名前はまだない
耳が痛い、気分が悪い。今の気分を言葉に表すなら「最悪」の二文字。
そんな気分の中、唐突に一石が投じられた。
「マキは死んでない」
「なにを言っている……」
咄嗟に声のする方向を見る。
「マキはこの通り」
言葉が詰った。
それはマキに生きている可能性が出てきたことでも、初対面の人間に急に話しかけられたことでもない。
ただ俺の感じるすべての感情よりも強く、驚きと言う感情が上書きされただけ。
これが現実ならば俺は死んでも良い。
「だからマキは死んでないと――」
「彩芽……?」
「は?」
俺は気が付くとそんなことを口にしていた。
「……そんなことより中に入れろ」
そう言うと彼女は当然のように玄関を開け、家の中へと入っていった。俺はそんな彼女を茫然と見ていたが、はっと気が付くと同時にマキを抱え家の中へと入った。
リビングへと向かうと彼女は家主かのように椅子に座り込み水を飲んでいた。俺はマキを壁にもたれるように座らせ、彼女の対面に座ると焦って言葉が詰まらせた。
肌がピリピリと感じる。恐怖か憎悪か怒りか、自らの感情を理解できてないのだろう。唾を飲み込むのも苦しい。私は耳鳴りを起こす現況を軽く叩いてやると彼女の方を睨みつける。
「……お、お前、名前は」
「普通は自分から名乗るものだろう?」
「俺の……名前か」
「俺?」
彼女はあからさまに首を傾げ俺の方を見つめる。何がそんなに不思議なんだ、俺はお前になにがしたいのだ? 今更何を伝えに来たのだ?
「俺の名前は……宮本……」
俺は固唾を飲むと言葉をなんとか捻り出した。
「宮本……隆二だ」
「宮本隆二……? どういうことだ? 名前は『彩芽』ではないのか?」
「……う、嘘をついた! 初対面だからな! 私の名前は宮本彩芽、彩芽だ!」
勘違い、しかしそんなことがあるのだろうか? 覚えているだろう、家族のことくらい。しかし現実か? これは幻なのか? 私は咄嗟に目を擦る。しかし現実はよりいっそ現実味を増す。
リンゴの匂いのする少女。茶髪の短髪、赤と白の派手な服装。マキと同じくらいの身長、その上太っても痩せてもない体つきに華奢な四肢。しかし何度も見た顔つき。
どうして殺したはずの妹が、目の前にいるというのだ。
「なぜそんなに目を丸くしている? まさか私が誰か分かっていないのか」
「お前は機械、私にポケットティッシュを渡してきた本人。かつ、幾度かマキと接触していた少女自身」
「饒舌なやつだな、そこまで知られているのか……半分は正解で半分は間違いだ」
彼女はそう言うと鬱屈した表情で頬杖をついた。私もつられて机に手を置く。
若干気分が落ち着いた。しかし心の底にあるのは違和感。解決されていない謎、妹の顔をした彼女はただ淡々と言葉を連ねる。
「いい機会だ、分からないことがあるなら答えてやる」
「……質問への回答がまだだろう。名前はなんて言う? それとも無いのか?」
「そうだな、私にも名前はない。強いていうのなら、皆からは『キミ』って呼ばれてた」
「そうか……それで、キミは機械でいいんだよな?」
そう言うとキミはつまらなさそうに自身の爪を見た。機械がこんなにも人間のような細かな動きをするのだろうか? 表情も柔らかく言葉の節々に人間特有の間も感じる。しかしどれも既視感のある行動。彼女は一体何者なのだ?
リンゴの香りがスリップダメージのように鼻の奥を突いてくる。しばしば集中が途切れ気分が悪くなるのを感じる。
「三つ、矛盾点がある」
「なんだ?」
「一つ、私はマキと同じ機械なのか。二つ、なぜ研究所から七時間もかかるこの場所まで来れたのか。三つ、どうしてマキは今倒れているにも関わらず私は動揺していないのか」
言われてみれば機械に充電する方法は、私の家にあるネジと研究所のコード以外には見つけていない。しかし私の家のねじは彼女には使えない。研究所からここまでは歩いて七時間もかかる距離にあるため、充電量が五時間しかない機械一人だけではここまで来ることができない。ましてや走ってや多少の無茶をしてといった方法をとっても、こんなに呑気に水を飲むほどの元気があるはずない。
そもそもマキとの接点はなんだ? なぜマキはキミとの接触を私に話さなかった? そしてどうして彼女たちは当然のように受け入れている?
