第13話 ファーストダンス

 その日のルベル家は忙しかった。夜会に出るために朝から湯だの何だのとリュシーの身体を磨き上げることに気合を入れていたからだ。


 一カ月ほど前に届いた招待状を断ることは結局できなかった。最初は体調不良で長期療養が必要だと言って断ろうとしたが、すぐさまに医者が派遣され、健康であると太鼓判を押されてしまい、手が封じられる。しかも、難色を示すだろう思われたバティストは、意外にも夜会への参加を快諾してきたのだ。


「いいだろう。見てくれだけは悪くないのだから、せいぜい愛想を振りまいてこい」


 つまりは、外見をしっかりと磨き上げて、欠落王子なんかよりももっといい嫁ぎ先を探して来い、というわけだ。その言い分に呆れたし、どちらかと言えばバティストが反対して欠席する、ということになれば良いと思っていたのに、そうはならない状況をリュシエンヌは呪った。


 普段の身支度はほとんどリュシエンヌ一人でやっているのに、今日はいつものメイド二人に加えて普段は話さないメイドまで仕度に加わっているから、それだけで気疲れをしてしまう。レナルドにこれから会わねばならないという憂鬱さもあいまって、メイクまで終わるころにはリュシエンヌはぐったりしてしまっていた。


(ふたりきりになることがあったら、またあのことを聞かれるよね)


 『君は誰』という質問に対する、うまい答えをまだ彼女は見つけられていない。この夜会までにお茶会はあったものの、後ろにぴったりとベルナールがついてくれているので、レナルドが質問をする隙はなかったのだ。


 げんなりとしながら仕度を終えたリュシエンの元に、先日と同じように彼女をルベル家まで迎えに来たレナルドは、馬車に乗る前にわざとらしいまでに彼女のドレス姿を称賛した。


「イブニングドレスの姿を見るのは初めてだね。とても綺麗だよ、リュシエンヌ」

「ありがとうございます」


 そう言いながらリュシエンヌの手の甲に唇を落としたレナルドの服装を見て、彼女は心の中で嘆息した。彼女が着ているのは、初めて袖を通すドレスで、夜会に先だって急いで仕立てたものである。デザインはリュシーには選ばせてもらえず、彼女のクローゼットにあった他のドレスに比べると、意匠がずいぶんとかけ離れていた。その理由をレナルドの服で察する。


 レナルドが身に着けているのは、群青色を基調とした礼服だったが、どう見てもリュシエンヌが着ているドレスと共布が用いられていて、同じデザイナーが仕立てたと思われる。わざわざ揃いの服をあつらえたということらしい。婚約者同士や夫婦で夜会に参加する時、このように共布の服で参加することは珍しくないが、それは仲睦まじい関係に限った話である。


(仲がいいってアピールを世間にしたいの? いずれ婚約破棄をするのに、なんのために?)


「今日は動揺しないんだね?」

「何がです?」


 顔を上げたレナルドは面白そうなものを見る顔で、彼女の手を握っていたのをさらに指をからめ、それを自身の顔に近づける。そうしておいて今度は手の甲ではなく手の平に唇を押し当てられた。


「わっ」


 思わず声をあげてリュシーが、ぱっと手をひっこめれば、レナルドはふふっと笑った。まるで彼女が恥ずかしがるのを見たかったかのように。


「僕のあげたペンダント、つけてくれてるんだね。嬉しいよ」


 目を細めたレナルドは当然のようにペンダントトップを手にとってそれに口づける。


「え、あ……はい」

(私の反応を探ってるの?)


 屋敷の前で見送りにきていたメイドたちがふたりのやりとりを目撃して、凍りついているのを気付いているだろうに、レナルドはリュシエンヌにだけ目を向けて「行こうか」と馬車へと誘った。


 馬車の中ではいつも通りベルナールも同席していたが、リュシエンヌは気になっていたことをレナルドに聞くことにした。


「どうして夜会に誘ったんですか?」

(今までの『リュシエンヌ』には誘ってこなかったくせに)


 その批難を滲ませた彼女に対して、レナルドは首をかしげる。


「だめだった?」

(だめって即答したいけど……)


