第17話 デスクライトは訝しむ
───十六夜の月・佐藤の家───
──コイツ、何をしているんだ?
佐藤の手元を照らしながら、デスクライトは訝しんだ。
塩瀬という女との通話が終わり、後はベッドに直行するものだと思っていたが佐藤のやつ、何やらコピー用紙を取り出した。
そして「よし」と座り直したかと思えば、塩瀬との通話中に出題した『日本史』・『英単語』・『古文単語』などと……とにかく暗記モノの問題だけを箇条書きで書き連ねてゆく。
それも片っ端からというわけではなく、『塩瀬さんが間違えた問題』『答えられたけど解答が遅かった問題』『すぐに答えた問題』などと、カテゴリに分けている。
「なぜ、自分の勉強を行わないのか」と、ヤツは訝しんだ。
他人のために行うにしては献身的すぎる。
しかしながら現実として、眼下の男の筆先が止まるような素振りはない。
むしろ加速しているようにも思える。
……佐藤は、こんな人間じゃなかった。
ヤツは、長年の付き合いだから分かる。
佐藤の勉強法は『当たり前の事を当たり前にやる』というもの。
応用問題や発展問題には一切手をつけず、ひたすら基礎を積み上げる。
それは傍目から見れば上昇志向に欠けるとも思える行動であるが、現状として成果が出ているのも事実だ。
その証拠に、佐藤のテストの答案用紙はいつも、70点周辺をキープしている。
ヤツは佐藤の答案を照らすのが好きだ。
周りが嘲笑するような勉強方法であっても、結果で正しいと証明できているのだから。
もしも自身が人間で、佐藤と同じような学生であったら、自身は迷わず同じ勉強法を行うだろう。
この感情は、一種の崇拝に似たような尊敬である。
「──こうじゃない。もっと塩瀬さんが、楽できるように……」
佐藤は出来上がった紙を見つめて「うーん」と唸った後、そんな事を呟いた。
そうしたと思えばすぐに別のコピー用紙を取り出して、同じように問題を書き連ねてゆく。
他人のために、当たり前を捨てた?
ヤツの光は揺らいだ。
佐藤の根源となる、『貫く意思』というモノが見えなくなっていたから。
信者にとって崇拝対象の変化は、神の消失と同義。
ヤツは心底、焦っていたはずだ。
一体いつから、そんな情に絆される人間になったんだ?
お前はお前の勉強さえしていればいい。
他人のために時間を使ったって、その他人が助かるだけ。
お前はおそらく、不利益を一方的に被るだろう。
──そんな言葉も思いも、佐藤には届かなかった。
────翌日・立待月・佐藤の部屋────
これで何日連続か、佐藤と塩瀬の勉強会。
今日も相変わらず行われ、そして終わろうとしている。
毎晩、毎晩、長いこと勉強を行う男女。
デスクライトとして経験の長いヤツは、この2人の関係性を十分理解している。
──2人は恋仲だ。
そうでなければ、このように通話する理由もない。
ヤツは自身の人間に対する理解の深さを、自身で称えた。
「──明日、頑張ろうね」
塩瀬の声はどこか、緊張を孕んでいた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫。塩瀬さんならできるよ」
「……うん」
佐藤のフォローのおかげだろう。
どこか、塩瀬の言葉尻に安堵の吐息が漏れる。
さすが彼氏。
アイツは……自身の相棒は、恋仲である塩瀬の心理状態を理解している。
「じゃあ、もう遅いから──」
「まって……」
塩瀬の言葉が、佐藤を引き止める。
「……ん?」
「今夜、緊張して眠れない……から。……そのっ」
ぽつ、ぽつ、と弱々しい塩瀬の言葉。
佐藤はそれらの言葉を一つ一つ拾い、意味を噛み締めるように耳を傾ける。
「──寝ながら一緒に……。つ、通話、続けない?」
「ややっ、それはっ……」
「嫌ならいいよっ、ごめん。なんか変なこと言った──」
佐藤、男を見せろ。
お前の彼女が寂しがっているぞ。
ヤツの光が強くなる。
(いけっ! いけっ!)
「──いいよ。僕もちょうど、眠れそうにないし」
「……やった」
塩瀬の提案に乗った佐藤。
彼は椅子に、正座をして座っていた。
そして震える手つきでスマホを持ち、デスクライトに手をかける。
(待ってくれっ! 消さないでっ──)
……パチンッ!
暗黒、部屋を包む。
慎ましやかな月光は、窓の外から佐藤を眺める。
「──ねぇ、寝てる?」
塩瀬の静かな囁きも、この部屋にはよく響く。
「──寝てる」
「──起きてるじゃん」
そんな会話は、ゆっくりと、氷が溶けるように続いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます