閑話 もう1人の窓憑

Side:紬


「綾ちゃん、もう少し‥もう少しだよ」


そう必死に呼びかけるものの、耳に掛かる綾ちゃんの呼吸音が次第に早く小さくなっていく。

そして同時に肩にのし掛かる重さが少しずつ重くなっていくを感じていた。


それだけで今の綾ちゃんの状態が不味いことが分かる。

早くここを出て、適切な治療を受けなければ最悪命に関わるかもしれない。

そんな焦燥感に駆られながら、歩けなくなってしまった綾ちゃんを引きずる。


そして、あの家が見えなくなくまで進んだところで、私の足も言うことを聞かなくなった。

距離にしてみればたった100メートルにも満たない距離を歩いただけなのに、

あの家が見えなくなったことで全身の力が抜けてしまった。


綾ちゃんを担いでいる手前、倒れ伏すことだけは避けられたものの、腰を下ろしてしまった体は鉛の様に重く、息も絶え絶えだった。

それまで何とか誤魔化してきた痛みが脈動の様に襲いかかってくる。

血の滲んだ靴下、手や足に付けられた傷の数々は見ているだけで痛む。

それは綾ちゃんも同じで、いや寧ろ捕まるのが私よりも酷いものだった。


後少し。後少し休もう。

そう誤魔化しながら、塀に凭れながら息を整える。

しかし、そんな束の間の休息もすぐに終わりを迎えた。


最初はただの影か何かだと思った。

しかし、それが揺らぎ次第に濃く、実体を持つ様になっていく事で普通ではないと気がついた。

満身創痍で立つこともままならない私達の前に現れたそれは、見覚えのあるものだった。


ぐねぐねと触手を蠢かすように動く体には、大きな目玉が1つ付いていた。

今朝見た、あの雑木林の化物の姿だった。


こんな場所まで尾けてきたの。

最早、呆れと怒りで乾いた笑いが出た。


「‥紬」


綾ちゃんが、何かを察知したように目を瞑ったままか細い声で呟いた。

その声音だけで彼女が何を言いたいのかが分かる。


でもね‥それだけは出来ないよ。


きっとこの先どんなに気の合う友達が出来たとしても、例え私の事情を理解してくれる友達が現れたとしても、この目の前の友達には変えられない。


「ごめん‥綾ちゃん少し待ってね」


それ以上は言わせない。

そういうつもりで殊更に明るい声で答え、綾ちゃんをそっと地面に寝かせる。

そして近くにあった石を掴みフラフラと立ち上がった私は精一杯、目の前の化物を睨みつけた。


自分の事ながら不思議なものだった。

今朝はあんなに怖がっていたものが、今ではこんなにも腹立たしく憎たらしい。

別に恐怖心が消えたわけじゃない、現に掌には嫌な汗が出ていた。

ただ、その恐怖を上回るものがあった。


もう、あきらめて泣くのは嫌だ。

何処かに身を隠し、誰かが助けてくれるのを待つのは嫌だった。

そんな自分と決別しなければ、自分の為に命を張ってくれた2人といる資格なんて無いじゃないか。


そんな私の虚勢を笑うかのように、化物は無数の触手をこちらへと伸ばす。

目の間に広がっていく暗闇にせめて一矢報いようと手に持った石を振りかぶった。

その時だった。


「最近の子供は根性あるなぁ‥」


それは若い男の人の声だった。

背後から聞こえたそれと同時に私の振りかぶっていた腕が掴まれた。


「このての奴は陰湿‥すぐに呪う」


今度は自身と同じ年頃の女の子の声が聞こえた。

間延びしたマイペースな口調は緊張感に欠ける。

しかし、何故かその少女の声を聞いた瞬間、全身に緊張が走った。


振り向いちゃいけない‥。

本能的にそう感じた。


それは、目の前の化物に感じる異形への忌避感から来るものとは違う。

もっと別の‥御簾の向こう側を覗くような畏れだった。


そんな緊張を感じていたのは私だけではなかった。

目の前の化物もまた同じものを感じたようで、

こちらに伸ばしていた影を引っ込めせて固まっていた。

