第9話 お出迎え

 翌日は、リュシエンヌの部屋に医者がやってきた。昨晩倒れたということで呼ばれたのだろう。


「特に異常はないようですね。お疲れが溜まっていらしたのでしょう」

「目は変じゃありませんか?」


 左目を指すと、医者はにこりと微笑んだ。


「美しいアイスブルーの瞳ですね。問題はございませんよ」

(色が戻ってるんだ……それともベルナールの勘違い?)


 ちらりとベッドの脇に立っている護衛騎士を見れば、彼は困惑したような顔をしている。


(ベルナールが嘘をつく意味がないもんね)


 昨日、群青だと言われた目が戻っていると言われても、鏡を見ていないリュシエンヌには本当に目の色が変わっていたのかどうか実感がない。しかし、側で控えている心配そうに彼女を見つめているベルナールが嘘をつくとは思えないから、色が変じていたというのも、今再びアイスブルーの瞳に戻っているのも本当なのだろう。


「そうですか。ありがとうございます」

「いえいえ。ではまた何かありましたら、すぐお呼びください」

「はい」


 そう会話を終わらせ、医者の診察は終わった。


「では、お嬢様。お仕度のお時間です」

「ああ……そうだったわね」


 レナルドとの外出の約束は、今日だった。王子の身分で外に出かける予定をすぐに立てられるのは通常で考えればおかしいが、彼はいないも同然の王子である。予定も何もあったものではないのだろう。


 ベルナールがそう声をかけると、メイドが数人部屋に入ってくる。首を傾げていると、ベルナールが苦笑して告げる。


「……お嬢様のために本日からついたメイドです」

「そうなのね」


 メイドたちはドレスを持って会釈して仕度を始める準備をしている。どうやら、バティストはリュシエンヌのことをきちんと令嬢としての待遇をすることにしたらしい。昨日魔法に目覚めたおかげだろう。


(利用価値があるから掌返しってことね)

「では私は、部屋の外で待っております」

「お願い」


 呆れながらもリュシエンヌはメイドたちの助けを借りて出かける仕度をしはじめた。そこからいくばくも経たないうちに、部屋のドアがノックされる。


「お嬢様、第五王子殿下がお見えです」

「えっ?」


 ベルナールの言葉に驚いてリュシエンヌは立ち上がった。


「ええと……」


 ドレスは着おわっているが、まだ髪をとかしつけただけで結っていない。髪をきっちりと結うのであればまだ時間が欲しいところである。しかし、迎えに来たという王族をいつまでも待たせるわけにもいかないだろう。


(私が王城に行って、そこから移動する約束だったのにどうして迎えに来たの?)

「お嬢様、これを」


 慌てたメイドが、髪を下ろしたままでもつけられる飾りをさしてくれる。


「ありがとう。殿下のところへ行くわ」


 リュシエンヌはベルナールを伴って、メイドの先導ですぐにレナルドの待つ応接室に向かった。


 応接室に入ると、レナルドが一人ソファに座っていたが、突然の訪問のせいでまだお茶も出せていないようだった。昨日のお茶会の時もだったが、レナルドは供をつけずにここに来ているらしい。応接室にはルベル家のメイドが一人ついているだけだった。恐らく別のメイドが今慌ててお茶の準備をしているところだろう。


「やあ、リュシエンヌ」

「レナルド様、お待たせして申し訳ありません」

「ううん、僕が急に来たせいで急がせてごめんね」


 ソファから立ち上がったレナルドは、リュシーに近寄ると彼女の髪を一筋すくって口づける。


(えっ?)

「いつも結ってるけど、下ろしてるのもとても似合ってるね」


 口づけたままの姿勢で上目遣いに群青の瞳が見つめてきて、リュシエンヌは固まる。


(どういう、つもり……?)

「あ、ああ、ありがとうございます?」


 突然のことに、顔がひきつるのをなんとか抑えようとするが無理だった。澄んだ群青の瞳から目を離せないままに、不自然な笑みを浮かべてリュシエンヌが言えば、レナルドがふっと笑う。


「顔が赤い。……可愛い」


 まるで恋人に囁くかのごとく甘いセリフだ。


(昨日は普通だったのに、急にどうしたの……?)


