第9話 小鳥は鳴く
綱引きの件から察するに、僕を狙っているのは、赤組(僕の所属している組)の連中である可能性が高い。
根拠としては乏しいが、少なくとも、青組の人間はクリーンな勝負を行っていた。
そう、赤組の誰かが意図的に綱から手を離したため、僕たちは突然バランスを崩したのだ。
──次の種目は、学年別対抗リレーです
──選手の皆様は、入場門へお集まりください……
やけに落ち着いた声での放送が響き渡った。
「おう佐藤! 負けんなよ!」
山本にドンと背中を押され、前に一歩進む。
「……応援も頑張れよ」
「もちろんっ!」
山本は親指をグッと立てて、白い歯を見せるように笑う。
輝かしかった。
生徒席は、この体育祭の、最後の競技を見守る人間で溢れていた。
「──佐藤忠洋だな?」
時が止まったような感覚。
人混みの中から出てきたその男は、僕の手を掴みそう言った。
「話がある」
「……いやです」
「ついてきたまえ」
彼の繋がれた犬の如く。
人混みを掻き分け、進み、そして校舎内へ……。
────入場門にて────
「佐藤くん、遅いなぁ……」
学年別リレーの集合の定刻は、とっくに過ぎている。
佐藤くんがいないことで騒ついていた運営本部の人たちも、代わりの人が来たあたりから大人しくなった。
それはまるで、佐藤忠洋という存在が消え去ってしまったかのように。
──それでは、選手入場です
ついに競技の開始時刻となってしまった。
選手たちは一斉に立ち上がり、その圧に私は押されてしまう。
そんなっ。
「……いやだよ」
佐藤くんがいなかったら、私は誰にバトンを渡せばいいの?
代わりに入った人のことなんて覚えられない。
私がそういう人だって、佐藤くんも知ってるでしょ?
なのに……
どうして……
どうしていつも……
────とある夏の日────
あの日は、やけに暑かった。
猛暑だとかなんとか、朝のニュースキャスターが言っていたのを覚えている。
当時、私は小学生だった。
「ねぇ、どうしていつも忘れ物するの?」
体育が終わってすぐ、隣の席の女の子が話しかけてきた。
「どうしてって言われても、分からないよ?」
「なんか、しーちゃんっておかしいよね?」
「おかしいって?」
「すぐに私の名前忘れちゃうし、いっつも消しゴムとか忘れてる。でも、テストの難しい問題は解けちゃうでしょ? そういうところ、おかしいよ」
そんな事を言ってきた彼女の名前なんて、当然覚えていない。
ただ、私の記憶に残っているのは、その言葉だけ。
「……おかしくないよ」
「えっ?」
「塩瀬さんは、みんなと同じだよ」
突然、前の席の男の子が口を挟んできた。
「そんなわけないっ!」
隣の席の女の子は、机をバンっと叩いて立ち上がる。
声も荒げていた。
「しーちゃんは他の子とは違うのっ! 特別なのっ!」
「特別なんかじゃないっ! みんなと同じだっ!」
男の子も立ち上がって、声を荒げる。
私は2人の口論を、わけの分からないまま聞くしかなかった。
その時に思っていたのは、『どっちが正しいんだろう?』っていう、単純な疑問だった。
「しーちゃんは忘れっぽいけど頭がよくて──」
「塩瀬さんはそれだけ努力をして──」
2人の口論は、それに気づいた先生の仲裁が入ってようやく終わった。
おそらく、第三者の介入がなければ永遠に続いていただろう。
ただ正直、2人のどちらかに肩入れするような気持ちにはなれなかった。
そんな口論があった日から、何日か経過した。
その日、転校生がやってきた。
「──じゃあみんな、相沢さんと仲良くしてやってくれ!」
先生がそう言って朝の会が終わる。
1時間目が始まるまでのほんの少しの間、その転校生はみんなに囲まれていた。
私はその輪に入ることなく、遠巻きで見ていたのを覚えている。
「──あの子が塩瀬さん! ちょっと忘れっぽいけどね、難しい問題はすぐ解いちゃうんだよ!」
あの時、口論をしていた女の子が、私をそうやって紹介していた。
遠くにいる私を指さして、嬉々として。好きなキャラクターを語るように。
「……へぇ」
彼女はそっけない返事をした。
それからまた、何日か経って。
転校生ブームは過ぎ去り、日常がゆっくりと戻ってきた。
そんな日だ、相沢さんと接点ができたのは。
「隣の席だっ! よろしくねっ!」
「……よろしく」
「そのっ、突然で悪いんだけどさっ……」
「はい、これ」
相沢さんは私の机に、消しゴムを置いてきた。
「えっ!?」
「忘れたんでしょ? 私、二つあるから……」
「あっ、ありがとう」
相沢小鳥のファーストインプレッションは『なんか怖い人』で固定された。
それから彼女は事あるごとに、驚異的と言えるような行動をとった。
