「少年」と「雪女」四

必死に息を殺していた。

身を隠したバラック小屋は身じろぎをするだけで今にも倒れ出しそうで頼りなかった。

それでも身を隠すことができるだけ幾分かマシだった。


アレの動きが遅かったおかげで、何とか逃げる事はできたけど‥。


依然として最悪な状況には変わりなかった。

異形を初めて見たわけじゃ無かったけど、アレが異常だというのは本能で理解した。


今の自分にできる事は、声が漏れ出さないように口を押さえ、カタカタと鳴る歯を食いしばって堪えること。ただアレから見つからないことだけ祈るだけ。


そうしている間にも、身を隠した廃屋の外から叫び声が聞こえる。


「‥どこ‥あれ空いてる‥まだ空いてるっ」


呪詛の様に繰り返される言葉から逃れたい一心で膝に顔を埋め耳を塞ぐ。


いつか居なくなる。

こうして隠れていれば大丈夫だと必死に自分に言い聞かせた。


そうしてどれくらいの時間が過ぎただろうか。

1時間か2時間にも感じられるし、数分しか経っていない様にも思えた。


ただ、指の隙間から聞こえていた悍ましい声は止んでいた。

その代わりに今度は別の声が微かに聞こえてきた。


「っ!やめてっ!許してっ!!」


その声は悲痛さに塗れ、いつもと調子は違うものの聞き馴染みのあるものだった。


どうして?

まさか。

いや、そんなはずがない。


声から嫌でも想像する自分と必死に否定する自分。

次第に大きくなる悲鳴がそれを片側へと傾けていきながらも、恐怖から認めたくなかった。


しかし、そんな抵抗も近づいた悲鳴と何かを引き摺る音に釣られ、外を覗いた瞬間に崩れ去った。


「お願い許してっ!謝るから!」


ついさっきまで一緒にいた彼女の姿は見るも無惨なものだった。

髪を掴まれ引き摺り回されたのだろう。

服は土埃に塗れ、所々に擦り傷を負っていた。

必死に何かに助けを求める視線が彷徨い、偶然か私の方へと向けられた。


なんで綾ちゃんが‥。


変わり果てた友達と視線があった時、私の喉奥から引き攣った悲鳴が漏れ出した。



◆◇ side:春


ベットに寝転がり、紬の言葉を思い返していた。


——いいから!春ちゃんは先に帰って!


その突き放された言葉以上に、彼女の最後に見せた表情が頭から離れてくれなかった。


それは寝返りを打ち顔を枕に押し付けても何も変わらない。

湧き上がってくるのは自身への苛立ちとやるせ無さばかり。


「‥嘘つきだよな」


自ら交わした約束すら守れずに嫌気が差す。


本当に俺は何も分かってやれて無かったんだな‥。


あの直後は何故あんなにも、紬が感情的になったのか分から無かった。

しかしそれも、助けを求めるように目を向けたあの子のクラスメイト達を見てわからされた。


彼女たちは走りさる紬を追いかけるでも無く、ただ見ていた。

驚いたとか、どうしたら良いのか悩んでいるなら分かる。でも彼女たちが見せたのは小馬鹿にしたように薄ら笑いだけ。


友達が何たるかを知っているつもりもないし、そこに自分が遠いのも理解している。

それでもあれが友達とはいえないことくらい分かる。


紬には友達が沢山いて安心したなんて、自分の目はどこまで節穴なんだろう。

初めて会った時のあの子も学校で居場所を無くしたと言っていたのだ。

なのに、最近のあの子の様子や学校の事に少しでも気を配れていただろうか?