 どう反応するのが正解なのかわからず、リュシエンヌが硬直していると、レナルドがまた笑って髪をやっと離した。そうしてすぐにリュシエンヌに向かってすっと手を差し出す。


「じゃあ、行こうか」

「はい……」


 エスコートの手を断るわけにもいかず、差し出された手を取って、リュシエンヌはレナルドと一緒に歩き出す。


(急に変なことしだすからびっくりした)


 リュシエンヌがほっと息を吐いて歩き出したところで、レナルドはちらりと後ろを振り返った。その視線の先にはベルナールがいる。


「今日の護衛も彼が?」

「はい。ベルナールは私の専属の護衛騎士なので」

「ふうん……」


 レナルドが視線を走らせると、ベルナールは敬礼をした。


「別の人にはできないかな?」

「え、と……どうしてですか?」


 レナルドの意図をうかがうように顔を見たが、彼は爽やかに笑っているばかりで何を考えているのかさっぱりわからない。


「うーん、なんとなく。だめ?」


 首を傾げて悪戯っぽく言う。


(もしかしてベルナールに嫉妬のふり?)


 すぐにそんなわけない、と思いなおして、リュシエンヌは申し訳なさそうな表情を作る。


「すみません、理由がないのでしたら……」

「ごめん、言ってみただけだよ」

「そうですか……」

(……よくわからないな)


 レナルドのエスコートで屋敷の玄関ホールまで出ると、そこには馬車と馬が用意されていた。


「さ、どうぞ。リュシエンヌ」


 手を繋いだまま馬車にリュシエンヌが乗り込むと、レナルドは後ろに控えているベルナールを振り返った。


「君は馬に乗って来るんだろう?」


 リュシエンヌに聞こえないような小さな声で、レナルドはベルナールに言う。それは言い換えれば『王族と同じ馬車に乗るつもりではないだろうな?』という問いかけである。リュシエンヌが王城に向かう際、いつもベルナールと一緒に馬車に乗って来ていることをレナルドは知っているようだ。その上での釘刺しだろう。


「殿下、申し訳ありませんが……」

「どうしたんですか?」


 ベルナールが口を開いたところで、なかなか乗ってこない二人に、リュシエンヌが馬車から顔を覗かせる。


「二人とも乗らないんですか?」


 ベルナールも一緒に乗るのは当然だという顔でリュシエンヌが言うのに、レナルドは微笑んだ。


「彼は馬に乗って行くそうだよ」

(昨日は一緒の馬車だったのに?)


 ぱっとベルナールを見ると、わずかにではあるが困ったように眉を下げている。


(……レナルドとふたりきりなのはちょっと気まずいからベルナールにいて欲しいな)


 なんだか、ベルナールのいないところでレナルドと過ごすのは危険な気がする。


「ベルナール、いつも一緒の馬車で行っているでしょう? 何かあったときに隣に居ないのは困るもの。一緒に乗って行くでしょう? レナルド様、構いませんか?」

「……リュシエンヌがそう言うなら、もちろんいいよ」


 ちらりともう一度ベルナールに目線を向けて、レナルドは頷く。


(良かった……けど、レナルドにわがままを言って大丈夫だったかな)


 そんな不安を抱えながら、ふたりきりになるのを回避したというのに、その数時間後、リュシエンヌはまんまとベルナールと引き離されてしまった。


 街の建物の隙間、そこに身体を押し込められて、レナルドの腕の中にリュシーは閉じ込められている。ちらりと表通りを睨んだレナルドは、彼女を離さないままに溜め息を吐いた。


「やっと二人になれた」


 腕の中のリュシーを見つめて、レナルドが微笑む。


(どうしてこうなっちゃったの……?)


 群青の瞳が見つめるのから目をそらせないままに、リュシエンヌは心の中で頭を抱えるはめになるのだった。

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