第20話 2人は天才

補習が始まって1週間とちょっとが経過した。


その間に先生が来なくなるという事はなく、基礎を徹底した授業も、滞りなく行われている。

しかしながらロベリアさんは授業に参加しない。

しかもなぜか、朝の出席の時だけ現れてそのまま帰ってしまう。

先生はその事を一切咎めないので、彼女が授業に出席した事は一度もない。


僕は心配して何度か声をかけたが、いずれも無視されてしまった。




────8月2日────




今日は一段と暑い。

座っているだけでも、額に汗が滲み出る。


「──今日は、塩瀬が休みだ」


先生は教室に入って、開口一番にそんな事を言い出した。

僕は驚き、瞳孔を開く。前の席のロベリアさんは相変わらず。


「夏バテだろうな。お前らも気をつけとけよー」


先生は気だるそうにパタパタと、名簿で自分を仰ぎながら言った。

いつも引き締まっているスーツ姿も、今日は着崩しているように見える。




「──じゃあ、失礼します」


「はい、どうぞ」


これもいつも通り。

朝の出席確認が終われば、ロべリアさんは退出する。

何か、「今日は違うのかな」という僕の予想は外れた。


そうして、授業はいつも通り執り行われる。

……と、思っていた。







名簿を教壇に置き、先生は前のめりに話しかけてくる。


「──で、お前だけだとやる事ないんだけど」


「……授業」


「アレはほとんど、塩瀬の為にやってる」


僕を見透かしたような瞳。

教壇という場所から見下ろされているだけなのに、先生が遙か上空にいるみたいだ。


「お前、わざと赤点になったろ?」


「──いや、そんなことは」


「こっちだって馬鹿じゃない。アレ、わざとだろ?」


「…………」


先生の視線と圧に、僕は押し黙るしか無かった。

でもそれは、先生の質問を肯定しているのと同義であり、なんの解決にもならない。むしろ、悪手だった。


「どうして?」


この質問の意味は、僕が思っているよりも深かった。

つまるところこの件について、先生の知っている領域が広かったという事だ。


「どうしてお前は、塩瀬のために赤点を取ったんだ?」


「……そこまで知ってるなら、答えも分かるはずですよ」


先生はニヤリと笑う。


「善意か?」


「…………はい」


「はははっ。やっぱり馬鹿だ。ここに居て相応しいよ、お前」


乾いた笑い、そして揶揄うような言葉。

僕の苦手な要素が、隅々に至るまで発生する。


先生はひとしきり笑った後、急に真面目な表情と声で僕を威圧する。


「お前のエゴで、2人の天才を潰すことになるぞ」


「──意味がわかりません」


「分からないなら尚更だ」


会話ができているようで、できていない。

コレはもはや一方的な銃殺に近い。先生は、知識を言葉で纏って打ち出してくる。


「いいか? 塩瀬とロベリア……、彼女たちの才能を開花させるのに、現行の学校制度は適していない」


「つまり、…………2人を退学させる、と?」


「そう、その通りだ」


先生の表情は緩み、和やかに彼女はうなづいた。

それはちょうど、分からず屋な生徒が反骨心を改めた時のように。


僕はそんな先生を睨み返した。


「──でもそれは、先生のエゴです」


「私の言葉を真似るなクソガキ。……それに、コレは校長と教頭、そしてその他大勢の先生が同意している案だ」


「……は?」


「お前みたいな凡人は、指を咥えて待っておけばいい」


「……いやいや。その判断に必要なのは大勢の同意ではなく、本人たちの意思による同意でしょう?」


「いや、それは全く必要ない」


「なぜ?」


「彼女たちは子供だ。……子供の才能は周りの大人が責任持って育てなくてはいけない」


「──そんなの、間違ってる」


絶対、間違っている。

そんな横暴で塩瀬さんやロベリアさんが退学させられるなんて、あってはいけない。


「……安心して欲しいのはひとつだけ。もし、彼女たちが退学する事になった時、それはこの学校の制度に対して、完璧に則ったカタチで退学してもらう」


