第23話 嘘はつけない
僕と塩瀬さんは、ロベリアさんのシフトが終わるまで河川敷で時間を潰した後、再びラーメン屋の前まで出向いた。
制服に着替えたロベリアさんが、暖簾の前に立っていた。
夕陽は横から差している。
塩瀬さんは「もう一回パフェ食べたいっ!」と言って、暖簾をくぐった。
残された僕らは河川敷に座り込んで、話をすることにした。
「──バイト、辞めたくない」
「それは尊重する。ロベリアさんのためにも、学校へも報告しない」
「なら、この話は終わり──」
そう言って立ち去ろうとするロベリアさんの腕を掴む。
彼女は突然の出来事に目を見開いて、驚いた様子だったが、やがて静かに座り直した。
「ロベリアさんが嫌でも、勉強はしなくちゃいけない。今はその方法を考えてる」
「──勉強は嫌い」
「分かってる。……けど、コレばっかりは逃げられない」
ロベリアさんは殻に閉じ籠るように、体育座りに座り変えた。
漂う悲壮感と共に、絶望さえも見える。
「私いいよ、退学で」
「諦めるの?」
「うん。どうせ勉強、できないし」
「画家になりたいんでしょ?」
「──えっ?」
ロベリアさんの瞳が、未だかつてないくらいに狼狽えている。
まるで、種の分からないマジックを披露されたみたいになっていた。
「……やっぱり図星だ」
「なんでっ、知ってるの?」
ロベリアさんはドン引きしている。
この目は…………ストーカーを見る時の目、といえばいいだろう。
予想外に大きなリアクションを取られたが、僕の推理は当たっているようだ。
少し、安心した。
と同時に、言わなくてはいけないことが増えた。
ロベリアさんが警察を呼ぶ前に、僕がストーカーではないと証明しなくてはいけない。
「これは、僕の推測だけど──」
そして、僕は自分の推理をポツポツと語るのだった。
────伏線回収始め────
先生はロベリアさんを『天才』と呼ぶ。
そして執拗に、彼女が退学するように促す。
最終的には僕を煽った。
だが、その行動はあまりにも不自然に満ち溢れていて、一筋の意図が見え隠れしている。
……当初の僕は見落としていたが。
『あの先生は、裏でロベリアさんに指導をしている。そして、ロベリアさんはその事が、僕にバレたくないようだ』
こう考えると、全ての事象に説明がつく。
──あの日、ロベリアさんと鬼ごっこをしたあの日。
あの日、山本とは2回会った。
1回目はトイレの前、2回目は階段の手前。
場所はあまり関係ないが、その時の山本の様子が深く関係している。
1回目。
山本はハンカチを持っていなかったのだろう。自然乾燥で手を乾かしていた。
そして、『天使』に出会った話を僕にした。
僕はこの時点で、大きな誤解をしていたのだ。
『天使はロベリアさんである』という、大きな誤解だ。
……実際の『天使』は、補習に来ている先生だったのだ。
この推理の根拠は2回目、再び山本と会った時、随所に見られる。
2回目。
山本は鼻血を出して倒れていた。
無論、彼はロベリアさんを見てしまったからである。
そしてそう、この時点で1回目会った時と矛盾している。
仮に『天使』をロベリアさんだとすると、山本は彼女を2回見たことになる。
すると疑問が浮かぶ。
──なぜ山本は1回目、ロベリアさんを見た時に鼻血を出さなかったのか。
彼はトイレから出てきた後、手の部分しか濡れていなかった。
ハンカチを持っていないという事は、濡らした部分はしばらく濡れたままである。
そして、彼の鼻は全くと言っていいほど濡れていなかった。
つまり、鼻血を洗いにトイレへ駆け込んだわけでもない。
ではなぜ、山本は鼻血を出さなかったのか。
──『天使は先生である』と結論づければ万事解決である。
すると他の事象の辻褄も合う。
──勉強嫌いなロベリアさんが、教壇に教科書を広げて寝ていた理由。
それは先生が教えていたからだろう。
──黒板に書かれた、美しい桜の絵。
おそらく、先生に見てもらいたかったのだろう。
ロベリアさんが、美術系の学校を目指しているから。
────伏線回収終わり────
「ってことで。僕の類まれなる推測と観察力によって──」
「……もしもし」
僕の話を聞いたはずのロベリアさん。
しかしながら彼女は躊躇なくスマホを耳に当てていた。
「だからストーカーじゃないって!」
「──しっ!」
鬼の形相で睨まれる。
彼女はあまりの覇気に口を紡いだ僕を見るなり、電話の方に意識を集中させたようだった。
「……ごめんなさい、ママ。うん、ハエがうるさくって」
ママ?
あぁ、警察じゃなくてお母さんからの電話か。
にしても、ロベリアさんは母親のことを『ママ』って呼ぶのか。
意外だなぁ──ゲシッ!
「……痛い」
ロベリアさんに蹴られた。
まさかこの人、僕の考えていることが分かるのか?