「そうではなくて……今までお誘いがなかったので、急にどうされたのかと思いまして」

今の・・リュシエンヌと一緒に夜会に出たくなっただけだよ」


 眉間に皺を寄せたリュシエンヌに、レナルドは笑う。


「その顔、『リュシエンヌ』らしいね。誘った理由はすぐわかるよ」


 不機嫌そうな顔を『らしい』と言われてまたリュシエンヌは苛立つ。そして言葉の通り、レナルドが夜会に誘った理由はすぐにわかった。


 夜会のファーストダンスは、パートナーと共に踊るのだ。護衛騎士のベルナールも会場には一緒に入ってきているが、ダンスの時だけは横にぴったりと張りついているわけにはいかない。周囲に人はたくさんいるが、踊っている時の密着具合であれば、密談を交わすには充分である。


「ね、わかったでしょう?」


 ダンスのためにリュシーの腰をホールドして、ステップを踏みながらレナルドは耳元に囁く。ふたりきりにならずとも、ふたりきりで会話ができるのだとわかっていれば、なんとしてでも避けたものを。そう考えてももう遅い。


「それで、君は誰、って質問には答える気になった?」

「……私はリュシーです」


 渋々ながらにそう答えた彼女に、レナルドは「ふうん」と呟く。今踊っているのはパートナー同士で目線を合わせないダンスのはずなのに、リュシエンヌには彼の視線が彼女に突き刺さっているのを感じた。そのせいで、ほんの一拍ほど、レナルドのダンスのリズムがわずかに乱れたのをリュシエンヌは気づかなかった。


「そっか。リュシー、か……」


 ふふっと息を漏らしたレナルドは、ほんのりと苦い笑みを浮かべる。だが、すぐに目元を緩めた。その顔を、ダンスの手本通りにレナルドから顔を逸らしていたリュシエンヌは見ていない。


「それって『リュシエンヌ』じゃなくて、恋人らしく『リュシー』って呼んで欲しいってこと?」

(恋人!?)


 ぎょっとしたリュシエンヌが思わずレナルドの顔を見る。片目しかない群青の瞳が、やけに熱く彼女を見つめていた。


「違います」

「リュシー」


 否定の声と、甘く囁く声は同時だった。まるで本当の恋人同士のようにその声音は優しい。しかし、先日彼女の首元に手を回し、すぐにでも首を締めてやると態度で脅しつけてきていたレナルドを覚えているリュシエンヌにはただ恐怖でしかない。


「リュシエンヌです」

「君は言うことがころころと変わるね。でもリュシー。君の名前はもうもらったよ」


 リュシエンヌの身体をくるりと回転させて、再び腕の中に戻して再びステップを踏む。まるで今まで何度も一緒に踊ってきたかのように身体はスムーズに動くのが憎らしい。いっそレナルドの足を踏んだり無様にリュシエンヌの身体が転んでしまえば、この場から逃げられるのに。


「君は、もうリュシエンヌじゃなくて、リュシーなんだよね? ……なら、もう君が誰かなんて聞かない」

(その呼び方を受け入れれば、聞かないってこと?)


 確実に、以前のリュシエンヌとは違う人間だと、レナルドは気付いている。嘘を見抜くと言っていたが、それに関連した祝福でも持っているのだろう。追及しないでくれるというのなら、刺激をしないためにもそれを受け入れた方がいいのかとリュシエンヌは考える。


「……お好きになさってください」


 その答えに満足したのか、レナルドはホールドする腕の力をきゅっと強めた。


「うん……もう、遠慮しなくていいってことだね」

「え?」

「これからも一緒に夜会に行こう。今のリュシーなら大丈夫だろうから」

「それはどういう」

「ふたりきりになる機会を作るのは、この先も難しそうだけどね」


 踊りながらベルナールのほうを見て、レナルドは言う。


(もう聞くことがないのに、まだ二人になる必要があるの?)


 レナルドの意図が読めずにリュシエンヌは考えるが、突っ込んで聞けばまた彼女の正体について追及されそうで怖い。


(形だけの婚約者が別人になったことなんて気にしてないで、イリスのことを考えてくれればいいのに)


 そうすれば自分はフェードアウトして逃げるだけだ。

 機嫌よさそうに踊るレナルドはそのまま、リュシエンヌにそれ以上質問を重ねることなく、ファーストダンスが終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る