「少年」と「雪女」六

「誰か‥誰かいないの!?」


脇腹を庇い、腹ばいに這う私の声は苛立ちに溢れていた。

痛みしか訴えない自分勝手な体は言うことを聞かず、庭先を出る事すらできない。

こうしている間にも紬はあの化物に殺されてしまうかもしれないと言うのに、

何で私はこんななんだ。


誰でも良い。

誰かあの子を助けて。


「誰か助けてよ‥」


「分かった」


都合の良い幻聴だと思った。

地面に突っ伏した顔をあげるとそこには兄と同じ制服に身を包んだ‥紬が慕う春ちゃんと呼ばれていた男の子が立っていた。


彼は体を起こすと塀に寄り掛からせる形で座らせてくれた。


「‥春さん?」


「うん、綾ちゃんだよね頑張ったね。あとは任せて」


そう言って柔らかく笑った彼は私の頭を軽く撫でると、すぐに家の方へと向かっていった。

無意識にその後ろ姿を目で追いながら、私は少し前に紬が言っていたことを思い出した。


それは彼のよくない噂を家で盗み聞きし、それとなく紬に話した時のことだった。


『春ちゃんは、いつもだらしないし、意地悪だし、あと顔も少し怖いし、色々誤解されちゃうのかも。でもね‥本当は凄く優しいんだよ。何だかんだ文句は言うけど、いつも助けてくれる‥誰かのために怒れる人なんだよ』