咄嗟にロベリアさんの顔を見ると、彼女は僕をまだ睨んでいた。
さっきの形相とは異なり、顔を赤らめてはいたが。
「──うん。わたし、元気にやってるよ。……えっ? とも……だち?」
「…………」
「たっくさんいるよっ! うん。アメリカと違って日本語だから話しやすいし……。えっ? 今? いまは……」
ロベリアさんと目が合った。
なにか、嫌な予感。
今すぐこの場を立ち去らなければ、面倒ごとに巻き込まれて──
そう思った時には遅かった。
すでに僕の右手は、ロベリアさんに掴まれていた。
「……うん。男友達となら、一緒にいるよ。……いやっ、ちがっ、彼氏とかじゃなくてっ。……彼氏候補でもないっ! ただの友達っ!」
「──ん、代わろうか?」
「……」
ものすごく睨まれる。
そして視線で「余計なことしたら殺す」という脅し文句を伝えられた。
ロベリアさんは黙って、僕の掌の上にスマホを乗せた。
そして一瞬だけミュートをつけて──
「友達とだけ言え。それ以外に質問されても、何も答えるな」
と流れるように言い放った。
ヤクザでもまだマシと思えるくらい、怖かった。
僕は震える手を押さえつけながら、スマホを耳に近づける。
「……こんにちはぁ」
「おぅ! ジャパニーズボーイっ! いつも、ロベリアをありがとうございまーすっ!」
日本語が母語でない人特有の訛りがありさえするものの、普通の日本語がスマホから飛び出してきた。
英語だったら詰んでいたので、胸を撫で下ろす。
それとこのお母さん、ロベリアさんと真反対で元気がいい。
「ジャパンのロベリアはどーですかぁ!? ちゃんと勉強できますかぁ!?」
「……ええっと、そうですね」
チラッとロベリアさんを見る。
殺意に満ちた瞳と覇気によって「できていると言え」というメッセージを、彼女から受信した。
「ちゃんとできてると思いますよ。テストでもしっかりしてますし」
「おぅ! それはよかったでーす!」
パチ、パチ、パチと、ロベリアさんからも拍手を頂いた。
依然として圧は変わらないが。
「それさえ分かれば安心でーすっ!」
──ピッ!
ツー、ツー、ツー、と淡白に繰り返すスマホを、耳から離す。
「──えぇ? 切れちゃったけど、大丈夫?」
「ママ……じゃなくて、母はそういう人だから」
「そうですか。……じゃあ、はい」
僕はロベリアさんにスマホを手渡した。
『ママ』と言ってしまったことに関しては触れないでおこう。
命がいくつあっても足りなそうだから。
それにしても──
「──大切にされてるんだな」
「そう? 過保護すぎて、嫌になるけど?」
ロベリアさんは首を傾げる。
「嫌になるくらいがちょうどいいんだよ。……それにほら、勉強のことも心配してくれてたし」
「……? 普通じゃない?」
「そういう親じゃない人も、世の中にはいるんだよ。僕の親なんて──」
……僕は気付けば、両親の愚痴を吐き出していた。
家に全く帰ってこないこと。
そのくせ、連絡だって一ヶ月に一回あるかないかで、あったとしても聞いてくるのはテストの点数くらいだってこと。
久しぶりに顔を合わせたって、僕のことを心配するそぶりなんて全く見せず、必要なこと以外は会話しないこと。
抱きしめられた経験がないこと。
そういう、僕の欲望の裏側にある愚痴を吐き出した。
ロベリアさんは黙って聞いていた。
僕がさっき、推理を披露した時よりも真剣に聞いていた。
そして、僕は思った。
どれだけロベリアさんと人間的に離れていても、自分達が存在している以上、親という存在は共通しているのだと。
その存在の在り方はどうであれ、この先も不変であるのだと。
「──だからさ。僕、アイツらもびっくりするような大学に行って、『凄いな』って言わせたいんだ」
「そう。頑張って」
その時ふと見せた、ロベリアさんの笑顔。
その姿がいつの日か見た、母親の笑顔に重なって見えた。
「いや、『頑張って』じゃなくて『頑張ろう』でしょ。ロベリアさんも、一緒に勉強しよ」
「それは嫌」
「……いいの? お母さんに嘘をつき続けて」
「…………」
ロベリアさんは、すごく迷っているようだった。
葛藤が目に見えて、それこそ表情に見えて繰り広げられていた。
やがてそれが落ち着いてきて、一言。
「──そっちの方が、嫌」
────翌日────
朝、いつも通りに出席確認が終わる。
しかしながら立ち上がらないロベリアに目をつけたのは、他でもない先生だった。
「──どうしたロベリア? 今日は出ていかないのか?」
「……はい」
「へぇ、あの勉強嫌いのお前がねぇ……」
「もう、嘘をつきたくないんです」
「嘘? 誰に?」
「──母と、佐藤くんに」
チラッと僕を見るロベリアさん。
いたずらっ子のような視線だった。
「へぇー、お前も隅に置けないなぁ」
そう言って揶揄う先生の言葉にも、今日ばかりは覇気がなかった。
「──じゃあ、全員で授業するかぁ……」
先生はいつも通り、気怠げに教科書を持つ。
夏休みはあと三週間ほど。
今、僕らはようやくスタートラインに立ったのだった。
赤点回避という、一つの目標に向かって。
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