第5話 王子様との邂逅

 バティストとの面会を終えたあとは、婚約者とのお茶会が待っている。リュシエンヌはベルナールを伴って、お茶会に向かっているところだった。


(魔法はどうやって制御したらいんだろう)


 リュシエンヌは発動の条件を考える。先ほどは強く拒絶を示した瞬間に彼女の魔法は発動した。小説の中でも婚約破棄にいたって追い詰められたリュシーが魔法を使っていたのだから、強い感情がリュシーの魔法の引き金になっているのは間違いない。


(興奮しなければいいってものじゃないだろうし……)


 移動のために乗っている馬車の窓の外にはやがて、王宮の建物が近づいてくる。目的地はこの王宮の中でも端に位置する離宮である。


(この後、王子と対面か。……そういえば、今は小説の中の、どこ時期なのかまだわからないのよね。お茶会は婚約破棄の直前までしてたし……)


「リュシエンヌお嬢様、お疲れですか?」


 声をかけたのは、ベルナールである。馬車に揺られながら、一言も話さずに外を見ていたから心配されてしまったのだろう。


「ううん、少し考えごとをしていただけよ、ベルナール卿」


 リュシエンヌが微笑んで答えると、護衛騎士は驚いたような顔をして、息を飲んだ。


「そう、ですか……?」


 微笑んだベルナールは、やけに嬉しそうだ。そのことに内心リュシーは首を傾げる。


(あ。小説のリュシーはいつも不機嫌そうだったからだ)


 きっと今のように穏やかに微笑んでいることなど、きっと珍しかっただろう。


「心配してくれてありがとう」

「とんでもありません」


 穏やかな空気が流れて、リュシーの気持ちがほわっと和らいだところで、馬車が止まった。そうして、ベルナールのエスコートで馬車から降りると、いかめしい顔をした召使いが一人、おざなりな礼をする。


「王子殿下は庭園でお待ちです」

「そう、ありがとう」


 礼を告げて、リュシエンヌたちは庭園へと足を向ける。憑依後はじめて来る場所だが、思い出そうとすればぼんやりとではあるが、記憶を探れるというのはとても便利である。庭園の奥に設置されたガゼボがいつもの茶会の会場だったから、今日もそこにいるのだろう。


 植木で作られた庭園の道を進んでいくと、やがてガゼボが見えてくる。そこには告げられた通り、金の髪の男性――第五王子レナルドがいる。ちょうど背を向けた形で座った彼は、リュシエンヌたちが近づいていることに気付いていないようだった。


(……今、レナルドにはリュシエンヌってどう思われてるんだろう? もうレナルドがイリスと恋仲かな? そうしたら、婚約破棄すればいいんじゃない?)


 思いながら進んでいるが、レナルドはなかなかリュシーに気付かない。何やら手元に持っている何かを熱心に眺めていて、こちらには気付いていないようだった。彼の周りにメイドの一人も居ないうえ、先ほどの召使いがこの庭園についてこなかったのは、レナルドが冷遇されているからだろう。


(そうよ、だってもう私は、バティストの虐待に怯える必要なんてないんだし)


 リュシエンヌがそう考えたときだった。


「……イリス早く、君に……」


 そう呟きながら、レナルドは手元に持っている何かに口づけた。


(え……?)


 呆然とした瞬間、ベタにも小枝を踏みぬいたらしい。パキっと鳴った音で、レナルドが驚いたように振り向いた。


 目が合ってしまったリュシエンヌが気まずいと感じる前に、手に持っていた何かをさっと胸元にしまい込んで見えなくすると、レナルドは立ち上がった。


「やあ、リュシエンヌ。今日は早かったね?」

「あ、はい……」


 何ごともなかったような爽やかな笑顔で、レナルドは挨拶する。右目を眼帯で覆っているにも関わらず、『爽やか』という単語が似合うのは、一重に彼の容姿が美しいおかげだろう。この眼帯こそが、彼が『欠落王子』としてそしられ、離宮で暮らす理由だ。彼は欠陥品として扱われているのだ。


(さっきのって、聞き間違えじゃないよね)


 内心どきどきとしながらも笑顔を貼り付けたまま、リュシエンヌは席についた。その後ろにベルナールが立ったのも、レナルドが手ずからお茶を淹れてくれるのさえ、ぼんやりと受けてしまう。


 イリス。それはヒロインの名前に間違いない。


(婚約者に会う直前なんかに名前を呼ぶなんて、もう二人の仲すごく進展してるってことじゃない)


 愕然としたリュシエンヌは、すぐに次の事実に気づく。


(もう『リュシー』が婚約破棄を宣言されるまで秒読みの段階ってこと!?)


 リュシエンヌは脳内でパニックになる。レナルドとヒロインのイリスの仲がそこまで進んでいるのならば、リュシエンヌがイリスに嫌がらせをすでにくりかえしている可能性がある。


 これは誤算だ。物語が終盤に近いならば、今から状況をひっくり返す手立てなどないかもしれない。


(ううん、待って。でも、イリスに会った記憶がない)


 彼女は小説の中に、リュシーがイリスを知ったきっかけのくだりを書いていない。だとすれば、今のこの瞬間が、小説の中で書かれていなかった、リュシーがイリスを認知した瞬間だという可能性もある。


 ならば間に合うかもしれない。


(要は、私がイリスを虐めずに、穏便にレナルドと婚約破棄すればいいのよ)


 カップに注がれたお茶に目をやりながらも、心ここにあらずのリュシエンヌは考え続ける。


 リュシエンヌが悲惨な未来を避ける手段はいくらでもあるだろう。そもそも小説の中でリュシーは断罪を受けそれを請けいられず、全てに失望して自ら暴れて討伐隊を編成された、言わば魔王のようなものだ。そう考えれば、リュシーが暴れなければ問題ない。


 しかしその対策だけでは万全ではないだろう。憑依前にいくつも読んだ転生もの、憑依ものの物語には、注意しなければならない要素がある。それは原作の強制力だ。主人公の行動で環境が変わっていく場合は問題ない。しかし、どんなに努力を重ねても、原作に示された通りのいくつかの道筋は原作通りに進行してしまうという世界の拘束力のようなものが発動するパターンもある。それが強制力である。


 リュシエンヌのこの憑依が後者だった場合、彼女が何をしても逃げられないことになる。そうじゃなくたって物語が小説後半ならば、この後リュシエンヌは過去の様々な行動の断罪を受けることになるのだ。


 少なくとも、イリスを虐めた記憶はないし、加えて魔法の発動が先んじて目覚めた今の状況は、原作の強制力などないのかもしれない。


(でも……リュシエンヌの記憶のせいで、バティストがさっきは怖かったわ)


 彼女自身はバティストに対する恐怖などない。それでも身体は震えていたし、拒絶から魔法を目覚めさせたのだ。原作の強制力がないとしても、『リュシエンヌの身体』が彼女に影響を与えているのは間違いない。


(状況の整理が必要だわ……)


「……リュシエンヌ?」


 とん、とレナルドがテーブルの端を指先で叩く。


「あ……す、みません。ぼーっとしてしまって」


 はっとしたリュシエンヌはレナルドの顔を見てとっさに謝る。レナルドは気に入らなかったのだろうか、ぴくりと眉を動かしたものの、群青色の瞳を細めて柔らかく微笑んだ。


「会えるのを楽しみにしてたんだ」


 その言葉は、聞き覚えのあるセリフだった。小説の中でも、そして、リュシエンヌの記憶の中でも。

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