第7話 ガーベッジ

「まず話の前に名前を。私の名はガーベッジ。偽名ではありますが、マスターからはそう呼ばれています」


 頭を下げ、整った顔に柔らかい笑みを浮かべる女性に私もまた頭を下げる。


「私の名は……そうだな、ステンチとでも名乗っておくか。偽名なのはお互い様だろう?」

「ええ、ええ。そうでございますね」


 何処からかワインのボトルを取りだし、ガーベッジはグラスに注ぐ。差し出されるワインを受け取ると、ガーベッジはにこやかに笑う。


「しかし、私たちより他種族との関わりを絶った閉塞的な種だと聞いていたが、街に来るのか」

「私は少々特殊でして。人族に攫われ、マスターに救われ、良くしてもらっているのです」

「なるほど。そのような悪党もいるわけか」


 グラスを満たす赤いワインを回し、目を伏せる。

 人族は奴隷の所持も売買も重罪とし禁じている。しかし、禁じられているからこそ破りたくなる者もいる。


(まぁ、私もそうした一人ではあるが)


 殺人を犯すことを好むか、人を支配し隷属させることを好むか。その程度の違いでしか無い。


「ええ。しかし、マスターと出会えたことは良いことだと思えます」

「そのマスターとは誰だ?一度会ってみたいものだ」

「私たち『黒蛇会』の首魁、『黒蛇』様です。会うことは……難しいですね。『黒蛇』様、趣味人の冒険好きですから」

「なるほど」


 ワインを一口飲み、毒のないことを確認すると唇を指で拭う。


「それで、ここは一体何だ?」

「何だ、といわれましても……まさか、偶然見つけたのですか?」


 首を傾げるガーベッジに私は事情を説明する。

 ガーベッジは何処か納得した様子でワインを飲み、


「なるほど、そういう訳ですか。そういう意味では説明しないといけませんね」


 そういってガーベッジは情報を提示する。

 この『雀の涙亭』は表向きは酒場であるが、裏では『果実』と呼ばれる薬物を売買する取引所でもあったらしい。

 表にいる女たちは無理矢理攫われた果てに『果実』漬けにされており、『果実』を得るために体を売っているそうだ。


(まぁ、この辺は予想通りだな。問題は『果実』の方だ)


『果実』という薬物は市販の媚薬とは比べ物にならないほど強烈な興奮作用・筋力向上・暗視能力の追加・魔力生成量向上などがある。

 しかし、中毒性や禁断症状が強烈で一度でも口にすれば強烈な多幸感で脳が麻痺し正常な判断能力が下せなくなり、効果が切れれば幻視・幻聴・不安感などの症状が出る。

 最終的に『穢れ』が蓄積し、『果実』無しでは生きていけない体へと変質し『果実』を得るためなら何だってする亡者に成り果ててしまうのだ。


(私が昼間に暴走した者は『果実』が理由か)


「私たち黒蛇会の構成員の一部が『果実』の製造販売に着手していまして。その者たちはこちらで処理し、販路を調べていたらここに繋がった……という訳ですね」


 ワインを三本ほど開け飲み始めるガーベッジに呆れ混じりの息を吐き、ワインを飲み干す。


「『果実』はどの程度広まっている。『果実』の効能を聞いた限り、冒険者にも広まっていると考えても良さそうだが」

「ええ。困ったことに、冒険者の中にも『果実』を服薬している人たちが少なからずいます」

「やはりか。そうなると国が規制をかけていても可笑しくないと思うのだが」

「国も危険性を認知してはいると思いますよ。……ですが、出てきたのがここひと月の話なのでこらからますます中毒者が出ると思います」

「だろうな。……で、ここまで話したのには理由があるのだろう?」


 ワインボトルを開け、ワインを注ぎながらガーベッジを見据える。


 黒蛇会は話を聞く限り、裏社会側の組織だ。

 そんな組織の重役と思われる人材が無償で情報を明け渡すとは思えないのだ。


「ええ。要求は二つ、私たちが動いていることを秘密にすることと彼女たちを私たちの預かりを許して欲しいのです」

「……まぁ、そうだろうな」


 この酒場で行われていた『果実』の一件は黒蛇会の不祥事と繋がっている。黒蛇会は内密にこの一件を処理するつもりなのだ。


「私は冒険者であって衛士ではない。彼女たちをどうこうする力はないし、依頼ではない以上義務もない。預かって貰えるのなら僥倖だ」

「ありがとうございます。それでしたら、これを」


 ガーベッジは羊皮紙の紙切れを取りだし、ペンで文字を書く。

 差し出された紙切れには『黒蛇の鱗亭』と書かれている。


「私が経営している酒場兼娼館です。時折依頼を出すことがあると思うので、見かけたら是非受領して下さい」

「わかった。……そういえば、この建物はどうなる」

「基本は放置ですかね。何でしたら、貴女が所有しても構いませんよ?」

「そうだな。必要になったら譲り受けることにするとしよう」

「わかりました」 


 ワインを飲み干し、席を立つ。

 ガーベッジもまた席を立ち、頭を下げる。


「こちらの不祥事の後始末をしてくださり、ありがとうございます」

「別に感謝されることではない。私は私の目的を果たしてきたに過ぎない」


 ガーベッジに背を向け、表へと出る。既に黒い外套を着た集団が薬漬けにされた女性たちを保護している様子を尻目に酒場から出る。

 瞬間、緊張が解け睡魔が襲ってくる。


「ふわぁ……」


 欠伸を零し、馬車の荷台からシェイクを回収し担ぎ上げると壁を登り屋根に降り立つ。

 建物と建物の間を跳びながら、帰路へとつくのだった。



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