第17話 ヒロインの好きな人
左後ろにメイド、右後ろにベルナールを連れて、リュシエンヌは街を歩いていた。なぜそうなったのかと言えば、寝室での彼女の独り言が思っていたよりも大きな声だったせいだ。部屋の前で警護をしようとやってきたベルナールに聞こえていたらしく、彼が外出を提案してきたのである。
バティストはといえば、出かけてみたいと告げたところ「次の外出用のドレスを仕立てて来い」と言ってきた。これまでの記憶を探ると、デビュタントで一度夜会に出ただけで、リュシーは茶会などにも参加させて貰えていなかったが、これからは積極的に外に出す方針に切り替えたらしい。もちろん監視としてベルナールは必ずついてくるが、これからは外出の機会が増えそうだった。ちなみに、付き添っているマリエルというメイドは、リュシエンヌつきとして新たに雇われた女性で、彼女がルベル家で冷遇されていたことは知らないらしく、実に朗らかに接してくる。
一カ月ほど前にも街は散策したが、あの時はレナルドも一緒だったし気持ちが落ち着かなかった。今日は仕立て屋に行かねばならないというミッションがあるうえ、マリエルとベルナールももちろんいるが、リュシエンヌの気の向くままに歩いていいのだから、気が楽だった。
そう思えていたのは、仕立て屋に入る直前までである。
「リュシエンヌ様……?」
仕立て屋に足を踏み入れた一瞬で後悔したのは、そこにイリスがいたせいだ。
一般的なドレスの仕立て屋は、店の入り口入ってすぐがサロンのようになっていて、出されたお茶を飲みながら生地を見たりする。注文すると決まったら奥の部屋に行って採寸する形式だが、ちょうどイリスがドレスの生地を見せてもらっているところだった。
ガタン、と立ち上がってイリスはこちらに近寄ってくる。
(どうしよう、逃げたい)
「昨日は申し訳ありませんでした!」
がばっと頭を下げたイリスが大きな声で言う。その様子を店員が唖然とした様子で見守っている。
「あ、あのデュメリー嬢が私に謝るようなことは何も……」
されてない、と続けようとしたリュシーの言葉を遮るように、イリスが彼女の手をぎゅっと握る。
「私が悪かったんです! お話がしたいからって身分の差もわきまえず、しつこく話しかけてしまって……! 第五王子殿下がお怒りになるのももっともです! 本当に、申し訳ありません……!」
この必死な謝罪姿は、周りから見ればまるでリュシエンヌがイリスをいびっているかのようだろう。
(思ったことをすぐに行動してしまう、っていうキャラクターもちょっと問題ね……)
握られた手を振り払うわけにもいかず、リュシエンヌがどうしようかと考えていると、ベルナールが一歩前に出た。
「おやめください」
そっと手を触れて、リュシエンヌの手を握りこんでいるイリスの手をほどく。
「あ……っ!」
瞬間にぱっと手を引っ込めたイリスが、頬を染める。
(ん?)
「す、すみません……私ったら、また無礼な真似を……ごめんなさい……」
しゅん、と項垂れて、それまでの勢いがみるみるうちにしぼんでいく。
(昨日は別のことを考えるのに忙しくて忘れてたけど、イリスって……)
「ベルナールのことが気になってるの?」
「キャッ」
「あっ!?」
思考が口を滑って小さく呟いたのが、イリスに聞き取られてしまった。叫び声をあげてしまったイリスは、さきほどに増して顔を赤くして何かを言おうとしたがすぐに口をつぐみ、視線をさまよわせる。
「……ベルナール、私のさっきの言葉聞こえた?」
「なんでしょう?」
背の高い彼の耳には、都合よくリュシエンヌの呟きは聞こえていなかったらしい。内心でほっと息を吐いて、ベルナールに微笑みかける。
「ベルナール、悪いんだけど少し離れていてくれる? マリエルは一緒にいてもらうから」
「お嬢様、しかし」
なぜ急に、という顔をしているベルナールに、リュシエンヌは押し切る。
「採寸室に行ってくるから少し待ってて」
「……承知しました」
「そういうことだから、デュメリー嬢。ちょっと奥に行きましょうか」
離された手を繋ぎなおして、リュシエンヌは店員に声をかけるとベルナールを置いて採寸室の方へと進む。その採寸室の中にも、順番待ちのためのテーブルセットが用意されていた。
「お茶をいれて参りますから、少々お待ちください」
「はい……」
店員が部屋から出て行ったのを見届けてからリュシエンヌがイリスの手を離すと、イリスは頬を両手でおさえて羞恥にたえているようだった。
昨日の態度はずいぶんとわかりやすかったのに、どうしてイリスの恋心のことを考えなかったのだろう。襲われたところ助けられての出会いなんて、イリスがベルナールに好意を寄せるきっかけになりうるなど、わかりきったことなのに。
「無神経なことを言ってしまってごめんなさい、デュメリー嬢」
「……いえ、私も昨日はその……とてもおかしかったですし……。すみません、私昔からこうで……。夢中になってしまうと周りが見えなくなって、それで突進しがちというか。あの騎士様にもう会えないと思っていたので、昨日は舞い上がってしまって、なんとかまた会いたいって……」
聞いていないところまでイリスは次々と話してくれる。
「それに……その、本当に失礼な話なんですが、憧れの騎士様がリュシエンヌ様と親しげにしていて、しかも専属護衛だってわかってその……し、嫉妬してしまって」
「嫉妬?」
夜会でイリスがリュシーに対して鬼気迫る様子は、どうやらそのためだったらしい。
「……ごめんなさい」
素直に謝る彼女は項垂れていて、哀れを誘う。
(小説の中のイリスも、無邪気で健気な子だったもの)
今目の前にいるイリスが、本当に小説の中のイリスと同じなのかはわからないが、それでも彼女が今、本音で話してくれているのがわかる。そもそも昨日の夜会のときだって、イリスは駆け引きのようなことはしていなかったし、リュシエンヌを騙そうとしている素振りはない。
「私に謝る必要なんてないわ。だから気にしないで」
「リュシエンヌ様……」
顔を上げたイリスの目には涙が浮かんでいる。
「泣かないで」
リュシエンヌに苦笑が漏れる。今この現場を他人に見られたら、悪役令嬢がヒロインを虐めている現場に見えるかもしれない。しかし、うっかり想い人にそれをバラしかけてしまったのだから、その責めも甘んじて受ける必要があるだろう。
「好きな人に近づきたいって気持ちは誰にでもあるもの」
「す、好きって……」
「そうなんでしょう? ええと……ベルナールの呼び方とか、私は彼の私生活に口は出さないからなんとも言えないけど、デュメリー嬢が頑張るのを邪魔したりもしないから。安心して」
「リュシエンヌ様……!」
感極まったようなイリスは再びリュシーの手を握る。
「ありがとうございます……!」
弾けるほどの眩しい笑顔でイリスが礼を告げた後で彼女が口走った言葉に、リュシエンヌはイリスを励ましたことを激しく後悔することになったのだった。
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