その時は知り合いだから良く言っているだけだと思った。

でも、幾度と彼と紬が一緒にいるところを見るうちに、それが嘘じゃないと分かった。

いつも彼が紬に向ける目には優しくて温かいものがあって、それに応える紬の顔には学校にいる時には見せない様な自然な笑顔が溢れていた。


兄と違って期待されていない私はあんな目を向けてくれる人はいない。

紬は私にはあんな笑顔を向けてはくれない。


馬鹿なことを言って誰かの関心を買おうとすることしかできない私には、

それがどうしても許せなかった。


だからって‥あんなことするなんて馬鹿だよね。


でも‥あぁ、やっぱり紬は狡いよ。



◆◇

間一髪だった。

古ぼけた家屋に入った俺の目の前に飛び込んできたのは、白い蝋人形の様なものに覆い被さられた紬の姿だった。

今ままで見たどんな異形よりも禍々しいそれは、紬の細い首を締め上げ殺そうとしていた。

それを見た瞬間自身の中で、プツリと何かが切れる音がした。


「おい、クソ化物」


背後から声を掛けると化物は人間ならあり得ない角度で首を回転させ、俺の方へと振り返る。

その瞬間大きく振りかぶったバットをその顔面に叩きつけた。

ぐにゃりと硬いゴムを殴りつけたような感触と共に、化物の体が壁へと吹っ飛んでいく。


やっぱり一発じゃ消え無いか‥。

腐ってもこの隠り世の主のようだ。


勢いのまま土壁に衝突した化物は、人間なら即死しているであろう首の折れ方をしていたが、

その体は霧散するでもなくまだそこにいた。


「は‥春ちゃん。春ちゃんだ」


咳き込みながら紬が力なく笑う。


かなり痛みつけられたのだろう。

その体には首筋の絞められた跡だけでなく、殴られた後や擦りむいた様な傷が痛々しく刻まれていた。


「ごめん、遅くなった」


「ううん、来てくれただけで嬉しい。春ちゃんなら来てくれるって信じてた」


この子はどうしてこんな俺にそんな信頼をおいてくれるのだろう。

こんなになるまで、何もできなかった俺に。


「紬‥ちょっと外に行ってな。俺がこんなやつすぐに追っ払うから」


安心させるつもりで、そう言うと、紬はこくりと頷くと脚を引き摺って部屋を出ていく。


「‥春ちゃん。私、待ってるからね」


去り際に掛けられた言葉に思わず苦笑する。


何だって2人とも似た様な言葉を吐くんだか。

そんなに俺は信用ないのだろうか。


まぁ‥確かに死亡フラグは立ってるよな。


壁に打ち付けられていた化物は折れ曲がった首を無理やり戻すと、何でもなかったかの様に立ち上がる。その時になって始めて俺は奴の顔をちゃんと見た。

姿形は人間のそれ。しかし、その顔に乗る1つ1つのパーツが狂っていて出来の悪い人形のようだ。


常軌を逸した目が俺を捉え、唇の欠けた口からは鋭利な歯が覗く。

獲物を逃されたと腹を立てているのだろう。


これでこいつの狙いは変わったはずだ。

あとは時間を稼ぐだけ。

その分だけあの子たちが安全になる。


化物が長い腕を俺へと伸ばし鈍重な足取りで迫ってきた。

それを俺は屈んで難なく交わすと、すれ違い様に脛を殴りつける。

すると化物は甲高い悲鳴を上げるが、すぐにこちらへと向かってくる。


効いてはいる。

しかし、殴りつけているこっちとしてはイマイチ手応えがない。

あの時の猿や大抵の化物だったら最初の一撃で霧散してるはず‥。


目の前にいる化物が、これまで会ってきたしょうもない悪戯をしてくる奴と違う事が分かり始め、背中に嫌な汗が流れる。


そうして狭い家の中で鬼ごっこを続けていると、こちらの息が切れてくる。


やばいな。

このままじゃ俺が捕まって終わる方が先だ。


何か使えるものはないかと家の中を見渡すとあることに気がついた。


この家だけ妙に生活感がある。

家のそこらに物は散らばってはいるが、どれも荒らされたといった感じではない。

どちらかというと掃除をしてないだけのような‥。


「おい、お前本当に鈍臭いな。そんなんじゃいつまで経っても俺を捕まえらんないぞ」


そう言って馬鹿にしたように笑うと、化物の顔が僅かに歪んだ。

そして、唸り声をあげて俺を捕まえようと躍起になる。


あぁやっぱり、こいつ言葉が通じる。

多分、この化物は元々は人だったんだ。


窓の先、隠り世は主の在り方がそのまま形になる。

なら、この家はコイツが人だった頃に住んでいた場所だったのだろう‥もう自分の姿すら分からなくなっているのに。


逃げ続ける俺に化物は苛立ちを隠せないようで、その顔色はどんどんとドス黒くなっていく。それに合わせ動きも次第に俊敏になり俺は部屋の隅へと追い詰められる。


「鈍間の癖にやればできるんだな」


軽口を叩く俺に、化物は今度は激昂せず嫌な笑みを浮かべる。

きっと頭の中ではもう勝っているつもりなのだろう。

後はどんな目に合わせてやろうかと悍ましい思考が透けて見える。


「オ、オマエは楽に‥こ、殺さない‥最初は指を切る‥そ、その後は‥足‥端から‥切り落とす」


吃りながらそう言い化物は床に落ちている刃物を此方へと向ける。


「お前話せたんだな‥そんな形で元は人間かよ」


「オマエ‥殺した後‥は‥次、は子供に‥同じこと‥する」


その言葉を聞いた瞬間、自分の血が沸騰したのを感じた。


あぁ‥もうコイツは救えないとこまできているんだ。

元は同じ人間だと思うと踏み切れなかったところがあったがそれも今無くなった。


「なぁ‥ここってお前の家か?」


「あ‥あいつら‥良い声で鳴く‥きっと気持ち‥良い‥喜んでる」


「話聞けよな‥まぁいいや」


意思疎通が図れない化物を無視し、バットケースに忍ばせていたものを手にとる。

家の中で使えそうな物はないかと漁り、くすねて来たマッチとライターオイルだった。


こんな使い方するとは思わなかったけど。


「お前さ、この家が好きで大事なんだよな。そりゃ死んでからも棲家にするくらいだもんな」


近くにあった古ぼけた布団にオイルを撒くと、化物も俺が何をしようとしているのか気づいたのか慌てて俺を取り押さえようとするがその時には全てが遅かった。

すでに俺の手に擦られたマッチは放物線を描き、オイルの染み込んだ布団へと落ち、瞬く間に炎を広げる。


「あぁぁぁああああああ」


天井まで燃え広がる炎を前に化物は悲痛な叫び声を上げる。

延焼を食い止めようと火の点いた布団を叩くが、火は消えるどころか別の場所へと移ってしまう。そんな隙だらけの化物の背後に寄り思い切り後頭部にバットを叩きつけた。


「傷つけられて痛みを感じるなら、どうして他の人に同じことができるんだよ!‥もしお前がまた俺の大事なもんに手を出すなら、俺も同じことをしてやる。ここだけじゃなくてお前の思い出になってるこの世界全部を変えてやる。分かったか」


床に打ち付けられた化物が怯えたようにバットを振りかぶった俺を見る。

そして、観念したかのように蹲ると泣きくぐもった声で許しを乞い始めた。


許すなんてとんでもない。ここで消すべきだ。


俺の中の理性が‥これまで関わってきた化物、怪異共との経験がそう言う。

でもそれと同じくらいに‥こいつも元は人間だと思うと‥どうしたって躊躇する自分がいた。


「ご、めん‥なさい‥ごめん‥なさい」


化物が辿々しい言葉で告げる。

初めて人らしいとも言える言葉に掲げていたバットが自然と降りた。

しかし、それが間違いだった。


それを待っていたかのように化物の腕が俺の足を掴んだのだ。

そしてそのまま強い力で引き倒すと、俺は受け身を取ることもできず頭から床へと叩きつけられた。悶絶しながらも体勢を立て直す間も無く化物が馬乗りになって俺の首を締め付ける。


目の焦点があっていない化物が俺を無表情に見下ろしていた。

そこにある感情は読み取れない。

明確な殺意で強く絞められた喉からは声の1つすらあげられず、口の端の涎が小さな気泡になるだけ。腕を動かそうにも化物の膝で押さえつけられ、指先を動かすのが精一杯だった。


何やってんだよ‥本当に。


次第に狭まっていく視界の代わり思い浮かぶのは最後に見た雪達の姿。

それも鼻を刺す煙と化物の荒い息によって掻き消え、俺の意識は深い闇の中へと落ちていった。

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