第10話 甘すぎるデートの理由

 時は店が立ち並ぶ街中に到着した頃にさかのぼる。馬車を降りた三人は、いくらも歩かないうちに暴漢に襲われそうになっている少女を一人助けたということ以外は、問題なく街の中を散策していた。朝食をとっていなかったリュシエンヌのためにカフェテリアには寄ったりもしたが、本来の目的はお茶屋である。すぐさまに行くのかと思えば、そうではないらしい。


「あそこに入ってみようか」


 レナルドが指さしたのは装飾品を扱う店だった。


(お茶屋さんに行くんじゃないの?)


 リュシエンヌのその気持ちが、ありありと顔に出ていたのだろう。レナルドはくすくすと笑って、彼女の髪をすくう。


「君に似合うアクセサリーを贈りたくてね」

「そんな、贈りものなんて」

(もらっても持て余す)


 慌てて手を振ったリュシエンヌに構わず、レナルドは出かける前と同じ仕草で髪に口づけて、上目遣いにリュシーを見つめる。


「久しぶりに王城以外で会うんだ。目的のお店だけ行くのはもったいないでしょう? 僕のわがままを聞いてくれると嬉しいんだけど、だめかな?」


 言われた途端に、リュシエンヌの胸がどっと跳ねる。


(この人……自分の顔の良さを知っててやってない?)


 別に彼のことが好きなわけではないが、整った顔の男にまるで口説かれるかのような仕草をされれば、誰でも一瞬はたじろぐだろう。


(さっきから本当に、なんでこんなこと……あ)


 レナルドの行動の意味がわからず、顔がややひきつったところで、思い至った。


(私が婚約破棄の話を持ち出したから、逃げられないようにこうしてるのかしら)


 だとすれば納得できる。まだ婚約破棄をされては困るのであれば、多少のご機嫌伺いはするだろう。今までだって記憶の中の彼はリュシエンヌに対して物腰は柔らかで優しかった。けれども今日はあからさまに態度がおかしい。その理由が婚約破棄回避のためのご機嫌とりならば、少々腹黒さも感じるがレナルドの行動ももっともだろう。


(小説の中では、誠実一辺倒のキャラだったんだけどな……)


 彼の態度に合点がいったリュシエンヌは、そっと息を吐いてまっすぐにレナルドを見つめ返した。


「……いいですよ。ですが、離していただけますか?」


 そっと手をおしとどめてリュシエンヌが言うと、上目遣いのレナルドは口元をわずかに笑ませる。


「ん、ごめんね?」


 惜しむように髪にもう一度口づけて、彼は手を離した。


「リュシエンヌに似合うものがあるといいな」


 上機嫌なレナルドは、リュシエンヌをエスコートして装飾品店に入る。そうして店の中では様々な宝石類を見せられ、甘い言葉に見せかけた『王子の威圧』で次々と装飾品の試着をさせられた。リュシエンヌが引き気味の様子を見せても、彼はお構いなしだ。


「うん。全部似合うけど、やっぱりこれが一番いいかな?」


 レナルドが選んだのは、透き通った群青の宝石と紫の宝石を組み合わせた飾りが印象的なペンダントだ。大きな宝石を小さな宝石で彩るデザインならば珍しくないが、レナルドが選んだペンダントは、二つの大きな宝石を涙型にカットしてあるのが特徴的だった。彼女はあまり見かけないデザインだと思ったが、群青と紫の組み合わせはこの世界ではありふれているようで、見せてもらった他の宝石にも似たようなデザインのものはいくつかあった。


 リュシエンヌは最低限の装飾品しか与えられていなかったので装飾品類の流行りや一般のスタイルについての記憶はない。とはいえ見る限り、おそらく暁の男神と宵の女神をモチーフにしたごく一般的な装飾品のデザインなのだろう。


 それらの中でもひときわ石の大きいものをレナルドは選んだ。


「これを頂くよ。支払いは……」


 店主に向かってそう告げ、リュシーが口を挟む間もなくレナルドは支払いを済ませてしまう。


「レナルド様、こんな高価なものをいただくわけには……」

「僕がリュシエンヌに持っていて欲しいんだ。ほら、背中を向けて。つけてあげる」

「でも」

「ね?」


 笑顔にまたも圧されて、リュシーは背中をむける。つけやすいように髪を横に流してうなじを露わにしたところで、はっと気付いた。


(ネックレスならともかく、チェーンがあんなに長いんだから、自分でつけられたんじゃない?)


