第16話 イリスという少女
これはきっと夢だ。彼女がそう思ったのは、まるで映画を見ているかのような景色だからだろう。
「お嬢様、どこですか? お嬢様~? 鬼は疲れてしまいましたよ~お嬢様~」
「ふふっ」
銀の髪を揺らして、幼い少女が茂みに隠れて笑っている。どうやらメイドと一緒にかくれんぼをしているところらしい。
「絶対見つかりっこないわ」
「こちらですか?」
コツコツと石畳を叩いて近づいてくる音がして、少女はぱっと口をおさえた。
「逃げなくっちゃ」
小さく呟いた少女がぱっと手を伸ばすと、その指先からつむじ風が生まれ、一瞬にして彼女の身体を覆う。風の渦に呑みこまれたかと思えば、ふっとつむじ風は消え、その時には茂みの中に少女の姿はなくなっていた。
つむじ風が現れたのは、どこかの庭園の中である。ふわりとつむじ風か消えると、少女の身体が現れた。彼女は魔法の力を使って、空間転移したのである。
少女は辺りを見回すと、見覚えのない庭園の景色にさっと顔を青ざめさせた。
「……遠くにきすぎちゃったかも……」
整えられた庭園は、明らかに誰かの私有地である。
「早く帰らなきゃ」
家人に見つかる前にもう一度転移をしようとした時には、もう遅かった。
「だれ!?」
がさっと音をたてて、庭園に人が現れた。
「……っ」
その場ですぐにでも転移すればよかったのに、少女は驚きのあまりに固まって止まってしまった。現れたのは、琥珀のような金色の髪に、眼帯をした少年だった。踏み込んできた少年は、少女の姿を見ると、ぽかんと口をあけて止まってしまう。
「…………宵の、女神様?」
少女の髪の色は銀色。そして、瞳の色は宵の空のような菫色だった。この国で神の子と称され、大事にされる特徴を持った彼女に、少年は侵入者であることも忘れて見入る。
「……女神様じゃ、ないわ」
少女は顔を赤らめてそれだけ言う。
「じゃあ誰?」
「ええと……あの、その……」
きっと魔法を使って他人の家に入り込んだことを怒られるのを危惧しているのだろう。名前を言えば、家名もバレてしまうし、叱られるに違いない。
「……女神様じゃないなら、妖精なの?」
「違うわ!」
あんまりにもびっくりして大きな声で少女が否定すると、少年は笑い出した。
「君、どうやってここに入りこんだの?」
「それは……」
「言えない?」
問いかけに頷くと、少年は「ふうん」と言って、何かを思い付いたようにぱっと顔を輝かせた。
「ここに来たのは黙っててあげるからさ、僕と、一緒に遊んでよ」
「え?」
「お願い。ここには誰もいないから退屈なんだ。一緒に遊ぼう?」
「……わかった」
そう答えて、少女は少年と一緒に遊び始める。追いかけっこをしたり、花を摘んで輪の形に編んだり。それは他愛ない遊びだったが、メイドとばかり遊んでいた少女にも楽しい時間だった。
「そろそろ帰らなきゃ」
ひとしきり遊んだ後に少女が言うと、少年は彼女の袖をつん、と引っ張った。
「また遊ぼう……?」
「うーん、でも……」
「君は楽しくなかった?」
「楽しかったよ」
「よかった……気が向いたときでいいから、また来て?」
「うん。わかった」
少女の答えに、少年は朗らかに笑う。
「ねえ、名前を教えてくれないなら、僕がつけていい?」
少女が頷くと、少年は辺りを見回して、アイリスの花をつんだ。
「目の色が似てるから。イリスって呼ぼう」
「うん」
「またね、イリス」
アイリスの花を受け取った少女は、またつむじ風に包まれて姿を消す。そうして、ずいぶんと長くなってしまったかくれんぼを彼女は終わらせた。
***
ぱち、と目をしばたいて、ベッドの天蓋が目に入り、リュシーはそこがベッドの上だったとようやく思い出す。夜会を終えたその夜は、疲れ切ってしまい泥のように眠りについた。
(懐かしい夢ね)
魔法を自在に操る銀髪の少女・イリスの夢は、彼女が幼いころにたまに見ていたものだ。『暁の救世主』の『イリス』のモデルになった夢で、眼帯の少年はもちろんレナルドのモデルである。『暁の救世主』の中に夢で見たようなシーンは出てこないが、イリスとレナルドの関係性の設定を作るのに、大いに影響を受けた夢である。
(この身体でも、前の身体で見てた夢とか見るのね。……当たり前か。憑依する前の記憶引き継いでるんだもん)
ふう、と息を吐きながらリュシーは身体を起こす。寝室のカーテンはまだ開いておらず、どのメイドも顔を出していないが、もう朝だ。身支度を整えるためにベッドからリュシエンヌは出る。
(でもこれで一つ可能性が減ったかも)
クローゼットから室内着を出して、リュシエンヌは着替えを始める。
(元ネタになった夢では、イリスとレナルドの出会いが幼い頃だったし、そもそもレナルドがイリスって名前をつけてるんだから、この世界は私の見た夢の世界ではないはずだわ。でも……)
原作小説の設定では銀髪なのにこの世界ではイリスの髪色はオレンジ色だから、小説の世界ともやはり微妙に違う。思案しながら着替えを終えたリュシーは、ううーん、と唸る。
(この世界って、本当になんなのかしら。悪役令嬢もハッピーエンドにするのにな~なんて言ったから、憑依しちゃったのかな……)
カーテンを開けてみれば、リュシエンヌの悩みとはうらはらに、外はいい天気だった。
「……こんな日には、気ままに散歩でもしてみたいな……」
ぽつりと呟いたが、そんな許可がバティストから降りるとはとうてい思えなかった。
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