第14話 正ヒロイン

 曲の終わりにダンスの輪から離れた二人にベルナールがそっと近寄り、再び護衛をし始めた。それに合わせて、幾人かの貴族がリュシエンヌたちに近づいてくる。


「ご無沙汰しております、第五王子殿下」


 それは欠落王子が久々に社交の場に出てきたことを珍しがる貴族と、出てきた理由を探ろうとする者たちだった。適当に挨拶を交わして、当たり障りのない会話をしているのを、リュシーは隣で挨拶をした以降はただ黙って聞いている。


 リュシエンヌも値踏みされるような視線は受けているが、社交界においてデビュタントをしただけの影響力のない女よりも、王位争いに直接関係しそうなレナルドを優先して探りたい、ということなのだろう。


 上辺だけの挨拶を何人か終わらせた後に、レナルドは「少し休憩しようか」と、リュシーをテラスへと誘った。テラスは人目を避けるのにうってつけの場所で、出たところのカーテンを締めておけば、普通は誰も入ってこない。逆に言えばテラスに出ている時は、他の人が誤って入ってこないようにカーテンを締めておくのが通例だった。


 もちろんテラスへはベルナールも共に行く。

 会場の一番賑わっているところから離れた窓を選んで、レナルドはテラスに出た。


 明るい月に照らされたテラスの柵にもたれかかって、外を眺めている女性が一人居た。先客である。


「あっすみません。カーテンを閉め忘れていましたね」


 ドアの開閉音で驚いた彼女は、振り返りながら謝って止まった。月明かりの逆光で、顔がよく見えづらいが、どうやらそうとう驚いているらしい。


「いや、確認せずすまない。別のところに移動しよう。リュシー」


 すぐに踵を返そうとしたレナルドに、「待ってください!」と女性が声をあげる。本来なら王子に対してこんな風に呼び止めなどできない。レナルドは社交に参加していないと言っても、貴族の中で眼帯をしているのは彼くらいなものだから、女性はレナルドの正体に気付いているだろうに、不敬なことである。


「あ……す、すみません。あの、ここの景色、とても綺麗なので……よければ、一緒に、ここを使いませんか?」


 景色などどのテラスから見ても同じものだが、もじもじと言う彼女はどうやらレナルドを引き留めたいらしい。


「君の時間を邪魔するつもりはないよ」

「ああおっしゃってるんですし、一緒でもいいのではありませんか?」


(一人でも人が多いほうがレナルドの気がそれて、過ごしやすくなるかもしれないし)


 リュシエンヌの言葉に、レナルドは溜め息を吐く。


「じゃあ、お言葉に甘えて、ここにいさせてもらうよ、デュメリー嬢」


 レナルドの口から、女性の名前が出てきてリュシエンヌは驚く。


「お知り合いだったんですか?」

「うん。ちょっとね。彼女はデュメリー子爵令嬢だよ」

「名乗るのが遅れて申し訳ありません。ご紹介に預かりましたイリス・デュメリーです」


 綺麗な礼をとって、子爵令嬢は挨拶をする。


(待って)


 令嬢の言葉に、十秒前の自分の発言をリュシエンヌは後悔した。


(彼女が、イリス……?)


 ひきつった顔を隠すこともできず、リュシエンヌはイリスを見る。月明かりでわかりにくいが、彼女の髪色はオレンジに近い金髪だった。更に瞳の色は緑色に見えて、その容姿にリュシエンヌは混乱する。


 小説の中でイリスにファミリーネームはつけていなかった。イリスは宵の神の子として登場させたので、彼女の髪の色は小説の中では銀髪だった。その髪色の違いのせいで、すぐにイリスだとは気付けなかったのだ。


(どうしよう! ここで私がイリスを虐めるようば場面に繋がってしまったら。彼女とは関わり合いになりたくなかったのに……!)