 思った時にはもう遅く、レナルドに無防備なうなじを晒してペンダントがつけられてしまっている。


(ちょっとはずかしかったかも)


「ありがとう、ございます」


 ほんのりと頬が熱くなったような気がしながら、リュシエンヌは髪を戻してレナルドを振り向けば、彼は柔らかに笑んでいた。


「どういたしまして。……やっぱり似合っているね。良かった」


 言うと同時に、レナルドがペンダントトップを手に取って、それに口づける。


(婚約者へのリップサービスのつもりなんだろうけど……この人恥じらいとかないのかな)


 顔をひきつらせたリュシエンヌは、髪をすくわれた時よりも近いその距離感に身体が硬直してしまう。レナルドの奇行に気を取られて、そのペンダントトップがわずかに輝いたのには気付かなかった。


「じゃあ、次のお店に行こうか」

「次?」


 戸惑うリュシエンヌをよそに、楽しそうにしているレナルドに連れまわされ、次々と店を移動してはレナルドは彼女に物を買い与えた。街を散策するのに靴が歩きにくいと言って、リュシーの新しい靴を買い、次の茶会で着てきて欲しいとドレスを買った。断ろうとするたびにレナルドはあの手この手で説き伏せるから、結局は全て受け取るはめになる。冷遇されているとはいっても、さすがに王子だけあって懐はあたたかいらしい。


 供は護衛騎士のベルナールしかいかないから、次々と増える荷物は必然的に彼が持つことになる。これでは有事の際に剣を手に取ることも難しいだろう。


「さすがに買いすぎちゃったね。一度馬車に荷物を置きに行こうか?」

「あの、お茶屋さんに行ってそろそろ帰りませんか?」

「でもまだ時間はあるだろう?」


 質問を質問で返されて、リュシエンヌはむっとする。


(この人、イリスが好きな癖になんでこんなにデートを長引かせようとするのよ。今はご機嫌とりかもしれないけど、そもそもデートに誘われた意味もわからないし……)

「ちょっと疲れてきてしまったので……すみません」


 申し訳なさそうな表情を作った途端に、ぐうううう、とリュシエンヌのお腹の音が盛大に鳴る。


(うそでしょう……)


 周囲には聞こえていないだろうが、レナルドにはしっかり聞き取れたらしい。リュシエンヌはあまりの恥ずかしさに頬が赤くなった。街についてからすぐにカフェテリアで軽食はとっていたものの、ずいぶんと連れまわされたから今はもう昼近くなのだし、お腹が鳴っても仕方がないだろう。


「ふ……っそ、っか、気づかなくて、ご、め……」


 さっと口元を抑えてレナルドが言うが、震えている肩で笑いをかみ殺しているのはバレバレである。だが、その笑いは先ほどまでの作ったような甘さではない。


「お茶の店に行くにしても、少し休憩してからにしよう、リュシエンヌ」


 笑いをおさめたレナルドがそう言うのに、リュシエンヌは頷く他ない。


「じゃあやっぱり荷物は馬車に預けよう。君もそれでいいね?」


 この問いかけは、ベルナールへ向けたものである。


「お気遣いありがとうございます。ではそのように……」

「僕たちは先にお店に入っているから、後から来てくれる?」


 レナルドが指さしたのは目と鼻の先の店である。ずいぶんと色々な店を回っていたように思えたが、いつの間にかそこは最初に馬車を降りたところに近い。恐らくすぐそばで馬車は待っていることだろう。ベルナールが離れたところで、すぐに合流できる。それに街中だからふたりきりになるということもない。