先ほどまでの馬鹿にするような体の揺らぎもなく、身体を硬く怖ばらせていた。

その体にある大きな瞳は私の背後にいる何かから必死に目を逸らすように地面を見つめる。

ただただ目の前のものの反感を買わないように、怯えていた。


「2人は蜂屋紬さんと長瀬綾さんで良いね?」


「‥はい、そうです」


男の人の問いかけに辛うじて答えると、腕をそっと放される。

そこで漸く、許しを得たかのように金縛りが解け、背後を振り返ることができた。


そこに立っていたのは歪な1組男女。

私の腕を掴んでいた男の人は歳の頃は20代後半くらいだろうか。

派手な柄シャツに短く刈り上げられた金髪がやんちゃそうな印象を受ける人だった。


そしてそのすぐそばに立つのは綾ちゃんを抱えた‥ブレザーの制服に身を包んだ中学生くらいの女の子。


「あー良かった‥間に合った、間に合った。おい由良、捜索願いが出てたのってこの子達2人だけだよな?」


「‥そう。でも、まだ他に1人居る」


「マジかよ‥無事なんだよな?」


「‥まぁ無事‥‥‥かな」


私達以外の人間なんて春ちゃんだけだ。

女の子の歯切れの悪い言葉に心がざわめく。


「あ、あの!私たちを逃すために春ちゃ‥中学生の男の子が化物と戦ってるんです。不味いことってその子に何かあったんですか!?」


「い、いや‥おい、由良!大丈夫なんだよな!?」


詰め寄る私に、男の人は困ったように女の子に助けを求める。

それに女の子はこちらを見て何かを言いたげに溜息を吐いた。


「大丈夫‥その子は窓憑だから。それより、あなた達の方が心配」


女の子はそう言うと、抱えた綾ちゃんに視線を向けた。


抱えられた綾ちゃんの様子は、目に見えて悪い。

もはや意識すらも無いようで、手足をグッタリとさせていた。


「この子は隠世に適応できてない。早くここを出たほうが良い」


出た方が良いって。

そんなこと言われても、出口なんてどこにも無いじゃない。


心の声が顔に出ていたのか、女の子は男の人においと声をかけた。

男の人はそれに軽く頷き返すと、ポケットから小さな折り畳みナイフを取り出し、自身の指先を切りつけた。


薄く切られた指先からはポタポタと血の滴が滴り、地面へと落ちていく。

突然の事に、ただ呆然とそれを眺めていると、地面から妙な靄が立ち上り始めた。霧は次第に色を濃くし始め、人型のような輪郭を持ち始めた。

ちょうど大きさは大人くらいで、ちょうど両親の背格好くらい。


「あっちに繋げた。これに触れれば帰れるよ」


そう言って、私を促す男の人。


影に触れるってそんなこと言われても‥。

そう思って私が躊躇していると、


「すぐに戻ってくるから繋げたままにしといて」


そう言って相方の女の子が先に影に触れた。

そして、瞬く間に影に包まれその姿は抱えた綾ちゃんと共に消えた。


「ごめんね、俺の相方ってせっかちだからさ。確かに窓の見た目はちょっと‥あれかもしれないけど、そこは俺たちを信じてほしい」


そう言う男の人の手には良くドラマなんかで見る警察手帳があった。


皆月 景 巡査部長、それが目の前のこの人の名前らしい。

そして、その名前のすぐ上の証明写真には今とは正反対の生真面目な彼の姿があった。


「あの子もそうだけど、君ももう限界だろ」


この人が言うように、私の体は限界だった。

次から次へと起こることに痛みも誤魔化せていたけど、それももう


分かってる。

私だって分かっている。

ここにいても自分達ができることはないし、邪魔になるだけだ。

この人達が警察の人なら任せた方が良い。

‥それにあの女の子には、あの化物以上の何かを感じた。


春ちゃん‥。


「そこの十字路を左に曲がった先に崩れていない家があります。そこで‥中学生の男の子が化物と‥」


私は今も春がいるであろう方向を指差し、その場所を伝えた。


