第12話 悪役令嬢の護衛騎士

 気まずい帰りの馬車をなんとかやりすごし、リュシエンヌたちは屋敷に戻った。レナルドは馬車の降り際に、リュシーの首にさげたペンダントトップに口づけてから、さらには手の甲にまで口づけ、「またね」と無駄に色気を振りまいて帰って行ったのがまた怖い。


(レナルドは何を考えてるんだろう)


 彼の乗った馬車を見送って、リュシエンヌは溜め息を吐く。


「リュシエンヌお嬢様、まだ御気分が優れませんか?」


 気遣う声を掛けられて、リュシエンヌは苦笑した。


「ありがとう、ベルナール。ちょっと疲れちゃったみたい」

「王子殿下とお二人でいらっしゃったときに、何かあったんですね?」


 確信に満ちた問いかけにリュシエンヌは驚いてしまう。


「何かって? ……あ、護衛を離れたことを気にしてるのね。そんなに心配しなくても……」


 ベルナールを慰めようとしたところで、リュシエンヌは、はた、と止まった。


(戦争もなくて安全な街中で、どうしてあんなにベルナールはレナルドとふたりになるのを阻止しようとしたのかしら)


 彼は実に優秀な護衛騎士で、小説の中でも忠誠心が高かった。だが、単純な忠誠心だけでは説明がつかない。


 今日のレナルドはいささか腹黒さが透けて見えすぎていた。とはいえ、リュシーの過去の記憶を見る限り、表面上は常に穏やかで爽やかな人畜無害の王子を装っていたのだから、ふたりきりになるのを警戒するような要素はないはずだ。


 確かに結婚前の男女がふたりきりになるのは良くない。貞操の問題もある。そうはいっても年齢的にはそろそろ結婚をしてもいい年齢だ。しかも二人は婚約者同士である。万が一にでも一線を越えたところで、既成事実になり王家に嫁ぐのが早まるだけだろう。それはルベル家にとって特に問題はないはずだ。むしろ王家との繋がりを確実に持とうと、バティストならば既成事実を積極的に作りそうなものであるが。


(……そっか。ベルナールには、リュシエンヌの監視の任もあるんだわ)


 リュシエンヌはこれまでずっと、バティストに折檻を受けていた。身体に残る傷はないが、もし彼女がそれを外に吹聴したりすれば、外聞が悪いだろう。


「お父様はどうして、私を一人にしないのかしら。どうしていつも、レナルド様とふたりきりになるのを、許されないのかしら」


 ぽつりと言えば、ベルナールの顔がわずかに歪む。


「……お嬢様の安全のためでしょう」


 ベルナールが何かを誤魔化すように『安全』と口にしたのだから、貞操などの問題でないことは明らかだ。


(ああ)


 聞かなければいいのだろう。察しているのだから、わざわざ確認するまでもない。なのに口は勝手に動いている。


「私がレナルド様に何かを告げ口したりしないように監視するためじゃなくて?」

「リュシエンヌお嬢様!」


 顔色を変えたベルナールが周囲を見て、誰も聞いていなかったかどうか周囲を探る。幸いというべきか、リュシエンヌをわざわざ玄関まで迎えに出るメイドたちはいないから、立ち聞きする者もいなかった。


「体罰が漏れたらまずいし、私が祝福を持ってないことがバレてもいけないもんね」

「お嬢様!」


 小さく、それでも叱咤の色を含ませた声でベルナールが制止する。その様子で、リュシエンヌは得心した。


(やっぱり、ベルナールは監視かぁ)


 なんとなく、彼は味方のような気がしていた。それはこの世界に来て初めて言葉を交わした人だからなのもあるし、ベルナールだけは小説の中でも、幼いころに見た夢の中でだって、ずっと、味方だったのだから。きっと、リュシエンヌの中でバティストよりも家族みたいな存在だ。


(今まではそれを、私に知られないようにそばにいたのね)


 ちくりと痛んだ気がする胸を無視して、リュシエンヌはもう一つの問題に想いを馳せる。


(折檻よりも、祝福のほうが問題なのかも)