私が忘れそうな物を事前に用意してきたり、私が名前を忘れた友達の名前を、さりげなく教えてくれたり。
今思えば、友達以上の関係だったと思う。
小鳥ちゃんは私のことを、1人の友達として扱ってくれていた。
「……私、佐藤くんに告白する。この恋愛に、決着をつける」
「えっ?」
ある日、小鳥はそんなことを言ってきた。
2人で家に帰っている時のことだった。
直接会ったことはないけど、私は小鳥から、佐藤くんの話をよく耳にしていた。
優しくて、ちょっと意地悪な人。
そして、誰よりも小鳥ちゃんを理解してくれている人。
そんな印象だった。
「でもっ、ちょっと怖い。もし振られたら……」
「だいじょーぶっ! 小鳥ちゃんは可愛いんだからっ!」
「そう、かな……?」
「うんっ!」
そうやって彼女を勇気づけたのは、失敗だったかもしれない。
──次の日、小鳥ちゃんは泣きながら電話をかけてきた。
佐藤くんに振られたって、そう言ってた。
泣きながら話す小鳥ちゃんにつられて、私も泣いてしまった。
あれからしばらく経って、中学生になった。
そして、彼と出会ってしまった。
「ねぇっ! 消しゴム忘れちゃったんだけど、貸してくれないっ!?」
「……えっ? あぁ……はい?」
それが1番最初の会話。
その時は、相手が佐藤くんだってことは知らなかった。
────教室内────
「佐藤忠洋、俺の話を聞いてほしい」
校舎内に連れて行かれ、とある教室に入り、最初に言われたのはこの言葉。
理解が追いつかないというよりは、わからないことが多すぎる。
「えっと、まず。あなたは誰ですか?」
「陸上部部長、相沢祐介(ゆうすけ)だ。相沢小鳥の兄……と言った方が、キミには伝わると思うが」
「相沢……」
そう言われれば、面影がある。
自信があるようで弱腰なところとか、目元がクールなところとか。
ただ、体は陸上部。
「小鳥を、どうにかしてくれないか?」
「どうにか?」
「あぁ。最近のアイツはもう、見てられないんだ」
相沢祐介は、自身の妹の変貌ぶりを嘆いていた。
中学までの彼女は人当たりもよく、誰にでも優しかったと。
しかしながら高校に入学した途端、勉強や読書など、人との関わりを持たない趣味に没頭するようになったのだとか。
「でも、それの何が悪いんですか? 別に悪いように聞こえないんですけど」
「いや、そうじゃないんだ。最近の小鳥はなんというか、誰かが乗り移っているようなイメージなんだ」
「乗り移ってる?」
「……これは俺の推測だが、小鳥は、『他の誰かを演じよう』としている。もしくは、別人になろうとしている」
「そう、見えませんでしたけどね……。今日会った時はなんというか、大人っぽくなっただけで、中身はそのまんまだった気がします」
ガタッ!
相沢さんが突然、僕の肩を掴んだ。
「やっぱりキミだ。小鳥はっ、キミに会うためにっ──」
──それでは、選手入場です
そうだった。
学年別リレーのことを忘れていた。
今から走って向かえば、きっとなんとかなる。
そうしないと、塩瀬さんが大変なことになってしまう。
「早く行かないとっ!」
「……そうか。キミも次のリレーに出るんだな」
キミ、も。
キミ『も』ってことは、この人『も』?
「先輩も出るんですか?」
「あぁ、アンカーで出場予定だ」
ものすごい強キャラのオーラを放つ先輩に、僕は一歩たじろいだ。
「奇遇ですね……。僕もアンカーなんですよ」
「そうか。じゃあ、全力で叩き潰そう」
「負けませんよ?」
ガラガラッ!
「ちょっと2人ともっ! 何してるんですかっ!」
若い女の先生が入ってきた。
ゼェゼェと肩で息をしており、僕らをどれくらい探していたのかがよく分かる。
「あぁ、分かっていますよ。でも、俺たちはアンカーなので、ゆっくりしていてもいいじゃありませんか?」
強者特有の、余裕っぷり。
僕はこの人と戦って、勝てるのか?
「つべこべ言ってないで! 早くきなさいっ!」
「……はーい」
弱っ!?
「さぁ、行くぞ我がライバル。最後の体育祭を盛り上げてくれたまえ」
そう言いながら、相沢先輩が僕の方に歩き寄ってきた。
そして耳元で一言、ボソッと。
「数々の妨害工作、すまなかった」
「っ!? それはっ──」
「しーーっ。話は終わってない」
僕の言葉を止めて、相沢先輩が続ける。
「最高の舞台を用意するのに必要だったのさ。……ただ、キミの友達に怪我を負わせてしまった件については謝罪をしなくてはいけない」
そう言って、相沢先輩が頭を深々と下げる。
「すまなかった」
「──ほら、早く行きますよっ!」
その後、僕らは先生に連れられて教室を後にした。
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