心情は雨
外は曇りのようで空気はなんとなく湿気ている。眼鏡の曇りが取れずになんとなくイライラしていると目の前にトーストと紅茶が置かれる。感謝を告げると彼女は何も言わずにキッチンへと向かった。表情は硬く何を考えているのかよく分からない。
『今日は全国的に雨、特に南部では強風に見舞われる場合があります』
「外は雨らしい、今日は外に出るのを控えようか」
「そうだね」
マキはそう一言告げるとオーブンからトーストを素手で取り出した。トーストからは煙が出ておりここからでも熱くなっているのが分かる。
毅然とした態度でコップに紅茶を注ぐ姿は機械だ。マキはじっとお皿の上にあるトーストを見つめたままこっちへと歩いてくる。
「熱くないのかい?」
「うん」
私の対面に座ると静かに手を合わせた。私もつられて手を合わせる。
マキはトーストをじっと見つめながら咥える。パンの粉が飛び散り机が汚れる。
言いたいことは一つ、マキが冷たすぎることだ。返事をする素振りは見せるのだが何より会話を続けようという思考がまるで汲み取れない。
普段なら『アメは外に出ないでしょ』とか『熱くないよ? 心配ありがとう』とかすごく親切に言葉を返してくれる。しかしどういうことか今日のマキは生憎の気分らしい。
「マキ」
「なに?」
「そのトースト、マーガリンが塗られてないようだが」
「え?」
手に持っているトーストをじっと見ると自分の失態に気が付いたのだろうか口角を少し下げた。しかしマキはそれを気にする様子もなくトーストにかぶりつく、そして流し込むように紅茶を飲みこむと不意に彼女と目が合った。不審に感じたのか首を小さく傾げる。
「どうしたの……?」
まるで知らない人を見るような目つきで私を見つめる。私の心は氷点下、今にも砕かれそうだ。しかしマキを見ていると心が熱くなる。なんだこの複雑な気分は。
とにかく会話を続けるべきかと食事中だということを忘れ口を開く。
「どうもしない。ただ今日のマキはなんだか、こう……ご機嫌斜めだなと思っただけだ」
「そ、そんなことない」
そう言うと彼女は目を泳がせた。まさか自覚がなかったのだろうか、だとすれば申し訳ないことをした。
マキはちいさくぶつぶつと呟いている。機械のくせに私に合わせようと慌てているのだろうか、無理に会話を続ける必要もないがこの調子だと甘いトーストも甘くなくなる。
私は席を立つとマキの紅茶を取り上げた。
「アメ……?」
「考え事には糖分がいいらしいぞ」
「え、いや、私は……」
そこまで言ってマキは口を閉じた。
冷蔵庫からオレンジのマーマレードを取り出すとスプーンでそれをすくいゆっくりと紅茶をかき混ぜた。かき混ぜる度、酸味が鼻腔をかすかにくすぐる。
マキの目の前に紅茶を置いてやるとすぐさま手に取り飲んでいく。
「焦るなよ?」
「うん、ありがとう」
彼女は小さく息をつく。今度はトーストを小さくちぎると口の中へ運んだ。
私もトーストを頬張る。湿気た空気が甘くなるのを感じる。
「なにか悩み事か?」
「えと……それは、そう」
「そうか、私であれば」
「う、うん……分かってる」
機械も悩むらしい。
依然としてあたふたとしているマキをよそに私は紅茶を飲みこむ。
なぜマキは悩んでいるのだろうか? と言うよりマキは何に悩んでいるのだろうか? 生活に関することは一括してマキに任せているため悩む前に問題は解決するだろう。人間関係なんてもってのほか。となればだれかと接触した可能性。しかしそんなことがあり得るのだろうか? マキが人と接触する場面はおおよそスーパーの店員さんくらい。そもそもマキは機械なので問題が起きても大抵のことは脳内のネットワークが瞬時に解決するだろう。となればあり得るのは道端で誰かと接触した場合だが……
「アメ」
「なんだ」
名前を呼ばれ現実に引き戻される。するとマキは泣きそうな目でこちらを見ていた。何を考えていたのだろう。つくづく機械らしいと感じる。
「アメと一緒に海に行った日、言っていないことがあるって言ったの……覚えてる?」
「当然だ」
「なんで私は道端で倒れてたのか、どうして私は記憶喪失なのか」
「……」
「何故私には名前がないのか」
そういえばマキは機械だった。ふとあの頃のオレンジの香りを思い出すと心がズキリと痛む感覚がした。
途端にテレビの雑音が耳によぎる。
『――市の様子です』
「……」
「どうしたの……?」
私が視線を外したことに気付いたのかマキがテレビの方を見る。
テレビにはここら一帯の中継映像が流れていた。自分の家も小さく見える。
「……アメ」
「どうした」
「行きたいところがある」
どうやらマキはあめのことなど眼中にないようだ。
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