閑話 とある警官の話
黄昏時。
それは昼と夜とが入れ替わる時。
古くは、悪魔・妖魔に出会う時間帯とされ、人影にさせも疑心を抱き怯えた時間。
またの名を大禍時という‥。
若い警官はその異様な光景にただ茫然としていた。
いつも巡回をしている何ら変哲もない路地が、別世界の様に様変わりしていたからだ。
夏の始まりを感じさせる蒸し暑い日なのに、足元には厚さ数センチはあろうかという雪がその周囲にのみ降り積もっていた。その癖、寒さなどは微塵も感じない。
異常気象、そう一言で済ますには難しい。明らかに理解の範疇を超えたものだった。
しかし、そんな異常さも彼にしてみれば目の前のものを見れば気にならないものだった。
それ程までに、それは常軌を逸していた。
夕暮れに照らされる道にそれは一定の間隔をもって居た。
最初、彼はそれを夕陽に照らされた何かの影だと思っていた。
しかし、声をかけ視認する距離まで近づいた時に自身が大きな勘違いをしている事に気がついた。
それらには顔も体もなかった。
ただ黒い靄の様なものが人の形を型取り、ただジッとこちらに顔らしきものを向けていた。
それを視認した瞬間、金縛りにあった若い警官は声を上げる余裕も無かった。
ただ茫然とその場に立ち尽くした。
「おい吉崎、大丈夫か」
そんな若手を気遣う様に近くにいた初老の警官が声をかける。
そのお陰か、異形の姿に飲まれていた吉崎と呼ばれた若い警官からフッと力が抜け
その場に座り込んだ。
「吉崎、気持ちは分かるけどな。しっかりしろ、もう少ししたら応援も来るから」
「河田部長。‥こ、こいつら何なんですか」
吉崎が震える指でそれを刺そうとした瞬間、河田がその腕を掴んで押し留める。
「これを指差すな。連れてかれるぞ」
落ち着いた口調だったが、手を掴んだその力には強い意志を感じさせた。
「俺達の仕事は子供の捜索ですよね!?こんなの無理ですよ、逃げましょう!あんなの俺達の手に負えない‥」
「いいから。大丈夫だから落ち着け」
「な、何の根拠があって!」
食ってかかる吉崎に河田は視線を合わせ、改めて落ち着くように促す。
そこに普段の定年間近のやる気の無い警官の姿はなく、経験に裏打ちされた確かな自信と覚悟が備わっていた。
それを理解した吉崎は自身の見せた醜態に顔が赤くなった。
「すみません、取り乱しました」
「いや、お前はまだマシな方だよ。俺があれを初めて見た頃なんざ、小便漏らして先輩に縋り付いてたからな」
そう朗らかに笑う河田に、吉崎も少し肩の力が抜けていく。
「河田さん、あいつら一体何なんですか」
吉崎はそれに恐る恐る視線を向けると、それは変わらずそこにゆらゆらと悍ましい蜃気楼の様に揺れていた。そして頭に当たる部分も、こちらに向けられていた。
「正直なところ俺もな本当の名前なんざ分からん、幽霊とか化物とか呼ばれるもんだ。お前も警校で習っただろ、あれが常夜から来た奴らだよ」
常夜。
それは確かに吉崎が警察学校時代に聞いたものだった。
しかし、当時は何かの脅し文句か冗談の類だと同期と笑っていた。
「すみません‥習いはしましたが何かの冗談かと」
「まぁ、お前のみたいな奴も少なくないさ。実際、俺も見るまでは信じてなかった。でもな、この仕事やっていれば誰もが関わらずにはいられないもんだ」
「河田さん‥あれは大丈夫なんですか?早く住民の避難とかしなくちゃ」
あれらは自分達の手に負えない。
人ならざるものを見て正気を失いかけていた吉崎だったが、それだけは本能で理解していた。
それ故に、警官としての理性が住民を避難させるべきだと訴えていた。
「そう慌てるな。これがある限り、あいつらはあそこから動けねえよ」
突き出された河田の手には、街灯の灯りを反射し輝く粉雪があった。
「そうですよこの雪!この異常気象も、あいつらの仕業なんですか?」
「お、おい滅多な事言うんじゃねえよ」
それまでは落ち着き払っていたはずの河田が焦ったように吉崎を嗜めた。
「え‥違うんですか」
「いや‥まぁ、なんだ。この雪は全く別のものだよ。何というかここの守り神みたいな方の結界みたいなもんだよ」
「‥結界」
吉崎には手にある雪がそんな大それた物には見えなかった。
触っても冷たさは感じない不思議なものだが、目の前の異形に比べれば許容範囲だ。
「これがあるからあいつらはここから動けない。それよりお前、気づいてるか?」
何を?
そう吉崎が尋ねる前に河田は手に持っていた懐中電灯を道の端へと向けた。
「河田さん‥あれって」
「‥厄介な事になった」
2人の視線の視線の先には片方だけになった小さな運動靴があった。
サイズやデザインから見るに小学生女児のもの。
行方不明になった内の1人の少女が履いているものと酷似していた。
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