テスト編
第15話 塩瀬さんは勉強する
期末テストっ!
それは夏休み前に訪れる最大の関門。
もしここで赤点なんてモノを取ってしまった暁には、補習、補習、補習っ!
夏休みに計画していたありとあらゆる楽しいプランが全て破壊され、学校に通わなくてはいけない。
……ただ、そもそも赤点を取ること自体が珍しい。
なぜなら、『基礎問題さえ解ければ赤点回避』という良心的な配点であるからだ。
つまり赤点回避を目的とした勉強は、教科書の例題をやっておくだけで終了する。
当たり前のことが、当たり前にできるだけで良いのだ。
……そのはず。
「──塩瀬さん?」
「うぅぅぅぅぅ……」
今は、3限。
テスト前一週間を切ったという事で、自習に切り替わった数学の時間。
監視役の先生が職員室に戻ったため、クラス内はリラックスしている。
落ち着いた賑やかさがあった。
「ぐわ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁ……」
「塩瀬さん……」
隣の席からうめき声が聞こえてきたので、何事かと思い視線を寄せた。
僕の視界に入った塩瀬さんは、教科書を開きながら机に突っ伏している。
「分からない……。解けないよぉぉ」
彼女が開いているページでは、二次関数の導入が説明されている。
数学弱者は大抵、そこで挫折する。塩瀬さんも例外ではなかったようだ。
僕は同情の視線を向けて、ひっそりと自分の勉強に集中した。
4限、日本史の時間。
この授業も先ほどに引き続き自習に切り替わった。
「ひっぐ……えっぐ……」
隣の席から今度は、啜り泣く声が聞こえてくる。
チラッと視線を向けると、日本史の一問一答を開きながら机に突っ伏す塩瀬さんの姿があった。さっきよりも悲壮感が漂っている。
暗記、苦手なんだな。
7限、英語
これまた自習。今日はやけに自習が多かった。
僕が単語帳片手に暗記を行なっていると……
「あい、あむ……じゃぱにーず……。あい、きゃんと……すたでぃ……いんぐりっしゅ……。あははははっ!」
もはや呪詛を呟いている。
とても英語の勉強を行っている風には見えない。
教科書を見て、絶望したのだろう。
塩瀬さんは、現実逃避をするように天井を朧げに見つめ、呪詛を呟いている。
「……こっわ」
中間テストの時といい、この人は勉強が絡むとホラーチックになる。
……僕の中では、周りから点数を借りようとする塩瀬さんがトラウマになっていた。あのブリキ人形のような所作は、今でも忘れられない。
「あははっ! あははっ!」
「……怖い怖い怖い」
どうする?
あのままだと塩瀬さん、赤点回避できないぞ。
そしたらまた──
「──ねぇ、点数ちょうだい?」
また、あんなことになるに決まってる。
それだけは嫌だ。僕はあれを見てから数日間、夜が怖くて寝不足になったんだ。
「ねぇ、点数ちょうだい?」
「……」
「ねぇ……」
チラッと右を向くと、塩瀬さんと目が合った。
彼女は机に突っ伏して、首だけがコチラを覗いている。
「……ねぇ」
もうなってる!
テスト、受ける前からなってる!
じゃあもしテスト受けて赤点だったら、これ以上の症状が出るってこと!?
何がなんでも阻止しないと、僕の睡眠は保たれないっ。
この時点でトラウマ確定なのに、これ以上が来たら……うぅ、考えたくもない。
僕、ホラー映画とかダメなタイプなのに。
でもどうする?
そもそも塩瀬さんの記憶力じゃあ、無理な気もするんだけど。
てか、この人はどうやって受験を突破してきたんだ?
