第25話 僕は誤った

ドクドクドクと心臓がうるさいし、時計の針はそれよりも速く進む。

知識問題を解けば解くほど、塩瀬さんの顔がチラつく。


僕は、なんて都合のいい予測を立てていたんだ。


問題の形式が変わらないという、理想的な予測。

そして塩瀬さんが30点を確実に稼ぎ、後の10点分を僕が教える。

そしてたらギリギリ40点の赤点ラインは越えられるし、1番現実的に点数を稼ぐ方法だと、数分前までは思っていた。


だが、現実は違った。


知識問題の嵐。

解いても解いても、塩瀬さんの得意な問題はやってこない。

このテスト問題は、全てが知識で完結していて、知っていれば解けるし知らなかったら解けない。




──更に絶望的なのは、古典単語の出題割合の多さ。




ロベリアさんの、最も苦手な部分。

アメリカという異国の地で幼少期を過ごした経験から、ある程度の日本語は理解できても『古典単語』の理解に関しては皆無に等しい。


それは仕方のないことだ。


例えば、仮に英語にも『古典単語』というモノが存在していたとして、僕らはそれを逐一覚えていられるだろうか。

いや、不可能に近い。ロベリアさんはそういう理不尽に晒されているのである。


なのにザッと計算したところ、古典単語の出題割合は約20パーセント。

古文の問題だけに絞って計算すると、およそ8割を占めている。




──これらの問題傾向は、明らかに『意図的』だった。




次の数学も、塩瀬さんの苦手な二次関数が多く出題された。

その次の日本史も、ロベリアさんの苦手な古墳時代の出題が多い。

最後の英語も、大量の単語。塩瀬さんを殺しにかかっている。




──そして、瞬く間に追試テストが終わった。




カァ、カァ、カァ…………


時計はピッタリ四時を指す。

夏場の太陽はまだ高い位置に鎮座し、僕を横から覗き込まない。


僕が机に突っ伏して、1時間が経過した。


先生曰く「採点はすぐに終わるから、そのまま待機していてくれ」とのこと。

なのにここまで時間がかかっているなんて、何があったのだろうか。

もしかするともう、塩瀬さんとロベリアさんの退学手続きの話を始めているのかもしれない。


「──」


「佐藤くん……」


「そっとしてあげて。彼、疲れてる」


塩瀬さんとロベリアさんの会話が、僕の頭を通り過ぎていく。

それはもはや、なんの意味もない記号のようで、僕の思考は理解を拒んだ。




ガラガラガラ…………




暗く、澱んだ思考の中、扉の開く音だけは鮮明に聞こえた。

先生の足音と、軽く上がっている吐息。

教壇の前に立ち止まるまでの些細な音までも、耳に入ってくる。


「塩瀬、ロベリア。……廊下に」


「──はいっ」


「……」


塩瀬さんは返事を返して、ロベリアさんは無言。

2人らしいなぁと思う反面、こんな事で認識したくなかった個性だ。


……先生に呼び出された時の態度なんて。



あぁ、終わった。


なんで問題のことを考慮しなかった?

作成者が2人を退学させたがっていることを知っていたのに、どうしてそれ用の対策を施さなかった?


なぜ、真剣勝負ができると思い込んでいた?







「──佐藤くんっ!」


塩瀬さんの声が、頭上から聞こえてきた。

声色だけで分かる。彼女は泣いている。


「……ごめん」


あぁ、最後の最後に謝るようなら、最初からやらなきゃよかった。

結局僕は、塩瀬さんを地獄から救い出せなかった。

消えてしまいたい。このまま、花や草として生きていたい。


「──顔、あげて?」


「……ごめん」


ロベリアさんも、泣いているようだった。

僕は最低だ。2人の女の子を、泣かせてしまった。


「もうっ! これ見て!」


「……よいしょ」


塩瀬さんにそう言われて、ロベリアさんに頭を持ち上げられる。

するとぼやける視界の中央に、4枚のテスト用紙を掲げている塩瀬さんの姿。


だんだんとピントが合ってきて、そこに書かれている数字が見える。




──43、42、40、46




「──こっちも」


そう言って今度は、ロベリアさんが僕の机の上に4枚の紙をひろげる。

これにもゆっくりとピントがあっていき、やがて四つの数字が浮かび上がる。




──40、47、46、84




「──2人とも、赤点回避?」


「そうだよっ! 私たち、乗り越えたんだよっ!」


「……うん。ありがとう、佐藤」


「……えっ? これ、夢じゃないよな? ほんとに?」


ベタだが、ほっぺたをつねる。

痛みがじんわりと伝わってきて、確信する。


「──っ! よっしゃぁぁぁぁぁぁ! やった! 赤点回避っ!」


わけがわからないくらい、僕はガッツポーズをする。

目頭はとうの昔に決壊して、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「やった……やった……。ありがとう、2人とも……」


あんな意図的に作られた問題を。

僕が判断を誤って、稼ぎところのない問題を。


この2人は、超えてきた。

僕の想像と合格点のその両方を、軽々超えてきた。


「──感謝するのはこっちだよっ!」


「うん、私たち」


と、2人は言う。

喜びを噛み締める僕からすると、少しだけ意表を突かれたような気分だった。


「こんな私に、根気強く教えてくれたし──」


「分からないところも、丁寧に解説してくれた……」


「こんな人、今まで会ったことないよっ!」


「……私も」


むず痒い。

美少女2人に誉め殺し。

さっきの喜びとも合わさって、より強力になっている。


「──だから佐藤くん」


「……佐藤」


2人の笑顔が、僕に向く。

そして、2人揃って、同じタイミングで口を開いた。


「「ありがとう」」


胸の奥が苦しくなる。

大粒だった涙は細くなり、優しく頬を伝った。


何かに挑戦して、成功する。


この体験は僕の人生にとって初めてのこと。

怖くて怖くて死んでしまいそうだった数時間前の自分は今、どこにもいない。


今、僕は、自信と歓喜に満ち溢れていた。







────同時刻・校長室────




「──わざわざ赤点を取って補習に参加して、赤点常連の2人を救出? はんっ、おとぎ話でも聞いてる気分だよ」


「……そうですね。私も想定外でした」


フカフカの校長席に座るのはもちろん校長。

誰もが見ても『おばあさん』といった風貌に、ゆったりとした口調。


彼女と机を挟んで会話しているのは、スーツを着た若い女性教師。

丁寧な口調ときっちりしたスーツの着こなしには、隙がない。


「でもまぁ。彼もまた、天才の人だったってことなのかしらねぇ? どうだい? 早く彼を認めなよ?」


「……いいえ。私は、彼を認めません」


「──難儀な性格だねぇ」


しばし、沈黙が場を支配する。

すると校長はゆったりと席を立ち、扉の方まで歩いた。


扉のとってを掴み、開く。

校長室には、1人の女性教師だけが残された。




──文化祭編に続く

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