第2話 原作者はかく願う

 雷鳴が轟き、強風が荒れ狂う、そんな破滅を描いたような空の下、崖っぷちに立ったリュシーは狂気の叫び声をあげた。


「もう全部、全部! うんざりよ!」


 薄汚れた髪に、ところどころ破れてすすけたドレス。そんなみすぼらしい格好をしてさえ、彼女の顔は壮絶なまでに美しい。その美しい顔を凶悪なまでに歪めた彼女は、甲高い笑い声をあげて、両手を掲げた。その途端に天候の荒れが激しくなり、海の波さえも激しくなる。この荒れ狂う天候を操っているのは、まさに彼女だ。


「やめるんだ!」


 そう叫んだのは、レナルドだった。その背後には銃を持った部隊が並んでいる。


「やめられるわけがないじゃない! もう手遅れだわ! 全部、全部壊れてしまうのよ! 世界も、全部!」


「撃ち方用意!」


 リュシーの叫び声に合わせて、金髪の男性の後ろにいた指揮官が叫ぶ。


「よせ! 彼女は拘束するだけだ!」

「撃てーっ!」


 レナルドの制止を無視して、無慈悲な掛け声が響き、リュシーの身体は無数の弾丸に貫かれる。その衝撃で、彼女は崖から身体を放り出されてしまった。


「リュシー!」


 レナルドがとっさに伸ばした手は空を切り、リュシーはそのまま海の藻屑となる。彼女が海へと消えた瞬間に、リュシーのせいで荒れ狂っていた空はやがて穏やかさを取り戻した。かつて氷の女王と呼ばれ、最期には終焉の悪女と呼ばれた女は消えた。こうして世界に平和が戻ったのである。


***


「我ながら悪役令嬢の扱いが酷いなあ」


 ぱたん、と製本された本を閉じて、女は笑った。

 彼女がいるのはありふれたアパートの一室である。平日の昼下がり、勤め人ならば働きに出ているだろうが、彼女は自室の本が積み上げられたパソコンデスクの前に座っていた。本の表紙を撫でて笑いを納めた女の目元にはクマがあり、身だしなみも決して整っているとは言えず、全身から疲労が漂っている。


「デビュー作、なつかしいな」


 彼女がさっきまで読んでいたのは、他でもない、彼女が初めて作家として出版した本である。そのタイトルは『暁の救世主』。


 婚約者に粉をかけるヒロインに嫉妬した悪女や悪役令嬢が、ヒロインを虐めぬいて断罪される物語。それは彼女がデビューしたころに流行っていた典型の物語で、悪役令嬢ものと呼ばれて親しまれていた。彼女の処女作もこれに該当する。


 あらすじはこうだ。主人公であるヒロインのイリスが欠落王子として不当に扱われるレナルドと出会い恋に落ちるが、レナルドには婚約者が居て恋路を阻まれてしまう。婚約者は悪役となりイリスを虐めぬくものの、最終的には神の子として不遇の立場を覆した王子とイリスは力を合わせて悪役令嬢を退ける。婚約破棄に至った悪役令嬢が怒り狂って魔法の力で世界を滅ぼそうとして王子に討伐されて死に、世界は平和になるというものである。若干のファンタジー要素が入ってはいるもののテンプレート通りの内容に平凡なタイトルで、なおかつ悪役令嬢に救いの欠片もない。とはいえ、彼女はデビュー作ということで大事にしていた。


 彼女は子どもの頃から妄想するのが大好きだった。きっかけは幼いころから頻繁に見る不思議な夢だ。夢を元にして自分で妄想するのが日常化し、妄想を書きためたものが小説になり、気付けば作家になっていた。

 『暁の救世主』も見た夢を物語として再構築して書き上げた物語だった。


「初心に戻れば何か浮かぶかと思ったけど、新しいお話、なんにも思いつかないや」


 何冊も本は出している。けれど近頃はネタに詰まり気味だった。夢を見ないわけではないが、『書きたい』と思えるネタが浮かばないのだ。


 デビュー作の本をペラペラとめくって、悪役令嬢が死ぬシーンに再び目を通す。


「今書くなら、皆ハッピーエンドのお話にするんだろうなあ。辛いし……悪役令嬢も幸せにしてあげたい」


 ははは、と乾いた笑いを漏らして、首を傾げる。


「この話を書いたときは、どうして『リュシー』が死ぬ展開にしたんだっけ……」


 呟いた瞬間に、脳裏に荒れ狂った空と銃を構えた軍人たちがフラッシュバックする。めまいを覚えてくらっとした頭をゆるく振って、彼女は「ああ」と声をあげた。


「そっか、夢で見たんだ……」


 再び本を閉じた彼女は、立ち上がって冷蔵庫から栄養剤を取り出し、カシュ、とふたを開けた。


「あれ? 今日、何本目だっけ、これ……開けちゃったし、まあいいか」


 一気にそれを飲み干した彼女は、パソコンデスクに戻って、深く息を吐く。


「よし、ちょっとは書こう」


 とは言ったものの、彼女のキーボードに添えられた手はなかなか動いてくれない。頭の中ではさっきのデビュー作がどうすれば悪役令嬢も含めてハッピーエンドになるのかを考えていて、新作への意識が動かない。まず、ネタ出しをしないといけなのに、一向に浮かんでくれそうになかった。


 そのまま文章を打ちこめず、カーソルを眺めているうちに目をこすりながら、彼女はパソコンデスクでうつ伏せになる。


「無理……ちょっとだけ、仮眠…………」


 小さく息を吐いて、そのまま彼女の意識は闇に呑み込まれる。その眠りの中では、子どもの時によく見ていた夢を見たような、そんな気がした。

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