第11話 僕は忘れていた
コーナーに差し掛かった。
相沢先輩の背中はすぐそばにあり、追い越すのも時間の問題だ。
なぜ、先輩との勝負を受けたのか。
それは僕が未だに、『勝てる勝負にしか興味を持たない』という現状にあるからだ。
しかしながら僕は、それを否定するために勝負を受けた。
もはや意味がわからない。
僕はいつのまにか、今までの僕と、これからの僕に挟まれていた。
ただ、それもこれも……
──ぜんぶ先輩が悪い。
コーナーを曲がり切った直後。
相沢先輩の背中は見えなくなって、代わりに背後から足音が聞こえてくる。
たんっ、たんっ、たんっ、っとリズムよく地面を踏みしめていた。
──あぁ、僕はもう、先輩を追い抜かしてしまったのか。
あっけなさと簡単さ。
それらは『落胆』という言葉に落ち着き、僕は納得した。
ドラマチックでもなんでもなく、ただ現実が過ぎてゆく。
あのゴールテープを切った後も日常が続くし、何かが変わるわけでもない。
僕らはそういう日常と、非日常の狭間を行き来するだけ。
やっぱり、現実はつまら──
「──すきだぁぁぁぁ!」
その図太い声は後方から。
僕の方へ一直線に向かってきていて、明らかに加速している。
……いや、すでに並ばれていた。
「俺は今日! キミに勝ったら告白するって決めてたんだっ!」
僕らは前を向いたまま会話をする。
きっと、周りの人間には聞こえていないだろうな。
「……誰ですか、その人」
「同じ陸上部のぉぉ! 主将だよぉぉぉ!」
相沢先輩はそう言い終わった途端に加速。
一瞬の出来事に僕は、唖然として見ていることしかできなかった。
遠のく先輩の背中、やけに大きく見えた。
「……ははっ、すごいな」
そうか、この人も『体育祭に本気になる連中』の1人か。
運動部、3年生……そして、自分の限界を知らない人間。
前言撤回だ。
僕は『勝てる勝負しかしてこなかった』人間だ。そう、今日までは。
そして今日からは『勝てない勝負にも挑んでいく』人間だ。
ありがとう。みんな、こんな僕にも応援をありがとう。
今日の敗北は、明日へ繋げる──
「──おい佐藤っ! 負けたら承知しねぇぞっ!」
「忠洋くんっ! 頑張れっ!」
生徒席から聞こえてくる声援。
そうか、この辺はちょうど、僕のクラスの奴らが座っているのか。
コーナーを曲がり切った直線。
アンカーの走る距離は通常よりも長くなっているから、敗北が確定するのはもう少し先。
もし、このまま抗わなかったら、今までの僕と同じ。
「佐藤くんっ! まだ負けてないよっ!」
塩瀬さんの声がはっきりと聞こえた。
その方向に視線を向けることはできないけど、僕は前を向くことしかできないけど、彼女の気持ちはわかる。
まだ負けてない。
「──そうだよな」
相沢先輩は、僕に追い抜かされた時点では絶望していたはずだ。
そしてその時、僕はなんて考えた?
『現実はつまらない』
そんなことを考えて、落胆していた。
勝手に先輩の限界を定めて、そのまま終わることに悲しんでいた。
でも今はどうだ?
『今は面白い』
負けそうになっている今、現実は苦しいが面白い。
そしてこの先、もし、先輩に追いつくことができたら『もっと面白い』。
──僕は勝手に諦めて、現実をつまらなくしていた
面白い現実を求めるのなら、諦めないで争うしかないのだ。
「──まだ、いけるっ」
呼吸は乱れ、足の力だって、この後に加速できるほどは残っていない。
でも、それでも、面白い現実へと向かえるのなら。
今の絶望を、塗り替えられるのなら。
──あの日見た限界を越えられる
「……すぅ」
息を大きく吸った。
先を走る先輩の背中を、視界の中心に据えた。
足の疲れなんて気にしないことにした。
僕の限界なんて、知らないことにした。
今はただ、走ることの楽しさだけを感じていたい。
「いけっ! 佐藤っ!」
「頑張れって!」
「まだまだこれからっ!」
もう、誰の応援なのかもわからない。
「──佐藤くんっ! 勝って!」
でも、塩瀬さんの声だけは分かった。
「……うん、ありがとう」
塩瀬さんと目が合う。
今の僕が、どんな顔をしているのかなんて知らないけど、きっと、笑顔だ。
──そして、僕は風に乗るように加速した。
「……まだっ、終わってないですよ」
「はっはっはっ!」
追いつくと、先輩は嬉しそうに笑った。
そして、それっきり会話らしい会話はなかった。
ただ、僕らの中で『ここからが本当の勝負だ』ということが共有されていたのは確かなことだ。
──パァン!
ゴールテープは切られた。
その光景はスローモーションで流れ、全生徒の視線を釘付けにする。
「どっちが勝った!?」
「わかんないっ! 一瞬すぎて……」
ゆっくり、皆は咀嚼するように、勝者と敗者の存在を確かめる。
それほどまでに、僕らは僅差だった。
「──はぁっ、はあっ……。空って、こんなに青かったっけ?」
久しぶりの全力疾走に、全ての体力が持っていかれた。
くそっ、こうなるんだったら、普段の練習の時から真面目に走っておけばよかった。変にカッコつけても、良いことはない。
「おつかれっ」
にひひっと笑う塩瀬さん。
僕を覗き込んでいるから、笑顔の背景は青空。
「……塩瀬さんもお疲れ。いい走りだったよ」
「お互いね」
「うん、お互い」
僕はきっと、笑顔だろう。
とにかく嬉しくて仕方ないのだ。
ドラマチックな展開を、この手で作り出せたということに対して。
昔の僕ならきっと、そのまま終わっていたんだ。
だから、進歩したんだ。
しん、ぽ。した、から……嬉しい、はずなのに。
「──好きですっ! 付き合って下さいっ!」
「………っ! よろしく、お願いしますっ……!」
「よっしゃあぁぁぁ!」
相沢先輩が告白をしているって事は、そういうこと。
僕は負けた。
最後のゴールテープ。ほんの数センチ差で、先輩が切った。
最初は負けたことすら認識できなくて、今、僕はようやくその現実に襲われている。苦しい。
「……やっぱり、負けるのって悔しいな」
塩瀬さんはいつもの雰囲気で返答する。
「そうだよ。悔しいんだよ」
「なんか長いこと、忘れてた気がする」
「あははっ! 私みたいっ!」
「……それは笑っていいのかどうか、よく分からんジョークだな」
塩瀬さんは楽しそうに、僕のそばで屈んでいた。
空は高く、風は優しく、そして僕らの非日常は、いつも通りへと向かっていく。
「……そうだ」
忘れていたといえば……
頭の片隅で、ずっと居残っていた存在に気づく。
『今日の私の目的は、こんな事だけじゃないよ』という、相沢小鳥の言葉。
そして相沢祐介の放った『小鳥をどうにかしてくれ』という懇願。
まだ、非日常は続く。
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