この学校、トップとは言わないまでも、そこそこ偏差値は高いぞ。
うーん、謎は深まるばかり。
受験期にしていた勉強法を教えてもらって、そこから解決の糸口を探るしか……
「──点数、ちょうだい?」
「……」
今はだめだ。話を聞いたら呪われる。
今の塩瀬さんは何かに乗っ取られてるから、落ち着くまで待とう。
で、勉強方法を聞き出そう。そうしよう。
────放課後────
シンと静まり返った教室内に、夕日が差し込む。
外からは野球部の声や、サッカー部の声が、薄々と聞こえてくる。
塩瀬さんが寝静まって、すでに1時間が経過していた。
「──で、これで3点が求まりました。あとは公式に代入して終わりです」
「おぉー」
簡潔にまとめられた回答に、僕は思わず拍手を送った。
委員長はシャーペンを置いて、ノートから僕へと視線を移す。
「ね? 意外とシンプルでしょう?」
「……確かに、発想さえ出てくれば、やってる事は基本問題と変わってない」
「そうですね」と言って、委員長はうなづく。
「応用問題になればなるほど、与えられた情報の意味を考える必要があります。なぜ、この問題を作ったのか……なぜこの情報を与えたのか……」
「……なるほど。じゃあ例えば、この問題は──」
ガタンッ!
隣の席から、謎の音。驚いてその方向を見る。
どうやら塩瀬さんが起きたようで、周囲をキョロキョロと見渡していた。
先ほどの音はおそらく、眠っていた塩瀬さんがビクってなったのだ。
ジャーキングである。
「──びっくりしたぁ」
「こっちのセリフです」
などと言葉としては怒っているが、委員長の仕草はそうでもない。
むしろ、塩瀬さんの方へ座っている椅子を寄せていた。
「で、どうしますか? 数学、」
そう言って委員長はペラペラと塩瀬さんのノートを捲る。
その所作はさながら教師。淀みがなかった。
委員長がそうしている間……
「ねぇ塩瀬さん」
「んー?」
と、塩瀬さんの顔が軽く僕の方を向く。
彼女のまん丸な瞳に吸い込まれそうになりながらも、聞きたいことは忘れなかった。
「受験期、どうやって勉強してたの?」
「へっ? じゅけん……き?」
「うん」
「えー、どうだったかなぁ……」
すると、塩瀬さんの視線が泳ぐ。
隠し事をするような人じゃないだけに、その行動が浮き立って見えた。
初めて見る動揺の仕方だった。
「……それ、私も気になります」
委員長の瞳は、ノートから離れない。
それでも気になっているのか、彼女の耳を覆うように揺れる髪を耳元にかけた。
ノートを捲る手も止まっている。
「その、私の聞いても面白くないよ?」
「面白くなくて結構です。ただ、できるだけ詳細に教えてください」
「えー?」
──結局、僕が先に帰るまで、塩瀬さんは話さなかった。
────塩瀬さんの部屋────
ガチャ……
ドアが開くと、廊下の光が部屋に差し込む。
船底に空いた穴から、水が流れてくるように。
それほどまでにこの部屋は、光さすことを嫌っていた。
「……言えるわけないよ」
少女はポツリと呟いた。
そして、ドアのそばの壁にあるスイッチを手探りで探す。
照明を点けることに慣れていないからか、少々手間取っていた。
……パチッ
照明は、部屋の全貌を明らかにさせた。
「私がこんな……」
正面の壁を覆い尽くすのは、漢字や英単語、数式や日本史用語などが書かれた張り紙。びっしり書かれている。
その量は尋常ではなく、その壁の色が黒色であると錯覚するレベル。
そして地面に転がる単語帳。
ベッドの上は、かろうじて無事だった。
塩瀬は張り紙たちを見つめて、ため息を吐いた。
そして、いつものように呟く。
「……まだまだ全然。もっと頑張らなくちゃ」
塩瀬は再び電気を消し、勉強机に座る。
デスクライトを点灯させて、一言も発さず、黙々と勉強を開始した。
彼女の机の、真正面の壁。
そこにはひとつだけ張り紙がしてあった。
『佐藤くんと、同じ学校に行く!』
塩瀬は勉強中たまに、その張り紙を見つめる。
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