唯一の救いがあるとすれば、たった1人だけは追いかけた子がいたことだ。

俺はその子に押し付ける形で、ただ逃げるようにその場を後にした。


これは言い訳にしかならないが、俺だって追いかけてやりたかった。

でも、それをすることで、紬が余計に傷ついてしまうんじゃないかと思ってしまった。

誰だって強がりたい相手はいる。

過去を知っていているからこそ見せるあの子の気丈な姿はその表れだったんじゃないかって‥。


横目で部屋の時計に目を向けると、時刻は既に20時を回っていた。

本来なら夕食の時間はとうに過ぎていたが、今日は呆れたように呼ぶ祖父の声は無かった。

きっと帰って来た自分の様子を見て気を利かせてくれたのだろう。


このまま寝てしまおうか‥でも蔵には行かないと‥。


基本的に寡黙で怒ることが無い祖父だったが、お勤めの事となると色々と口煩くなる。


明日の朝、ぐちぐちと小言を言われるのを想像し重い腰をあげ、自室を出る。

すると、ちょうど扉の前に祖父が立っていた。


どうやら俺を呼びにきたようだった。


「言われなくたって分かってるって、お勤めだろ?ちゃんと行くよ」


先んじて言うと祖父は軽く首を横に振った。


「いやそうじゃない。いいからちょっと来なさい」


そう言って祖父は俺の腕を掴むと玄関先の方へと歩き出す。


「え、なに?どう言うこと」


状況が掴めていない俺は腕をひかれながら祖父に問いかけた。


しかし、それに祖父は答えずただ玄関先へと急ぐ。

いつもとは違う様子に、それ以上は何も聞け無かったが、

その顔はいつになく強張っている様に見えた。


母屋へと続く渡り廊下を抜け、表玄関の方に着くと珍しいお客がいた。


「紬のおばさんとおじさん?どうしたのさ、こんな時間に」


夜分遅くとは行かないものの、既に夕食時も過ぎ早いところでは寝る準備に入る様な時間だった。


そんな時間に2人が訪れている事にもそうだが、

それ以上に自分を驚かせたのは2人の格好だった。

服のあちこちに泥がついており、特に膝や腹の辺りには擦った様な跡さえあった。


「春ちゃん‥」


紬の叔母さんはこちらを見るないなや泣き出しそうな声を上げた。

そんな叔母さんを慰めるように叔父さんは彼女の肩を抱え優しく摩る。


「春くん、こんな遅くにごめんね」


「いえ‥それより、どうしたんですか」


2人の様子から何か良くない起きたことは明らかだった。

嫌な想像が首を擡げ始め、視界の端が少しずつ狭まっていく。


「さっき警察が連絡があって‥紬が向こう側に連れてかれたかもしれないって‥」


あぁ‥。


今にも押しつぶされてしまいそうな声が漏れた。

それが自身か他の誰が発したものなのか。

それすらも今の自分には分からなかった。



◆◇ SIde:雪


あいつの頼みだから、私はこの地に残った。

暗く冷たい倉の底で何年も‥何年も。


ただ見守って欲しいと言われあの小娘の家に移り、何年も守り続けた。

あの娘の事は別に嫌いでは無かった、好きでもなかったが。


そんな娘も居なくなり、訪れる顔ぶれが変わっても私はずっとここに居た。

あんな約束も誰も覚えてはいないというのに、我ながらいじらしいことだ。

いや、これは諦めの悪いだけか。


仕方じゃないか。一度は幸せになってしまったんだ。

ずっと不幸だったのなら耐えられる。

胸の中に欠けたものをそういうものだと認め、悠久の常夜で生きることも出来ただろう。

でも、知ってしまった。この空いたものを、渇いたもの満たしてくれるものに出会ってしまった。そんなのもう無理だろう‥もう1人に戻るのは。




このまま帰ることも出来ず、この家のものが絶えるまでここに居よう。

その後は、春の前の雪の様にひっそりと消えてしまおう。

そう決めた時だった、あいつが帰ってきたのは。


2つの気配がこの倉の底へと近づいていた。

1人は時折、訪れる実の小僧‥そして、もう1人は小生意気そうな子供。


祖父に連れられた子供は、どこに連れて行かれるのかと怯え、仕切りに祖父へと縋り付いていた。

そんなところも嘗てのあいつにそっくりだった。


一歩また一歩と子供を連れて歩く速度は遅くいじらしい。

たった数分の今まで生きて時間に比べれば瞬きにもならない時間が、こんなにも待ち遠しい。

百年以上は待ったというのに、今はこの一瞬が長く感じる。


あいつがここに辿り着いた時、やっとその顔を見ることができた。

鋭く見える勝気な目。

不安な時に少し顎を引く癖。

あぁ‥その魂の形・色と共に思い出す。

あいつの子供の頃にそっくりだ。


嘗てのお前もそうだったね。

大人が私に畏れる中、ただ1人お前だけが私を正面から見ていた。


鬼火に照らされる私は鬼か化生にしか見えないだろうに。


「やっと会えたな‥私のマドツキ」


もう‥誰にも渡さない。

この奇跡を手放したりはしない。

その髪の1本、血の一滴、立ち上る息も全て私のものだ。


だからもうどこかに行ったりしないでくれ。

私を1人にしないで。



——————-

—————

————

——-

—-



「なんだ。今日はもう来ないかと思ったぞ」


自分でも白々しいと感じる言葉だった。

椅子に寄りかかる身体は気怠げで、歓迎の気持ちなど少しも無かった。


そんな私の態度にも春は物怖じせずに、真っ直ぐにこちらを見ていた。


「紬が彼方側に連れてかれた。探すのを手伝ってくれないか」


申の刻辺りに窓が開いたのは感じていた。

そうか、あの娘が‥。

恐らく伝えたのは先ほど上に来ていたのは娘の両親だろう‥。

しかし、本当に笑わせる。


「先ほど来ていたのは、あの娘の両親か‥はっ、厚かましい奴らだ」


「1人娘がいなくなったんだ‥藁にも縋るさ」


本当こいつは今も昔も人が良過ぎる。

お前は覚えていないと思うが、あいつらは嘗てのお前を見捨てた家の血を引く奴らだぞ。

たとえ、今のお前が許したとしても私は許さない。


「いつの時代も変わらないな。お前達はいつも恐れられ遠ざけられ、そのくせ、いざ必要になったら利用される。私はそんな奴らに力なんぞ貸したくない」


「叔母さん達はそんな人じゃない」


「同じだよ。お前を程の良い番犬に利用しているだけだ‥あの娘だって」


「それ以上言うな!」


春は声を荒げると、怒気を含んだ目でこちらを睨みつける。

初めて向けられた感情に私は困惑すると同時に抑えきれない嫉妬と悲しみが溢れ出す。


「随分と肩を持つな‥そうか、そんなにあの娘がいいのか?惚れたか?あれは美しい女になるものな!」


「‥‥」


私の挑発的な言葉にも春は何も答えず、顔背けるだけ。

それがどうしようもなく癪に触る。


どうして何も言ってくれないんだ。

お前がそうだと一言言ってくれれば‥言ってくれれば私は諦められるのに。

故郷に帰るのだってそういうことなんだろう?