「それでは、殿下とリュシエンヌお嬢様がお二人になってしまいます。護衛としてお側を離れるわけには参りません」


 ほんの少しの距離でもきちんと護衛の役目を果たす、というベルナールの気概に、レナルドは嘆息する。


「君は真面目だね。わかった。じゃあ、店の前まで一緒に来て。店の中はさすがに安全だからね」

「ですが……」


 店の中での護衛がいなくなるのもだめだとベルナールは渋る。


「君はその荷物を下ろさないと護衛本来の役目を果たせないだろう? それにリュシエンヌを早く休ませた方がいい。違うかい?」

「……わかりました。では店の中に入るところまでご一緒させていただき、馬車に荷物を置いてまいります」


 妥協案を受け入れざるを得なかったベルナールは了承して、店に二人が入るところまで送った。


「では、すぐに戻ってまいりますので、お待ちください」

「うん。頼んだよ」


 当然のように指示を出してレナルドはベルナールを馬車へと向かわせる。


(まるでレナルドの従者みたい)


 お腹が空いていたのは確かだし、ベルナールに荷物を持たせたままずっと歩かせるのも気が引けていたから、荷物を置きに行かせたのは構わないが、レナルドの行動に違和感はある。釈然としないままレナルドを見ると、にっこり笑った彼がエスコートのために握っていた手をぐっと引いた。


「な、なんですか?」

「お店を間違えたみたい」


 レナルドは店の人間に声をかけるとチップと共に何ごとかを頼んでさっき入ってきたばかりの店のドアからリュシエンヌを連れて出る。急いで移動しているのだろう、ベルナールの姿はもう店の近くには見えなかった。


「こっち」


 店から出たレナルドはすぐさまに建物の脇に曲がって、リュシエンヌを引っ張りこんだ。薄暗く狭い路地に騙し打ちのような形で引きずりこまれて、リュシエンヌに緊張が走る。けれどまだ声を荒げるほどではない。


「レナルド様、お店を離れてはベルナールが困ります。戻りましょう」

「大丈夫、さっきお店の人に彼への伝言は頼んでおいたから」


 にっこりと笑ったまま、レナルドはリュシエンヌの手を離さず、そのままずんずんと路地の奥の方に進んで行く。


(何を考えてるの、この人本当に……!)

「どういうつもりです。離してください」


 振り払おうとした腕は、逆に引っ張られて彼の腕の中にすっぽりと閉じ込められてしまった。この時には既に、大通りからかなり離れてしまっている。


「やっと二人になれた」


 腕の中のリュシエンヌを見つめて、レナルドが微笑む。


(……甘い婚約者の演技の延長? でもそれにしては……)


 何か変だ。お茶会のときの穏やかな様子とも、今日のデートの間のわざとらしい甘さとも今の彼はなんとなく違う。


「彼、なかなかしつこかったね。何度か引き離そうと思ったんだけど、難しかった」

「わざとベルナールから離れたんですか?」


 リュシエンヌの声に、レナルドは彼女の髪を撫でてこのうえなく綺麗に口を歪めて笑む。


「もちろん。君と二人だけで、話したいことがあったんだ」


 セリフや声音、そして表情を周囲から見れば、これは恋人同士の甘い抱擁なのだろう。けれど、リュシエンヌは嫌な汗をかく。


「やっぱり、大事なお話があったんですね」

「うん、そう。だけど、護衛騎士に聞かれるわけにはいかなかったからね」


(小説の中では、レナルドは品行方正の優しい王子だったのに……)


 その優しさは、悪役令嬢であるリュシーを最後まで討伐ではなく説得をしようとしていたところにも現れていた。こんなふうに笑顔が怖いキャラクターでは決してなかったし、透けて見える腹黒さが特徴のキャラクターでもなかったはずである。


(どうしてこの人はこんなに怖いの?)


 腰をしっかりとホールドしたまま、レナルドがリュシエンヌの顎を持ち上げて、彼女と視線を合わせる。その瞳を覗き込むように見つめた顔から、不意に笑顔が消えた。


「君は、一体誰?」


 低い声がリュシエンヌの耳に刺さった。

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