 貴族が身に宿す祝福の確認は家族の立ち合いのもと神殿で行われ、基本的にはどんな祝福があるのかについては秘匿される。それが特別な祝福で神殿に仕えるべき類のものでない限りは、家族やごく親しい間柄でのみ知らされるのだ。だから、レナルドはリュシエンヌが祝福を持っていないとは知らない。


(平民は祝福を持たないみたいだし、祝福がないってバレたら、私が貴族じゃないってことになるものね。貴族の血筋じゃないって事がレナルドに知られたら婚約破棄されるだろうし。それで秘密を漏らさないように、ベルナールに監視させてるんだわ)


 ベルナールだけはリュシエンヌの秘密を周囲から守るために、彼女が祝福を持っていないことを通達されているのだろう。


(むしろ、祝福がないことをレナルドに知らせて、こっちから婚約破棄するのはどうなんだろう? ううん、今は彼に婚約破棄のメリットがないからきっと無理。なら、言わないほうが……)


 思考に飲まれて黙り込んだリュシエンヌをベルナールはどう勘違いしたのか、困ったように彼女の顔色をうかがった。


「告げ口だなどと、私はそのようなことは心配しておりません。ただ……殿下とお二人になられた後からずっと、お嬢様の顔色が優れませんので……」


 リュシエンヌを見つめる瞳には、ただ心配の色だけが浮かんでいる。


「……あ」


 彼の拳は固く握られている。


(そうだよね)


 張りつめていた気持ちが、ゆるゆると少しほぐれて、不意に笑みがこぼれた。


「ベルナールは心配性ね。大丈夫よ」

「お嬢様……差し出がましいようですが、悩みがあるならおっしゃってください」


 なんだかその気遣いに泣きそうになる。ベルナールは確かに、バティストに監視を命じられているのだろうが、きっと、彼がリュシエンヌを心から守ろうとしてくれているのは間違いない。


「ありがとう……でも」


 大丈夫、と続けようとした言葉が、ベルナールに遮られる。


「お嬢様は、誰とも目を合わせませんでしたのに、昨日から急にそのように目を合わせてくださる。何か、あったのではありませんか?」

「……そうね」


 目を逸らそうかとも思ったが、いまさらだった。


(リュシエンヌの態度が突然変わったら、不審に思うよね。レナルドも、ベルナールも……原作者なのに、リュシーらしく全然振舞えてないんだから。ううん、そんなふうに行動しようなんて、最初から思ってもなかったけど)


 はあ、とまた溜め息が漏れる。


(でも)

「変わろうと思ったの」

(というか、中身が変わっちゃったんだけど)

「変わる?」

「うん。だからこれからは今の私に慣れてね。……こんな私は嫌?」

「嫌だなどと! そんなことあるわけがありません!」


 ベルナールが、ぱっと彼女の手をつかんで大きな声をあげる。しかしすぐにその無礼に気づいて、「失礼しました」と手を離した。自分の行動に照れたのか、その耳が少し赤い。


「……まるで昔のお嬢様に戻られたようで嬉しいです」

「昔?」


(いつのこと?)


「ああ、いえ。申し訳ありません。私の言葉はどうかお気になさらず。お嬢様がご無理をなさってないのであればいいのです。どうかそのまま、お心の向くままにお過ごしください」


 目を細めたベルナールが告げるのに、リュシエンヌは居心地が悪くなった。


(彼が心配しているのは本当の『リュシエンヌ・ルベル』だもんね。なんか騙してるみたいで申し訳ないな)


「……ありがとう」


 そう答えて、リュシエンヌはベルナールと共に屋敷の中へと入った。



***



 それからの数日、リュシエンヌはこの世界に慣れるのに専念することになった。当然ではあったが、何日経ってもリュシエンヌが元の世界に戻ることはない。それでも寝て起きたら夢だったのではないかと、毎日鏡を見て、鏡に映るのがリュシエンヌ・ルベルであるということを確認する日課ができてしまった。