面倒臭い女だと自分だって分かっている。

でも、お前が終わりにしてくれなきゃ誰が終わりにしてくれるんだ。


「そんなこと聞きたくない‥都合の良い時だけ頼って悪かった」


「あっ」


そう呟き春は背中を向けて階段の方へと歩き出した。

その背に向けて縋るように手を伸ばしたが空を切るだけだった。


やだ‥やだ、行かないで。

また、また私は間違えたのか。


その後ろ姿が最後のものと重なって見えた私は、気づいた時には感情のまま力を使っていた。

手加減のされていない力は家鳴りの様な音と同時に強烈な冷気が発散させる。

そして、瞬き1つの間に外へと出る唯一と言って良い階段は、私の権能によって作り出された分厚い氷の壁に阻まれた。


これで‥ よい。

最初からこうしていれば良かったんだ。



「‥ダメだよ。お前はここから出さない‥そうだ、ずっとここに居れば良い。あの時だってこうしていれば良かった‥ここにはお前を悪く言う奴らいないし、あの小娘のことだってすぐに忘れられる」


乾いた笑い声があたりに響く。

なんて空虚なものなのだろうか。

発した自分さえもそう思えたがもう止められやしなかった。


春はそんな私に恐怖するも激昂するでもなくただ、私を見ていた。


その胸にどんな想いを秘めているのか私には分からない。

恐らくは失望だろう。

救いようのない奴、自身を苦海に沈めた仇の様にさえ思っているかもしれない。


それでも良い。

たとえ憎しみであれ、嫌悪であれお前の中に欠片でも私が居るのなら。

私の元にいてくれるのなら。


立ち止まった春に近づき背中に手を回す。

身体から伝わる熱、自分には無い男の筋肉質な硬い感触、耳を潤す吐息。

そのどれもが欲してやまなかったものなのに‥俯く春からは返って来るものはなくて虚しさだけが募る。


「私ならあの娘に出来ないこともしてやれる。ね、だから‥私を見て」


甘く媚びる様な声。

恥ずかしさもない、ただ失うことへの恐怖が私を支配していた。


こんなのは一度も‥嘗てのお前にだってしなかったのにな。


「‥誰と重ねてるんだよ」


耳元で聞こえたそれは重く、その声は震えていた。


「は、春」


春は私の腕を掴むと反対側の肩を押し体を離す。

そうして見えた春の顔には怒りとか悲しみとか、混ざり合った、それこそ私が見せていたものによく似ているだろうものが浮かんでいた。


「そうだ!俺は春だ、他の誰でも無いっ!私を見て?‥お前こそ俺を見て無いじゃないかっ!」


掴まれた手首には熱いくらい力が伝わってくる。

それでも、私にとってはその言葉比べればなんでも無い痛みだった。


「違う。私は‥私は‥」


違くない。

私にとっては過去も今も連綿と続く一本の糸だ。どうやっても切り離せない。

でも、それは私だけのことだ。

例え、お前があの人の生まれ変わりだったとしても、今のお前には‥春には関係ないじゃないか。


「大きな声を出して、ごめんな。俺行くよ。誰がなんと言おうと行く」


言い淀む私に向けられた春の口調は優しいものだったが、何を言われようとも退かない意思を感じさせるものだった。


「殺されるかもしれないんだぞ、それより酷い目に遭わされるかも」


「うん」


「今の私じゃ窓を押さえるので精一杯だ。お前に何も貸してやれないんだぞ」



「そっか‥それはちょっと怖いかも」


私が胸を叩いて訴えても春は困ったように笑う。

そこには少しの気後れも感じられなかった。


そうか、それでもお前は行くんだな。

初めて会った時の生意気そうな子供が、いつまにか男になっていた。


窓憑‥惑憑‥奴らはいつだってこうだ。

1つ覚悟を決めたら絶対に逃げない。

それで幾柱の憑神が泣かされてきたことか‥。


こうなっては、私にできることなどもう無かった。

ハラハラと落ちていく雫に呼応する様に道の塞いでいた氷が消滅していく。


それを見た春は私に頭を下げ去っていく。

そしてその去り際、こちらの顔も見ずに告げる。


「帰ってきたら言いたいことがあるんだ。それまでアイスでも食って待ってろよ」


そう言うと、春はこちらの返事も待たず階段を上っていく。

そしてそんなどんどんと暗闇に溶けていく背中にただ祈りを送る。


「絶対に帰ってこい。でないと‥来世も憑いてやるからな」













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だから僕らは彼女達に憑かれてる。 雛田いまり @blablafi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