分からないことが多すぎる。キミの話を聞く以外の手立ては途絶える。
「話してくれ」
「そう、ならまず私はマキと同じ機械なのか。安心しろ、私は機械だ。しかしマキとは少々異なる。一つ、私の方がバッテリー量が少ない。二つ、私の方が感情が薄い。三つ、私は記憶の切り替えができない。四つ、私にはモデルがいるらしい。五つ、私の方が二センチ身長が高い。最後に、私は博士が言うには死にきれないらしい」
「死にきれない? どういうことだ?」
彼女は得意になって話し出す。感情が薄いとはこれいかに、キミの方が感情を汲み取りやすいではないか。
「私にはマキと違って記憶端子がないんだ」
「記憶端子とはなんだ?」
「マキの背中を見たことは無いか? くぼんだ小さな穴があったと思うが、そこにこの記憶端子が入っている」
そう言うと彼女は小さなカードを目の前に差し出した。
「さっき拾っておいた、それにマキの全てが入っている。しかし私にはその記憶端子が無いせいで、どれだけ死んでも直せば同じ記憶をもって生まれるらしい」
「分かるように話せ」
「お前は脳が小さいのか?」
「アインシュタインの脳はそこらの凡人よりも小さいらしいぞ」
「堅物め、私は人間と話しているのだ」
そう言うと彼女はため息をついて机に突っ伏す。
彼女のいじらしい様はまるで人間だ。人間と話していると錯覚した脳を一度覚醒させる。
「言ってしまえば、私の記憶はこの体に組み込まれている。しかしマキの場合は記憶端子を入れ替えることで人格を変えることができる……少しは理解できたか?」
「少しはな」
「じゃあ次。サルに説明をするのもなかなか骨が折れるな」
「お前はそのサルから産まれたんだろ」
「サルはサルでも優秀なホモサピエンスだ」
機械からすれば私たちはただ喋る人形に見えているのか。
気味が悪い。しかし、これは同族嫌悪なのだと思うと一体何故か安心感を覚えた。
「なぜ研究所から七時間もかかるこの家まで一人で来れたのか」
さっきから度々彼女の目線が私の目から外れる。それどころか机に突っ伏した後から一度も目が合わない。飽きたのか? 機械が? 見れば見る程機械と言う認識が薄れていく。まるで人間と話しているような気さえしてくる。これが不気味の谷を超越した機械の姿かと感激する。
「この問題は極めて単純だ。私は一度の充電で十六時間動くことができる」
「十六時間? どういうことだ? さっき自分でキミはマキよりバッテリーが少ないと言っただろう?」
「うん、言った。言葉の通りマキは一度の充電で二十時間動くことができる」
「なんだと? しかし、それは……」
「ねじの限界だ」
そう言うと彼女は近くにあったねじを指差した。私は視線を奪われる。
「お前はねじを五回以上回したことがあるか? 逆に五回より少なく回したことがあるか?」
「ないな」
「だろう? しかしあのネジには五時間分のエネルギーを与える程度の力しかない。知っていると思うが、研究所にもエネルギーが供給されている場所がある。あそこでならば満タンまで充電することができる。つまり五時間では往復ができないが、満タンに回復した私やマキであれば往復が余裕だということだ」
私は目線を元に戻す。すると彼女は水を飲み終えたようで椅子から立ち上がると水道から水を足した。「長く話すと喉が渇く」という前提知識が無ければできない行動、そもそも機械には飲食が必要ないわけで、逆に言えばこれはプログラムにある行動。彼女を作った人間は一体何者なのか?