「…………」


つまり、補習後の追試テストで赤点を免れれば、2人とも退学せずに済む。

いや逆に、そのテストで赤点を再び取って仕舞えば、2人は…………。


天才どうこうじゃない。必要なのは2人の意思だ。

なのに大人は、彼らのエゴを貫こうとする。


「……だったら、僕が2人の赤点を回避させます。そしてもし、次の追試テストで2人が赤点を免れれば、退学なんて話を白紙にしてください」


「威勢だけはいい。でも、それじゃあ天秤は釣り合わない」


「──僕も退学でいいです。2人のどちらかが赤点を取ったら、僕をカンニングした事にしてください。そうすれば、退学のはずです」


「……馬鹿だな。そんなの無理に決まっている」


「そう思っててください」


「あぁ、もちろん」


暑い日だってのに、背中からは冷や汗が止まらない。

冷静になって、なんてことを言ってしまったんだって思う。

でも、それくらいの覚悟がなけりゃあ、2人を救えない。


「……では、少し席を外します」


「どこに?」


「ロベリアさんの元へ、話をしに」


「はい、どうぞ」


僕が教室を出る直前、後ろからボソッと「話せるといいね」という言葉が頬を掠めた。

僕はあまり気にしなかったのだが、この言葉には深い意味があった。







長い長い廊下。そして体育祭の時に利用したトイレ。

当たり前だが、全てが変わらずそこに存在している。


でも、ロベリアさんがいるような気配はない。

僕の予想とは違って、本当に帰ってしまったんじゃないだろうか。


そんな時、背後から声がした。


「佐藤じゃん」


トイレから山本が出てきていた。

ては濡れているようで、幽霊みたいなカタチだ。


「おぉー山本。部活?」


「あぁ、女の子にモテるため、日々特訓さ」


「変わんねえなぁ」


「もち!」


と、綺麗に親指を立てる山本。

すると何かを思い出したように手を叩く。


「そういえばっ! 俺、さっき天使を見たんだっ!」


「ははっ。そんなのいるわけ──」


いや、山本は塩瀬さんを『女神』と形容した。

それすなわち、美人を神々しいモノに喩えたのだ。今みたいに。


「どこだっ!? どこで見たっ!?」


「えっ!? ……えーっと、教室?」


「どこの!?」


「──にかい?」


自身なさげに答える山本。

だが、その情報だけで十分だった。

ロベリアさんがこの学校にいるという事実だけで大収穫だ。


「分かったありがとう! すぐに行く!」


「お前、そんな感じだったっけ?」


「うるせぇ! 天使に話があるんだっ!」


僕はそう言って廊下をかける。

最寄りの階段へ駆け込む。


2階に着くと、ずらぁっと並ぶ教室たちに出迎えられた。


一つずつ探すしか、方法はなかった。




違うっ!




ここもっ!




ここでもないっ!




あっ! ……いや、サボテンだっ!




くそっ、なんでいないんだっ!







──えっ?


黒板の一面に、散りゆく桜が描かれている教室があった。

とてつもなくリアルで、質感や情景が緻密に作り込まれているもの。


その黒板の前にある教壇。


そこには、1人の少女が突っ伏して眠っていた。


「──ロベリア、さん」


金髪ロング、少し開いた窓から差し込む風で揺れる。

教壇の上にあって、彼女が覆い被さっているのは教科書。

それも一冊じゃない。教壇を埋め尽くしていた。


「……あっ、起き、た?」


「──ヘンタイ」


「えっ? いやっ、ちがっ──」


僕が弁解をするよりも早く、ロベリアさんは教室を後にする。


「待って!」


そう言って彼女の後を追うように教室を出たのだが、彼女の背中は廊下の遥か向こう側。足が速いとか、そういう類の子。


「待ってって!」


僕も再び、駆け出した。

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