第10話 リレーは戦い
「うわ゛ぁぁぁぁん! よがっだぁぁぁ!」
「……ごめん」
「ごわがっだぁぁぁぁっ!」
学年別リレーの生徒の集団になんとか入れてもらい、泣きじゃくる塩瀬さんを宥める。彼女は地面にへたり込み、涙を噴水のように流していた。
表現が、古典的な少女マンガの1ページ。
それは、どうやっているんだい?
そんなこんなで各生徒の点呼と整列が終了し、静寂が訪れる。
なお、塩瀬さんは「くすんくすん」と今でも泣いているが、気にしないものとする。これから始まるリレーは、優勝チームを決める故。
現在。
赤・青・黄色・緑チーム、すなわち全てのチームが同点で並んでいる。
このリレーが勝敗を決するという事は、全校生徒が承知の上だ。
よって大半の生徒は当然、自分の仲間がゴールテープを切る、その瞬間を待ち望んでいる。そしてリレーに選出された選手は、皆の期待を一身に受ける。
学年別リレー。
選出される人間は、各クラス一名ずつ。
「……キミは、才能の差に絶望したことはあるか?」
相沢先輩は、正面を見ながら僕に尋ねてきた。
僕の方は全く見ず、前を向きながら準備運動をしている。
僕もつられて、立ち上がり、屈伸を始める。
「なんですか、突然」
「ただの世間話だ。肩の力を抜いて話してほしい」
「そうですね──」
──パァン!
乾いた銃声が校庭に響き、リレーが始まった。
僕らは一斉に駆け出す生徒達を見ながら、アンカーとして、屈伸などの準備運動を行なう。
「一度もないです。才能の差に、絶望したことは」
「ほう? では自分には才能があると?」
先輩の瞳だけがスッと僕の方を見る。
その落ち着いた行動に、僕は妙な威圧感を感じずにはいられなかった。
「……逆です。僕には才能がないから、嫉妬する権利がないんです」
「そういうもんか?」
「そういうもんです」
「だが、俺はキミに、たったの一度でも勝ったことがないぞ」
それが当然であることかのように、先輩は言葉を吐き出した。
僕は屈伸をやめ、アキレス腱を伸ばす。
「……先輩も、才能がないんですね」
「あぁ」
──すでに第一走者の出番は終わっていて、第二走者はコーナーに差し掛かる。
展開としては未だに横並び。
せいぜい黄色と緑チームが前に出ているだけ。
「──だが俺はっ」
先輩が口を開いた。
「努力だけは、誰よりもしている。そう、断言できる」
「……はははっ」
かっこいいなぁ。
そうやって、何かに対して胸を張れるっていうのは。
──第三走者、第四走者、第五走者……バトンは滞りなく繋がれる。
少し、赤・青組が後ろとの差を広げている。
もしも仮に、このままバトンが僕の方へ渡ってきたとしたら……
目の前にいる、相沢先輩との一騎打ち。
バトンを握って、先にゴールテープを切れば優勝。
腰に手を当てて、レースを静観する先輩が話しかけてきた。
「この状況、理想的だと思わないか?」
「そうですね」
「神様ってのはいるんだなって、つくづく思うよ」
「……それじゃあまるで、偶然こうなったみたいじゃないですか」
「あぁ、そうさ。偶然、ほんとうに偶然……俺とキミの一騎打ちで勝敗が決まる」
──塩瀬さんにバトンが渡った
現在、塩瀬さんは前から二番目を走っている。
前にいるのは女子陸上部の主将らしい。
さすがと言ったところか。
さほど劇的ではないが、着実に差が開いている。
まぁ、仕方がない。
相手は陸上部、走りに関しては誰よりも追及している。
素人の足の速さと比べたって、なんの意味もない。
それに、あの差を保つことが──
「──あの差を保つことができれば十分っ」
「……」
「今キミは、彼女に対して、こう思っただろう?」
「……エスパーかよ」
先輩は高らかに笑う。
その豪快さに、彼の妹の影などは微塵もなかった。
「はっはっは! 何かを諦めた人間の思考を読むなんて造作もないっ!」
いや、そうじゃない。
僕は諦めたわけじゃなくて──
「──勝負の世界から、一歩引いた。……そうだろ?」
「はぁ……」とため息を吐き、僕はうなづくしかなかった。
この人に隠し事や、言い訳は通用しないらしい。
だからこそ主将なのか、主将になったらそういう能力がつくのか。
「どうだった? 競わないって、平和だがつまらないだろう?」
「そうですね」
70点のテスト。
解ける問題は解いて、応用問題には挑戦すらしなかった。
中学の運動会のリレーも、一位になろうとして走ったわけじゃない。
前は遥か向こうを走っていて、もう追いつけないと知っていたから。
僕は徹底して、競うことをしなかった。
自分のできる事を理解した後、それ以上を求めなかった。
だから、当たり前のことは当たり前にできて、応用になると挑戦すらしない。
戻ってくる結果が、想定外なことはあまりなかった。
「なぁ、佐藤忠洋。俺と戦わないか?」
先輩は呟くようにそう言った。
「……」
「俺は、キミを越えなくては先へ進めない。そして──」
「──そして僕も、戦おうとしなくては成長できない」
「そうだっ!」
──先輩はバトンを受け取り、加速していった。
「佐藤くんっ!」
塩瀬さんがバトンを突き出し、走ってくる。
前を向くと、先輩の背中はそう遠くない位置にあった。
「……ありがとう」
「がんばっ──」
──僕も地面を強く踏み締め、空気を切り裂いた。
晴天、活気あふれる体育祭はいよいよ大詰め。
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