キミは再度椅子に座ると背もたれに体を任せ話し出した。
「最後に、なぜマキが今ああして動けない状態にいるのか。そして私はこんなにも冷静でいれるのか」
キミはマキを顎でしゃくると、私はマキの方を見た。力なく壁にもたれかかっており、電気の通っていない家電のようだ。
「それは単に記憶端子が抜けているからだ」
「それって……」
「その記憶端子を入れることができればマキは時期に目を覚ます」
キミは小さく笑みを浮かべてそう言った。私は咄嗟にキミから渡された記憶端子をじっと見つめる。
「しかし、そうはさせない」
そう言うとキミは机の上に何かを置いた。将棋の駒のように置かれたそれは、私が持つものと全く同じもの。
「これは……」
「お前が持っているものは『マキの記憶端子』だ。そしてこれは『マキになる前の記憶端子』マキは言ってただろう? ここに来るまでの記憶が無いって」
背筋が凍り付く。キミの目線は私の痛い所を的確に睨みつけてくる。
「私は『マキになる前』の彼女を『オマエ』と呼んでいた。だからこの端子は『オマエの記憶端子』と言うことになるな」
私は彼女の意図を理解した。それと同時になぜマキが動かなくなったのかも理解できた。
「入れ知恵をしたな」
「合理的な判断だと考えたのみだ。お前が同じ立場ならきっとそうしただろう。しかし本当のことを述べたのみだ」
「考えたとはご立派なことだ。『本当のこと』とは? マキになんと言った?」
「痛い所を突くな」
「機械なんだろう? 一言一句覚えているはずだ」
そう言うと彼女はまいったと言わんばかりに手をあげた。
「『その記憶端子は一度抜いてしまうとその後、接触不良を起こしてしまう。つまり入れ替えは一度しか行えない。そのうえで聞く、マキは今のマキでいるのか、元の人格を生かすのか。選べ』」
「初めて聞いたことばかりだな、記憶端子は二度抜くと駄目なのか」
「そして彼女はあえて私の前ではなく、お前の家の前で記憶端子の抜いた。記憶端子を抜けば動けなくなることは伝えていた。それがどういうことか、分かるだろう?」
「私に、選べと」
「彼女は最後の最後まで悩んでた。『マキ』のままでいるのか、『オマエの人格』に戻すべきなのか。何がなんでもお前には伝えたく無かったそうだな」
「余計なお世話だ」
「信用されていた証だ」
そう言うとキミは舌打ちし、再度頬杖を突いた。こいつはどこまでも偉そうなやつだ。
しかし驚いた、あのマキが自分を優先しようと考えたのかと。それと同時に自分がマキにもたらした影響の大きさを自覚した。
キミはため息をつくと『オマエの端子』を差し出した。
「これはマキがお前に課した業だ。お前が出した結果に私は口を出さないと約束しよう」
「待ってほしい」
「なんだ?」
「これだけは聞いておきたかった……」
私は記憶端子をじっと見つめる。
顔を合わせると、キミの目線が私を逃さまいとしていた。背筋に汗が流れる。
「――なぜ、キミ達には名前が無い?」
「名前……?」
「これは興味だ。はじめ私がマキに名前を付けてやった時、彼女は『うれしい』と言ってくれた。しかしなぜそもそも名前が無かった? どうして名前がない事に不便さを感じていなかった? なぜ名前のない相手にこんなにも愛想がいいんだ」
口を開けば開く程失礼な言葉が飛び出す。しかし、私はどうしてもそれが不服で仕方がなかった。名前がない事を当然と捉えたくなかったのだ。
「なんだ、そんなことか」
そう言うと彼女は小さく笑った。
「わたしにもオマエにも名前は無かった。しかし、無かったのではない。付けなかったのだ。私たちは元々人間の生活をサポートするための機械として生まれた。つまりはいずれ博士のもとを離れる必要がある。そんないつか、ご主人様から他にない特別な名前を付けてもらうために、つけてもらった名前を後生の宝にするために。博士は私たちにわざと名前を付けなかったのだ」
博士は彼女たちを憂いていた。マキは捨てられたのではない。キミは名前がない事をこの上ない幸せだと感じていた、そんな感情が表情からくみ取れる。
「私には名前が無い。しかし、彩芽につけてもらう義理もない。覚えておけ」
「あぁ、分かっている」
そう言うと、私は二つの端子をじっと見つめた。
『マキの記憶端子』『マキになる前の記憶端子』
私はどちらの記憶端子を差し込むべきなのだろうか。
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