下さない限りは働かない。だから神罰を潜り抜けてレナルドは毒を口にしてしまった。


 毒のせいだとは思い至らなかったが、明らかに身体がおかしいことにレナルドは気付いていた。大人が死に至る毒なのだから、子どもであるレナルドの身体がもつはずがない。激しい苦しみに襲われながら、それでもレナルドは待ち合わせのガゼボに行ってリュシエンヌに会おうとした。


(今日は遊べない、って言わないと)


 足が鉛のように重く、視界はかすむ。それでも歩きなれた庭園をたどり、やっとのことでガゼボにたどりついた時、ちょうどリュシエンヌがやってきたところだった。顔色の悪い彼を見つけて、リュシエンヌは驚いて駆け寄る。


「どうしたの!? ミオ!」

「ごめん、今日は……具合が、悪くて……」


 レナルドの身体をリュシエンヌが助け起こしたその刹那、彼は激しくせきこんだ。唇が紫に変じ、顔が真っ青だ。もう、命が尽きる直前だった。


「あれ……なんだろ、これ。暗いな……」

「やだ、ミオ!?」


 目をあけているのに、焦点が合わない彼の瞳が徐々に色を失っていく。


「ミオ、目を閉じないで」


 やがてすぅっと瞼が降りたレナルドを揺すぶって、リュシエンヌが叫ぶ。


「ごめん、明日も遊べない、かも……イリス」


 そう呟いたレナルドの、浅く動いていた胸がやがて止まった。


「いや、いや……! ミオ、ミオ!」


 動かなくなったレナルドに、リュシエンヌは呼びかけ続ける。彼女の目からは涙が溢れて止まらなかった。


「死なないで……!」


 叫んだ途端に、リュシエンヌの身体から、光が溢れる。つむじ風とは違うその光は、レナルドの身体を暖かく包みこんだ。その光は柔らかにレナルドの身体をたゆたい、彼にすがるリュシエンヌの身体から尽きることなく溢れ続ける。そして、どれだけの時間が経ったのか、その光が治まると同時に、リュシエンヌの身体がぐらりと傾いて倒れ込んだ。


「イリス……?」


 どっと倒れてきたリュシエンヌの衝撃で、うっすらと目を開いたレナルドが呟く。その顔色は先ほどと違って薔薇色で、止まっていた鼓動は吹き返していた。


「もう苦しくない……?」


 はっと気付いたレナルドは自身の身体を起こしながら、リュシエンヌの身体を起こす。


「……あ……」


 小さく声を漏らしたリュシエンヌの顔色は蒼白だった。そして、美しい菫色だった瞳は、月の入りの時刻の空のような、アイスブルーに染まっている。彼女が過ぎた魔法の力でレナルドを救ったせいだった。


「イリス、その目……! 顔色も悪いよ、大丈夫!?」

「うん……私は、大丈夫……。だけど、ごめん、なんだか、疲れたから……」


 ふう、と息を吐いて、イリスは自分で身体を起こすと、よろよろと立ち上がる。


「今日は、帰るね」


 とりつくろう気力もなかったのだろう。レナルドの目の前でつむじ風を起こしたリュシエンヌは、そのまま転移して、その日以降、レナルドの庭園に現れることはなくなった。


 レナルドは、『イリス』がリュシエンヌ・ルベルであることはわかっていたから、前々から国王に対し、彼女を婚約者にして欲しいと申し出ていた。ルベル家は普通なら王家に嫁げるような家格ではないが、リュシエンヌは神の子だ。国に囲いこむためにも、彼女ならばいいだろうと思われた。しかし、その許可はなかなか降りていなかった。


 レナルドは知らなかったが、それまではルベル家がその打診への回答をずっと濁していたのだ。だというのに、レナルドが九死に一生を得たあの日からいくばくも経たず、突然、婚約の許可が降りた。


 庭園に遊びに来なくなったリュシエンヌを気にしていたレナルドは、婚約に際して離宮に彼女が顔合わせのために来てくれるという知らせを受けて、喜んだ。


(まず、彼女に名前を聞くんだ。イリスは驚くかな? それもと笑って知ってたっていうかな?)


