心を解く

「はぁ……」


 マキはため息をつく。それもこれも一人で外に出たことでも赤の他人と話したことでもない、原因はアメだった。

 右手につるしたバッグには一通りの日用品、橙色のものが多く袋からはオレンジの甘い香りがするのはアメはオレンジの匂いが好きだからだった。いつから好きなのかは知らないがマキはなんとなく予想が付いている。


「気にかけすぎ」


 薄灰の空、秋の紅葉もその役目を果たした頃合い。何気なく口に入った髪の毛を手で避ける。

 マキがエコバッグを小物入れに入れ靴を履いた時点で、彼は玄関までやってきてマキを引き留めた。この買い物はおおよそ自分の為だが彼の為でもある。しかしそれを言えば自分で行くと言い出すかもしれないと悟ったマキはそれを押しのけ、いわゆる強行突破と言う形で買い物に出かけたのだ。運動と言えばトイレと部屋の反復横跳び、怠惰をこじらせたアメが家から出るなど到底想像できない。どうせ道のど真ん中でくたばるような人間がかっこつけて代わりに行くなど言われても心配しか湧かないのがマキの性格だった。アメの配慮には感謝してをいるがそれを素直に受け取る程マキは純粋ではいたくなかったのだ。

 コンクリートの地面、軽い靴で丁寧に歩を進める。それも白と橙の綺麗な服を汚したくないから、長い茶髪はアメに解いてもらったものだから。


「……?」


 何も変哲もなく家の前まで着くことができた。エネルギーもまだ三時間分残っている。今日も何もなくて良かったと安堵した矢先、家の前に人がいるのに気が付いた。

 短い茶髪に赤と白のファンタジーに出てきそうな服装。頭の中で検索をかけても日本の職種のどれにも該当しない。強いていうならコスプレイヤー。しかし、背丈がそうではないと物語っている。身長はおそらくマキより二センチ高い。可憐で幼い体つき、中学生くらいだろうか? アメの家にこのような人が来るなんて珍しい。マキは彼女に近づく。


「あの」

「ん?」

「ここに、用ですか?」

「……!」


 彼女はマキに気付くと同時に目を丸くさせる。頭頂から足にかけてじっくりと見られて若干の不快感を感じた。

 インターホンに伸びた手がピタリと固まっている。


「なんですか?」

「おまえ……いや、そうか」


 妙な納得をされた。何がしたいのか分からない。彼女はマキの目をじっと見つめて口を閉じるのを忘れていた。

 なんとなく既視感があるような彼女に対して特に用もないマキは家のドアノブに手をかける。すると彼女は思い出したかのように話しかけてきた。


「ご主人を……みつけたのか?」

「ご主人?」


 ご主人というと、アメのことだろうか。知らない人間に対して個人情報をあまり晒してはならないだろうが、なんとなく彼女を放ってはおけない。


「宮本彩芽、ご主人と言うより……家族みたいな存在」

「名前は!?」

「なまえ? みやもと」

「お前の名前!」

「え……マ、マキ」


 小さくそうかと呟いた彼女はマキに背中を向けた。この家に用があったのではないだろうか?

 このまま帰らせていいのだろうかと、疑問に思ったマキは思考を巡らせた。


「ね、ねぇ」

「……なに」

「なまえ、教えて……ください」


 咄嗟に出たのがそれだった。別に聞く必要はないだろうが彼女のことを覚えておいて損しないと、何故か脳がそう感じた。

 俯く彼女の目の前まで歩くと空気が変わるのを感じた。


「名前……聞きたいのか」

「うん、きかせて」

「……」


 あからさまに言葉を詰まらせる。疑問に思うマキをよそに彼女はおもむろに口角を下げた。

 間違いだっただろうかと眉を顰める。他人を慮るのが得意と豪語していたマキは自らを悔いた。


「おまえは……マキは幸せか?」

「え、えと……幸せ」

「そう」


 彼女はまたマキに背中を向ける。

 冷たい風が彼女の髪を弄ぶ。


「まだご主人には言ってないんだろ?」

「なにを?」

「研究所で、おまえは死にかけたんだ」

「……?」


 何を言っているのか分からない。しかし、なぜか胸の内側がうるさくなるのを感じる。動揺しているのが分かる。

 直感からか本能からなのか、自然と彼女に目が引かれる。


「そしてお前はここにきた。『ねじ』のおかげでお前は自由になった」

「ねじ……?」

「わたしはかわりに寿命を得たんだ、だからあの時わたし達は死ななかった」

「なにを……」

「おまえの記憶は確かに残ってる、だから!」


 彼女は振り向くとマキの腕を握った。瞬間、脳内を無理やり掘り起こすような感覚を感じ、過去の出来事が鮮明に目に写る。腕に電流が流れたように反応を起こし反射的にエコバッグを落とす。

 嫌悪感を抱いたマキは手を引くと同時に瞬きを何度も行った。


「あれ……」


 しかし、彼女は姿を消していた。

 不思議に思いつつもマキの思考から秘密がこべりついて剥がれない。焦燥に駆られ玄関をあけるとドタバタと足音がした。

 アメが玄関に立っているのが分かる。しかし今は、正直に会いたいと思えなかった。


「マキ、帰ったのか」

「……うん」

「ん?」


 アメは眉間にしわを寄せる。


「どう……したの?」

「なんだか、リンゴの匂いがしたと思ってな」


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