心残りと門外漢
最近のパンと言えば総菜パンか菓子パンの二種類しかない。しかしどちらも塩味や甘味にパラメーターを振りすぎており、舌が焦げるような感覚になる。現にさっきちぎったメロンパンは紅茶と口の中で喧嘩を起こしている。目覚めの悪い朝になってしまったと後悔しつつ、私はもう一口分パンをちぎる。
「アメ」
「なんだ」
「そのパン……お昼に食べるって、昨日言ってた」
「……本当か」
「うん。帰ってからそれ言って、すぐに寝た」
「どうりで覚えてないわけだ」
口に含んでしまったものはしょうがない。私はパンを頬張ると手に付いたパンくずを皿の上に落とした。
それにパンの賞味期限は短いのだ。早く食べて損することは無い。
「それと」
「まだあるのか」
「昨日アメ外に出たけど、十分で帰るって言ってたよね」
「そういえばそんなこと言ってたな」
「十二分三十七秒」
「……」
「何があったの」
そう言うとマキは対面で私のことをじっと見つめる。門限を破っていたのか……
なにか言わない限り逃してはくれないだろう。おのずと空気が張りつく感じがする。しかしマキの愛おしさに若干緊張がほぐれる。
昨日は家に帰った直後眠ってしまったらしい、昨日のことは何も伝えられていない。しかし曖昧ながらも覚えていることもある。私はポケットを漁るとそれを取りだして見せた。
「これは?」
「私が一度立ち止まったことは知っているだろう? その時にもらったものだ」
「ポケットティッシュ?」
一見するとただのポケットティッシュ。しかし朝日の影響で視界が良くなった今、新たに得られる情報が増えた。それは、このポケットティッシュが開封済みであったこと。そして、
「一枚目、何か書いてある」
「これは……」
一枚目のティッシュに、明らかに鉛筆で何かが書かれた痕跡があることだ。
それはおそらく地図のようなもの。ティッシュに鉛筆でこのように地図を書けるなんて、マキのような機械でなければありえない。一体どのようにして書いたのだろうか。
「一枚目、何が書いてあるの?」
「おそらく地図だ、ほら」
そう言って地図の書かれたティッシュをマキの前に置く。彼女はそれをじっと見つめる。
機械であれば場所の特定はたやすいだろう。安堵した矢先、マキが首を傾げた。
「これが、地図?」
「違うのか? しかし……」
「多分私たち機械は、人間が書いた地図が読めないんだと思う」
「そうなのか」
機械に限ってそんなことがあるのか?
じゃあこれは何に見えているのだろうか? 私は地図を凝視する。形が歪な四角形やところどころの矢印、これを地図と呼ばないのなら何を地図と呼ぶのだろうか。
「これ、分からないのか」
「分からない。機械の中で共有されてる地図はすでに情報化されたもの。図形の羅列を見たところでそれの尺度や角度が正確に知ることができないと、人間の書いた地図は解読できない。素人が高難度の数学の式を見ているようなもの」
そう言うとマキは眉を下げた。
困った、地図の位置はここら一帯でなければ、昨晩通った道でもなさそうだ。つまりこれの所在は私たちには知るすべがない……
「一見、ここら一帯じゃない気がする」
「でもコンビニまでの道で渡されたってことは、近くであることは間違いない」
「しかし範囲が広すぎる」
「アメが地図とにらめっこしなくちゃ」
そう言うとマキもパンを一口かじった。
昔からここらで住んでいるがこのような地形は見たことがない。つまりは市の地図と間違い探しをすることになる。
「しらみつぶし以外の方法はないか……」
「こればかりはアメに頼るしかない」
「厳しい戦いになるな」
そう思い私はポケットティッシュを眺めた。
「指紋とかついてないもんか?」
「すでに調べた。それらしいものは私たちモノ以外はなかった」
「つまり持ち主のもとへはいけないってことか……」
「でも、夜中にポケットティッシュを配るなんて大胆」
「……そのことだが」
マキに説明をするのを忘れていた。
私はポケットティッシュの裏面にある広告を見つめながら昨晩起こった出来事をマキに伝えた。
「りんごの匂いがする少女?」
「そうだ」
「機械は匂いが分からない」
「そうだったな」
「それに少女の匂いを嗅ぐのは、世間一般では変態って言うらしい」
「注釈にすぎない」
マキは目を細める。仕方のない事だ、昨晩は睡眠欲に襲われ五感に頼るほかなかった。決して自分は変態ではない。そう思いながら私は裏面のQRコードの書かれた広告をマキに見せた。
マキは裏面の広告をじっと見つめる。髪が皿の中に入りそうだ。
「おそらくその少女が道端で貰ったポケットティッシュの一枚目に、この地図を書いて渡したのだろう」
「けどなんでアメに? アメ、何か悪い事した?」
「覚えはない、しかし不思議な事には慣れている」
「そう」
マキはいまだじっと広告を見つめている。なんとなくサイトを調べているのだろう。私も考えるだけでネットワークにつながるような脳が欲しかった。後でQRコードを読み取ってみよう。
私は最後の一口を頬張ると紅茶を飲み干した。底に残った酸味が口の中目一杯に広がる。
「私ではなく、マキに渡したかったのかもしれない」
「私、狙われてるの?」
「マキの存在は異様だ」
「そうかな?」
そう言うとマキは自分の体をあちこち見渡した。そう言うことが言いたいのではないが、自身の体を見渡すマキが可愛いのでどうでも良くなる。
しかしマキの言うとうりマキは一見ただの少女、彼女の所在を知る存在は私以外いないはず。
「それに私地図読めなかったでしょ?」
「それがどうした?」
「読めない地図を渡されたところで私にはどうしようもできない」
至極真っ当な返答だ。
しかしそうなると本当にこの地図はしらみつぶししなければならないのか?
どこかにヒントはないかとティッシュの隅々を見てみる、たまに紙を透かしてみるが新たな発見は得られそうにない。
「そもそもあの少女、何が狙いなのか分からないな」
「……」
「マキ?」
「どうしたの?」
「いや……そろそろ片付けよう」
「そうだね」
そう言うとマキは立ち上がり私と自分の分の皿とコップを手に取った。
立ち上がった瞬間、髪が皿に触れているのが見えた。まずは髪を洗うことを勧めなければ……
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