「リュシエンヌ・ルベルです」

「第五王子殿下の婚約者様ですね。……お噂はうかがってます」


 イリスがそう言って微笑む。ふんわりとした優しい雰囲気の彼女にぴったり合う、とても可愛らしい微笑みなのに、なぜだかその言葉は含みがあるように響いた。


(何か……レナルドみたいな寒気感じたのは何で?)


 ぱっと目を逸らしたイリスは、もう一人に顔を向けた。


「騎士様もまたお会いできるとは思いませんでした」


 これはベルナールに話しかけたものだ。驚いてリュシーが振り返ると、ベルナールは一瞬考えるようにしてから思い至ったように頷いた。


「あの時のお嬢様でしたか」

「ベルナールも知り合いなの?」

「いえ。知り合いではありません。それと先日お嬢様も会われてますよ」


 ベルナールに言われて、首を傾げかけたリュシエンヌに対し、イリスは微笑む。


「路地に連れ込まれそうになったところを、騎士様に助けていただいたんです。あの時はありがとうございました」

「いえ、ご無事で何よりでした」


 そう言われてやっと合点がいく。


 あれはレナルドと共に街へ出かけたときのことだ。


 馬車に乗っているときに、男たちに囲まれて不穏な空気を醸し出している集団を見つけたリュシエンヌが、ベルナールに助けさせたのだ。ごろつきに近づくのはよくないと言われ、レナルドと二人で馬車の中で見守っていたせいで、遠目だったから襲われそうになっていたのがどんな少女だったのかなんてリュシエンヌは留意していなかった。馬車から降りてすらいないリュシエンヌは、イリスと会ったとは言えないだろう。


「騎士様に今度お礼を……」

「お礼でしたらどうぞ、リュシエンヌお嬢様に。あなたを助けるようにとご指示されたのはお嬢様ですから。私は当然のことをしたまでです」


 言い募るイリスの言葉を遮って、きっぱりと断るとベルナールは会釈してすぐに護衛の立ち位置に戻る。だが、イリスは諦めずに彼に話しかけ続ける。


(ごろつきに襲われてたのを助けたって……?)


 小説の中にそんな救出劇が作品内であったのだとしたらそれはもうヒロインとヒーローの見せ場だろう。あるいはヒロインとヒーローと取りあう当て馬とのシーンだ。しかし、小説の中でベルナールは恋愛めいた要素はなかったし、そもそもベルナールとイリスが直接的に絡むシーンもなかったはずである。


 しかし、現実はベルナールがイリスと見せ場を演じてしまっている。そういったシーンを経た男女にありがちな流れでは、ヒロインがヒーローに想いを寄せるきっかけとなる。その例に漏れず、今のイリスも熱心にベルナールを見つめているようだ。きっぱりとベルナールに断られたにも関わらず、まだ「でも」などと声をかけている。


(むしろそのあのシーンは…)


 小説の中では、イリスがごろつきに襲われそうになったところを助けるのは、レナルドのはずだ。そのごろつきはリュシーが雇ったもので、イリスを傷物にしてやろうという悪質な嫌がらせだった。


(私はそんなごろつき手配してない。というか、イリスが今ここにいる彼女だってことも今知ったくらいだし……)


 嫌がらせをしているのが自分でなければ小説の流れから外れていっている。そう安心できたらよかったが、ある可能性がリュシエンヌの頭に浮かんだ。


(もしかして、この事件が起きたのって、原作小説の流れに戻そうとする、強制力なの……? ベルナールが助ける流れになってしまったのは、強制力が歪に働いてる?)


 嫌な可能性が浮かんで、リュシエンヌは身震いをした。その肩に、そっと何かの布がかけられる。振り向くと、ベルナールが自身のマントをかけてくれたところだった。


「ベルナール、大丈夫よ」


 マントを返そうとすると、彼は首を振ってそれを辞す。そのやり取りを見たイリスが、急にリュシエンヌの顔を見て、詰め寄った。


「リュシエンヌ様は、ご迷惑ですか?」

「えっ?」


 さっきまで思考に飲まれていたリュシーは、イリスとベルナールの会話を聞いておらず、彼女が何を言っているのかすぐにわからなかった。

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