花言葉は優先
マキの帰宅が遅い。家を出て行ってから二時間が経った。ゆえに後二時間程度でマキの充電が切れる。心配からか心拍が増すが心の中では信用していた。猫は散歩をするがお腹がすくと帰ってくる、猫にリードは着けない。それと同じようなものだ。
実際マキが意味もなく家を出ることはここ一週間では珍しくないことだ。初めて散歩に行くと言われた日は流石に引き留めたし心配もした、しかしそんな私を憂いたのか彼女はものの三十分で帰ってきた。機械が散歩などするのかと考えた結果むしろ合理的ではないかと思える。彼女は機械だ、ゆえに人間の心を知らない。つまり散歩をするのは人間の心を少しでも理解しようとする努力なのだろう。生憎私に外出する趣味はなく、軒並み思春期の頃に置いてきた。残念ながらマキの散歩に私の心を掴むヒントは一つもない、しかし私と違う方向へと成長することはよい事だ。
散歩と言っても町を散策するだけではない、時には靴に潮の匂いを付けてきたことや帰りにミルクレープを買ってきたこともあった。必ず帰ってきてくれた。外出してから二時間以内には返ってきていたのだ。そう、二時間以内には確実に。
「……」
私はエナジードリンクを飲み干すとキーボードから手を離した。今夜は新月、手元は暗い。一人は寂しいものだと最近気が付いた。一人である事実は変わらない。そこに一体がいるだけで私の人生は月のように変わってしまった。満月の夜が恋しい。
しかし彼女は二時間も何をしているのだろう。どうしてこんなにも時間がかかっているのだろう? 考えられる要因はいくつかある。
一つ目はただ純粋に散歩をしているだけ。しかしなんだか違和感を感じた。例えば最近のゲームなどでは数フレームで戦況が変わるものがある。機械内の時間はリアルの時間とは大差を生むことがある。要は機械の処理速度は人間に比べ、ものすごく早いということだ。それはマキにも同じことが言えるだろう。つまりは私たち人間と機械であるマキには大きな認識の違いがあるということだ。それはいわば体内時計、個々が感じる時間の概念だ。
例えば私が布団に入って寝ているとき、マキはただひたすらに私の寝相を眺めているときがある。それも三、四時間もだ。普通であればそんなに辛抱できるものではないだろう。現に私も二時間程度パソコンの前でただひたすらキーボードを叩いていたがそろそろ限界だ。つまりマキは体内時計を自由に設定できるのではないだろうか? つまり私が寝ているときにだけ時間を早く感じる設定にしてやれば三、四時間に感じるはずの時間をものの一、二分にまで短縮することができるだろう。逆に言えば体内時間を遅くすることも可能なのではないかと考える。
この前マキに本を貸したとき、彼女はものの数時間で大量の言葉や話の癖を学ぶことができた。それは読むスピードがダントツに速いかつ、処理スピードが人間よりも遥かに速いからではないだろうか? 人間には感傷に浸る時間がかかってしまう。それをショートカットできるからこそマキは一瞬にして知識をものにしたと考えられる。
このことから考えるに『マキはただ道を歩くという行為に膨大な時間を確保する必要があるのか』と言うことだ。散歩によって得られる知識など本に比べたらほとんどない。確かに歩くスピードや距離を考えたら時間が長くなるのも頷ける。しかし前提としてマキは本当に散歩をしているのかどうかと言う点だ。
二つ目はマキが何らかの物事にはばかられている可能性。これは最悪なパターンだが事故にあっている可能性だってある。しかしこれも考えづらい。なにより彼女は機械だ。
危険な橋を自ら渡るような子ではない。それこそマキは必ず歩道を歩くし信号は止まってから渡る。裏道にはあまり入らないし目的地までの距離も安全を考慮した最短経路を歩く。彼女が被害者になるかもしれないがそれさえも人間よりありえない。
正直彼女がそのような問題に巻き込まれる可能性はほとんどないと思ってよいだろう。やはり彼女は機械なのだ。数多の情報の中を生きてきた彼女がそのような問題に直面するようなことがあればきっと今まで生きてこれなかっただろう。
「じゃあなぜ……」
ならば一体どうして彼女の帰りはこれほどまでに遅いのだろうか? 私はため息をつくとマウスの近くにあったポケットティッシュに目が行った。
「これは……」
地図が書いてあるティッシュを入れていたポケットティッシュだ。中身は一つも使っていない。指紋の跡など残ってないか懸命に調べたが自分のものしか見当たらなかった。
「これから持ち主のもとへと辿る方法は使えない……」
そこまで考えたとき、一つの疑問が浮かんだ。
ポケットティッシュには指紋が一つしか見当たらなかった。しかし、何故一つしか見当たらなかったのだろうか?
以前マキと研究所に行ったとき、マキにも指紋があるがそれは彼女にしか分からない記号のようなものだという説明を受けた。だからこそ、このポケットティッシュには私の指紋しか見当たらなかったのだ。
しかし、これを渡してきた少女の指紋はどこへ消えたのだろうか?
そして、もしこのポケットティッシュがマキへの贈り物だとするならば……
「……」
嫌な予感がする。私は裏面に書かれた広告のQRコードをスマホで読み取ることにした。
「これは……」
画面に出たのは『404 not found』のエラー文。これはページが消されたことを示すエラーだ。しかし広告用に作られたサイトを消すような真似、ポケットティッシュを配る程の企業がすることだろうか? そもそもこのQRコードの内容は本当に広告だったのだろうか? これは私宛てではなく一瞬でQRコードへとアクセスのできる彼女へと送られたもの。マキと言う機械に送られたもの。しかし、マキが機械だと知っている人間が他にいるだろうか?
脳裏に嫌な予感が漂う。私にこのポケットティッシュを渡した少女は? 彼女の指紋が検出されなかった理由は? 彼女はマキを知っている『人間』ではない。
「少女は……まさか――」
少女の来ていたコートには見覚えがある。それは研究所に行った際、一番小さな部屋に置いてあったコートだ。つまり彼女はあそこに通っていた。
少女からしたリンゴの匂いも知っている。二週間ほど前、マキが家に帰った際に感じた匂いと同じ匂いだ。マキが研究所の場所を知っていたのもその時会っていたからだろう。
そしてここ一週間マキが散歩に出かけるようになったきっかけは少女に合うため。地図を私に手渡してきたのは人間である私に地図の場所を特定させるため。なぜなら、
機械の少女には地図を読むことができない。
『――――』
家中にインターフォンが鳴り響いた。インターフォンが押された。玄関に誰かがいる。少女がいる。
私は戸惑う心臓を抑えようと胸に手を当てる。最悪の場合を考えたくない。それが幸福だと願いたい。しかし私の中の嫌な予感が肥大化する。絶望が今目の前にいる。
私は扉に手をかける。
私は扉を開ける。
私はドアを開き、そして絶望した。
「……ま、き?」
茶色の髪が長く触れたら壊れそうな華奢な体つき、通りかかるすべての人の目を盗むようなロリータ服に包まれた少女が、
道の真ん中で倒れていた。
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