 世界に慣れるのに専念すると言っても、慣れるのは簡単だった。リュシエンヌ・ルベルの一日は、屋敷にほぼ軟禁されているようなものだったから、緩やかに時は過ぎていく。バティストの前で魔法を発動させたことで、彼女の待遇は前よりはよくなったようだが、世話をするメイドが少し増えた程度だ。身の周りの細かい世話については、貴族令嬢としては通常ありえないことだが、メイドが着く前はリュシエンヌ自ら行っていたから今もそれは変わらず、接する人間も少なくて気が楽だった。


 一人の時間も多いから、部屋の中でこっそり魔法の発動の練習をしてみたりもできた。感覚が全くつかめないから未だ魔法を使えてはいないのだが。


 髪やドレスの後ろの紐を結うのはメイドがやってくれるが、基本的に室内で過ごす時に着る室内ドレスは手伝いの必要なデザインではなかったし、外出がなければ髪も結わない。だから側にメイドが張り付いていることもなく、ただ自室に閉じこもって本を読みながら時間を過ごすのがメインだった。


 本来の貴族令嬢と同じ待遇にならないのは、バティストが実子でないと思っている子どもに金をかけるつもりはないということだろう。それがたとえ、魔法が使えるようになり嫁として出す商品価値が上がったとしてもだ。


 家庭教師が来る時もあるが、これはリュシエンヌを『売り物』としての体裁を整えるためだと推測された。授業内容は主にダンスと礼儀作法についてだったが、これはリュシエンヌの身体が覚えていてくれたから、なんとかなった。


 リュシエンヌは形式的にデビュタントは済ませているし、夜会のためのドレスや装身具類は持っているがその出番は特にない。記憶の中でも、リュシエンヌがデビュタント以外の夜会に出た記憶がない。


 リュシエンヌは着替えのためのクローゼットを開いて、思案する。


(婚約者がいるからレナルドと一緒じゃないと夜会に行けないのに、レナルドがリュシエンヌを夜会に誘わないんだよね。まあ、レナルドも欠陥王子だなんて呼ばれてるから夜会になんて出たくないだろうけど)


 そこまで考えたところで、違和感を覚える。


(……あの人なら、それ以外の理由があって夜会に出てない、ってこともあるのかも)


 腹黒な王子のことだ。何を考えているのかはわからない。

 先日の街での買い物の際に、ドレスや靴も贈られているが、いずれも外出用のものだから、そもそも着ていく場所もないのだ。


(ペンダントだけは使えるけど……)


 胸元にさげたペンダントになんとなく指先で触れて、リュシエンヌはかっと頬を染める。


『できるだけつけてね』


 レナルドにそう言われていたペンダントとはいえ、律儀につける必要はないはずだ。だが念を押すように言われたせいで、なんとなくはずすことができない。


(そうよ、つけたくてつけるわけじゃなくて……言われたから、だから)


 なぜか言い訳のようにそう考えて、リュシエンヌはため息を吐く。


(…………調子狂うなあ)


 レナルドはリュシエンヌの正体を怪しんでいるふうなのに、贈り物をたくさんしてくれた。それも実に楽しげだった。わざと甘い言葉や態度を見せたりして、リュシエンヌをからかってでもいるのだろうか。それにしては一つ一つの行動には、嘘くささがない。


(それより次の予定よ!)


 考えても理解できない相手のことよりも、明日もあるダンスの授業に想いを馳せてリュシエンヌは憂鬱な気持ちになった。


(使うあてのないものを練習しても意味ないのになあ)


 身体が覚えていて踊れたとしても、楽しいかどうかはまた別の話だ。ダンスレッスンの先生は特に厳しくて、クタクタになってしまう。軟禁生活だから少しは身体を動かしたほうがいいのだろうが、憑依前から小説家として家に引きこもって、執筆作業をするのが常だったから、動かないのも軟禁状態もほとんど気にならなかったのだ。むしろ定期的にしっかりと身体を動かすほうが慣れない。


 しかし、役に立たないと思っていたものは、唐突に出番ができてしまう。


「お嬢様、王子殿下よりお手紙です」

「え、手紙?」


 メイドから手紙を受け取ったリュシエンヌは、内容に目を通して声をあげた。


「夜会のお誘いですって!?」


 今まで一度も誘われることのなかった夜会に、なぜか誘われてしまったのである。

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