「春ちゃんに待ってるからって伝えてほしいです‥だから、どうか、春ちゃんをお願いします」


自己満足でしかないと分かっていても言わずにはいられなかった。

それが私にできる最後のことだった。


◆◇ side:景



「行ったか」


「うん‥無事に帰れたみたい」


俺の呟きにいつ間にか帰ってきた由良が答えた。

それを聞き少し肩の荷が降りたように感じた。


いや、まだ仕事は残っているのだが‥。

しかも窓憑って‥あの女の子達の知り合いみたいだし、恐らくあの子達を助けに来て自分が残ったパターンだろう。いや、やってることは凄い立派だし、警官としては褒めるべきでは無いと分かってるけど、ぶっちゃけ格好良い。


でも‥よりによって同じ窓憑かよ。


「景‥こいつどうする?」


予期していなかった事態にしゃがんで頭を抱えていると、由良が袖を軽く引っ張ってきた。

なんだと、顔を上げると道の隅で小さくなっている大目玉と目が合った。


そうだ、救助者の事で頭がいっぱいで忘れていた。


大目玉は俺達の意識が自分に向けられたことに酷く怯えていた。

こうも萎縮されると少し可哀想にも思えてくるが、こいつは人に危害を加えようとした以上、逃がすわけにもいかない。


「適当に散らしてくれ」


俺がそう言うと、由良は間髪入れずに片手を振るって自身の権能を使った。

その瞬間、当たりは激しい光に包まれ空気は轟音に震えた。

目の眩みと耳鳴りが終わった頃、後に残ったのは大目玉だった消し炭と近くに合った物達の残骸だけだった。


「おい、少しは手加減しろよ」


「‥した」


嘘つくなよ。

俺が注意すると由良は臍を曲げたようにそっぽを向く。


多分、こいつも最近の連勤で気が立っているのだろう。

分かるよ。上の奴ら完全に俺らに面倒な仕事振ってるもんな。


でも、これも仕事だ。

それに今回は窓憑絡み‥しかもこの辺の憑神といえば家付きの寡婦で有名だったはずだ。

春という中坊に憑いているのがその憑神なのかは分からないが、もしそうなら対応できるのは俺らくらいだろう。


「まぁいいか、早いとこ、もう1人のとこに行かないとな。まぁ、もう終わってるかも知んないけど」


「‥それなんだけど、手出しはできない」


「はぁ?なんでだよ」


手出しはしない方が良いって‥窓憑とはいえ相手はまだ子供だ。

あの子との約束もあるが、職務としても自分には、その子は無事連れ帰る義務がある。



「‥同じなんだ」


「同じ?何がだよ」


「‥‥だから‥私達と同じだって言ってんの‥だから今は手出しはできない」


「俺達と同じって‥もしかして今、成ってる‥?」





俺の疑問に多分と由良は頷く。


何故、由良が濁したのか分かった。

多分、今の俺と同じで昔のことを思い出したのだろう。


あぁ、最悪だ。

気持ちは分かる、確か、そのここに残っている春ちゃんっていう男は中学生。

そうだよね中学生‥思春期だもんね。

でも、名前くらい交わしとけよ。


自分の時の事は棚に上げながら、春ちゃんと呼ばれていた少年に文句を言いたくなった。


「‥2度目の奴等となると色々あるだろ?‥お前も‥私もそうだったし」


顔を背けている由良の顔は見えないが、その2本の角からは放電による小さな破裂音が聞こえた。


こいつにも自覚あったんだ。

そう言葉に出しかけたがグッと堪えた。

あれはお互い様‥俺も人のことを言えないくらいに拗らせてたし。


それにしても、俺らと同じか‥。

成っている途中なら、自分達が介入することはできない。

それが憑神と窓憑の暗黙の了解。


「由良、分かっていると思うけど、ダメだと分かったらすぐに入るからな」


「あたりまえ」


口ではそういうものの、何処かそんなことにはならないという予感がした。

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