 来訪を告げる先触れあって、ガゼボに父親と一緒に姿を現したリュシエンヌに走り寄ると、レナルドは彼女の手をとった。


「君に会えるのを楽しみにしてたんだ。僕はレナルド。ねえ、君の名前を教えて?」

「……」


 浮かれた気持ちでいっぱいだったレナルドは黙ったままのリュシエンヌが視線をきょろきょろとさまよわせているのを見て、やっと彼女の様子がおかしいことに気が付いた。


 頬には紅を乗せられているが、彼女の顔は痣があった。よく見れば、髪で隠されているが彼女の頭には酷い怪我がある。


「……っ!?」

「王子殿下がお声がけいただいているんだ。返事をなさい」


 冷えるような低い声がリュシエンヌに掛けられて、それでやっと彼女はおずおずと口を開いた。


「……りゅ、リュシエンヌ・ルベルと、もうします……よろしくお願いします、で、殿下……」


 喋りにくそうにもつれた声で告げた彼女に、庭園で遊んでいたころの『イリス』の面影はなかった。リュシエンヌの父親は、まるで汚物を見るかのようにリュシエンヌに視線を投げている。ぱっと見は人のよさそうな容姿で、レナルドに向ける顔は優しそうな大人の顔をしているのに、リュシエンヌに目を向ける瞬間にそれが豹変する。それにぞっとした。


 それからというもの、レナルドの提案で定期的にお茶会を開くことになった。リュシエンヌは必ずメイドと護衛を伴って来ていたが、レナルドは気にせず彼女に接した。彼女がなかなか話してくれないのは、怪我のせいでレナルドを忘れているのだろうと思った。文献にはそういうことが書いてあったからだ。楽しいことを一緒にやれば、『イリス』のころのような彼女が戻ってくると思った。だから積極的にレナルドはリュシエンヌに話しかけた。


「君のことを、リュシーって呼んでもいいかな」


 そう聞いたときには、リュシエンヌはぱっと一瞬目の奥を輝かせた。彼女はその呼び方について、いいともだめとも言わなかったけれど、確かに喜んでくれていたのだ。だから何度も呼んだ。


「リュシー。待ってたよ。今日のお茶はね……」


 言葉は少なかったけれど、リュシーと呼びかければわずかに嬉しそうにして、好きなお茶を出せば香りを楽しんでくれた。いつも不機嫌そうに口を引き結んだその顔でも、目の奥だけは輝いていたから。


 けれど、話しかければ話しかけるほど、リュシエンヌは心を閉ざしていったようだった。そして、彼女の身体に巧妙に隠された生傷が増えていくことに、レナルドは気付く。


 レナルドがリュシエンヌに良かれと思って構えば構うほど、彼女はルベル家で暴力を振るわれるのだ。何故だか判らなかったが、護衛ではなく、メイドが告げ口をしていると直感した。


 その頃になって、レナルドは『神の子』だったリュシエンヌが『事故』に遭ってその力を失ってしまったという話を聞いた。彼女が神の子の特徴を失ったのはレナルドのせいだったし、恐らくその責めを受けて、リュシエンヌは怪我をしたのだろう。リュシエンヌの父親の、親とも思えぬあの目線を考えれば、あの男がリュシエンヌを傷つけたのだとしか思えなかった。


 今まで婚約の打診をルベル家が受け入れなかったのは、神の子であるリュシエンヌには、欠落王子なんかではない、もっと上の嫁ぎ先を狙っていたからなのだろう。けれど、彼女が神の子ではなくなったから、欠落王子と言えども曲がりなりにも王族であるレナルドで妥協した。恐らく、突如として許可の降りたこの婚約はそういうことだ。


「全部、僕のせいなんだ」


 きっと、「リュシー」と呼んで必要以上にレナルドが親しくするのも、彼女にとっては本当は迷惑なのだろう。


 だから、レナルドはもうリュシエンヌに必要以上に構うのをやめ、彼女に「リュシー」と呼びかけるのもやめた。『婚約者』として義務を果たしているだけのように、優しく、穏やかにリュシエンヌに接し続けた。それで彼女の生傷が消えるわけではなかったが、少なくとも増えはしなかったから。


 ふたりきりになれば、暴力の告げ口を恐れているのだろう。彼女を連れ出すこともままならず、結果としてリュシエンヌを社交の場に誘うこともレナルドはできなくなった。


 リュシエンヌを傷つけるルベル家が憎らしかった。彼女をすぐに救うことのできないレナルドの力のなさも恨めしかった。でも何より、彼女をどうしようもないほどに傷つける原因となったのが、神の子としての容姿を失ったせいであり、それが自分のせいだという事実が一番許せなかった。力を奪ったとはっきり判ったのは、失われていた右目の視力が、リュシエンヌに救われてから戻ったからである。リュシエンヌの幸せを奪った自分が、右目が見える神の子になったのが受け入れられなかったから、右目を隠して眼帯をしたまま生活した。


 そうして、イリスだったころの記憶を失い、いつまでも視線の交差しないリュシエンヌを見守りながら、レナルドは直接的にリュシエンヌにできることがない自分を呪い過ごしたのである。

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