第7話 正解は、分からない
────リレー直前にて────
「……山本くんっ」
そう言って塩瀬さんがピシッと指さしたのは『岡本 謙也(けんや)』であった。
隣で山本が発狂する。
「ちがーう! コイツは岡本! 山本は俺っ!」
「あははっ! 全然わかんないっ!」
「いやいや笑い事じゃないって!」
そう、マジで笑い事ではない。
山本と塩瀬さんは、この後『色別対抗リレー』でバトンを渡し合う間柄。
リレーという形式上、バトンの受け渡しの相手くらいは知っておかないといけない。今のままでは絶望的だ。
ただ、僕には打開策が一つある。
「──じゃあさ、坊主頭のヤツにバトンを渡すってことにしたら?」
「あっ! それいいかも!」
塩瀬さんの記憶容量的に、顔と名前を一致させて、さらにその人にバトンを渡す……なんて事はできない。
だから『坊主頭のヤツにバトンを渡す』という、簡潔な方法で行えばいい。
「はぁ、忠洋は分かってないなぁ……」
山本は腕を組み、深いため息をついた。
「それ、オレ以外に坊主がいたらどうするんだよ」
「いやいや、そんなこと絶対ないって──」
「──あったじゃねえか! おい! どうするんだよ!?」
「ははっ、しーらねっ」
塩瀬さんが一位でバトンを受け取ってすぐ、山本がレーンに入った──
そして、気づく。
なんとレーン内にいる人間、全員が坊主っ!
「なんだよこの坊主激戦区! マジでやばいって!」
山本、すでに走り終わったので待機している僕に猛抗議。
僕、光景が面白くて聞く耳持たず。
「ははっ、おもしれ」
「笑い事じゃないよ!?」
塩瀬さん、コーナーを曲がり切って、この状況に気づく……はず……?
1人、2人、3人、4人……走っている人間は5人いるはずだが、1人足りない。
そしてさらに気づく、コーナー手前、立ちあがろうとする塩瀬さん。
転んだ事など、一目瞭然……。
彼女の膝から、赤い赤い液体は滲み出ていた。
「塩瀬さん、こけてっ……」
山本の絶句する声。
バトンパスを行う人々の間で、彼は立ち尽くしていた。どうする事もできずに。
──皮肉なことに
レーンに残ったのが山本だけだったので、塩瀬さんは間違えることなくバトンパスを終えた。
山本は遅れを取り戻そうと必死に走ってはいるが、今から先頭に追いつくことなんて、不可能に近い。
「──ごめっ、こけちゃった」
血液の滲む右足を庇うように歩く塩瀬さん。
悔しさなどを顔に浮かべて、僕の隣に体育座り。
「……謝ることないよ。ああいうのは、誰にだってあるから」
そう声をかけるのが正解なのかどうかは、僕には分からない。
僕はこんな時、どう声をかけてもらいたかったのだろうか。
「でもっ、私がこけなかったら……」
──パァン!
今、一位のチームがゴールテープを切った。
少し遅れて他のチームもゴールを通過していく。
『赤チームのアンカーさん、頑張ってください』
放送部がやっている実況の音声が響いた。
未だ走っている山本にはこんな、公開処刑とも思える声援が送られるのであった。
「私がこけなかったら、あんな……」
「──確かに、塩瀬さんがこけなかったら僕たちが一位だったかも」
何が正解か、よく分からない。
慰めても上っ面の言葉を使うだけ、だったら……。
「山本だってあんな、恥ずかしい思いはしなかっただろうよ」
「そう、だよね……」
だったら罵倒でもしてみようか。
それこそ、みんなの思いの代弁とまでは言えないけど、塩瀬さんが想定している言葉を吐き出せる。
それが正解か?
ていうか、何が正解なんだ?
「いや、ごめん。そんなこと思ってない」
僕だったら、どんな言葉を期待する?
僕だったら、どんな言葉を投げかける?
「塩瀬さーん!」
ゴールの方から、山本が走ってきた。
『ドドドドッ!』と、足音がやかましい。
──山本は、なんで言うんだろう?
慰め?
罵倒?
アイツは優しいから、前者かな?
「──俺の走り、見てましたっ!?」
「えっ!?」
塩瀬さんの目が点になる。
山本の思いもよらない発言と、相変わらずな態度ゆえ。
「おれっ、過去最高に速かったですよねっ!?」
山本の走り、たしかに過去最高だった。
塩瀬さんも僕も、会話中は彼の走りを見ていた。
それはきっと、アイツの走りに視線を奪われたから。
雑念のない、ただ前を向くその姿勢に。
「たっ……たしかに凄かった! カッコよかったよ!」
あっ、まずい。
ドシャァァァァァー!
山本、走りながら倒れる。
顔面を地面に強打及び、数メートルの滑走。
「午前10時15分……ご臨終です」
山本に駆け寄って脈を測ったが、やまり止まっていた。
そりゃあ、塩瀬さんにあんなことを言われてしまえば当然だろう。
山本はただでさえ死にやすいのに……。
「これ、どうするヨ?」
横から岡本がひょこっと顔を出し、山本を見下ろす。
「まぁ山本だし、水でもかけたら復活するだろ」
「うん、オレもそう思うネ」
「じゃ、オレ取ってくるわ」
岡本はそう言い残し、水道のある所へ駆けて行った。
「塩瀬さぁぁぁぁん……」
山本は寝言を呟くように、無意識的にそんな言葉を吐く。
こいつの中には、塩瀬さんの失敗など存在しないのかもしれない。
「山本くん、大丈夫かな?」
塩瀬さんはかがみ込み、山本の様子を伺う。
たまにほっぺをツンツンとつつく。
そんな彼女の表情には、普段の色が戻っていた。
──考えすぎてたのかもな。
「山本だし、大丈夫だよ。それと──」
僕は続ける。
「さっきは酷いこと言ってごめんね」
これは、心からの謝罪。
「えっ? なんのこと?」
……まぁ、塩瀬さんは変わらない。
────水道のある場にて────
「バケツっ、バケツっ。お水っ、お水っ」
岡本はバケツをぶら下げ、山本に浴びせる水を調達していた。
ジャァァァッと勢いよく溜まる水を視界の中心に捉え、暇を持て余す。
そんな彼の後ろを、2人の女子生徒が世間話をしつつ横切った。
「──さっきの、上手くいったよね?」
「うん、完璧だったよ」
「次は、ね?」
「学年対抗リレーまでに、佐藤くんを潰せば──」
「もちろんゲームセット」
ガタガタガタ……。
そうやって震えていても、もう遅い。
岡本は、聞いてはいけない話を聞いてしまった。
「お水っ、早く溜まって……」
ジャァァァァァ……。
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