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 3月12日、卒業式まであと1週間になった。すでに小学校は半ドンになっていて、午前で帰りになっている。


 光輝も陸も卒業式を楽しみにしていた。それは、彼らの担任の松島も一緒だ。松島は宮城県出身で、小学校から大学までずっと宮城県で過ごしている。


「起立、礼!」

「さようなら」


 生徒は帰り出した。学校が午前中で終わりになり、みんなこれから何をして遊ぼうかで頭がいっぱいだ。


「もうあと5日なのか」

「そうだね」


 あと5日、小学校に行けば終わりだ。来月から中学生だ。だけどそれは、2人の別れが近づくことを意味する。嬉しい半面、寂しさが増してくる。


「さみしい?」

「うん。陸くん、東京に行っちゃうんだよね」


 光輝は落ち込んでいる。もっと一緒にいたかったのに、もうすぐ東京に行ってしまう。それは仕方がない事だ。人生に別れがつきものだ。別れを経験して、人は強くなっていくものだ。


「うん。父親の転勤が原因とはいえ、残念だよ」

「東京に行っても、イーグルスファンでいてね!」

「うん!」


 イーグルスこと東北楽天ゴールデンイーグルスは、2004年の秋に創設された50年ぶりの新球団だ。近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併を発端とする球界再編の中で誕生した新しい球団の誕生に、東北の人々は喜んだ。創立間もない頃の楽天イーグルスは、寄せ集めの選手がほとんどで、最初はとても弱かったという。だが、着々に力をつけてきて、2013年には東日本大震災を乗り越えて日本一になった。2人は野球に興味を持ち始めた頃からイーグルスファンで、たまに野球観戦に行った事もある。2人が好きなのは、2021年にアメリカから戻って来たエースの田中将大だ。


「いつかまた、帰ってきてね!」

「もちろんさ! もし帰ってきたら、一緒に仙台で牛タンを食べようよ!」


 2人とも、仙台市内で何度か牛タンを食べた事があり、野球観戦の帰りはもっぱら家族で牛タンを食べるのが定番だ。


「うん!」

「離れても、いつまでも友達だよ!」


 光輝は誓った。東京に行っても、いつまでも友達でいよう。電話や文通でお互いの日々を語り合おう。


「もちろんさ!」

「じゃあね、バイバーイ」

「バイバーイ!」


 光輝は教室を出ていった。陸は立ち上がり、校舎から海を見ている。海を見て、陸は思った。東日本大震災ではどれほど大きな大津波が押し寄せてきたんだろう。もし、そこに自分がいたら、きっと助からないだろうな。




 その頃、松島は職員室である写真を見ていた。それは、家族の写真だ。家族は私を残してみんな、東日本大震災で亡くなった。1人だけになった時、どうすればいいんだろうと考えた。だが、みんなが支えてくれた。そして今、力強く生きている。


「はぁ・・・。もうあれから13年か。小学生はみんな、東日本大震災を経験していない」


 松島は気にしていた。今年の卒業生は東日本大震災の後に生まれた子供たちだ。東日本大震災の事は知っているが、もうそんな世代になったんだなと思った。だけど、これからもずっと語り継いでいかなければ。そして、そこから立ち上がり、強くなっていった日々を。


「どうしたんですか?」


 松島は振り向いた。そこには1年の担任の野原(のはら)がいる。すでに1年生も帰っており、職員室でのんびりしている。


「今の小学生って、東日本大震災を経験していないんだなって」

「確かに。あの時、この学校は大変だったんだよ」


 野原はあの時もこの小学校にいた。そして、普本小学校が東日本大震災でどんな被害を受けたのか、よく知っている。


「本当に?」

「ああ。卒業間近だった6年生がみんな、津波にさらわれて死んじゃったんだ」


 それを聞いて、松島は驚いた。卒業式という晴れ舞台を目前にして、みんな津波にさらわれて死んでしまうなんて。親はあまりにも辛かっただろうな。卒業証書を受け取りたかっただろうな。そう思うと、自然と涙が出てくる。


「そんな出来事が・・・」


 と、野原は天井を見て、何かを考えた。


「見せましょう、野球の底力を」

「えっ!?」


 松島は驚いた。それは、当時楽天イーグルスに所属していた嶋基宏選手が言った言葉ではないか。それを聞くと、松島は2011年4月2日の慈善試合を思い出した。あの時、自分はその球場にいた。そして、そのスピーチに感動していた。


「おととしに引退した、ヤクルトの嶋選手が言ったんだ。当時は楽天イーグルスに所属していて、2011年の4月2日に行われた慈善試合でのスピーチで言ったんだ」


 思えば、おととしに嶋基宏選手は引退した。あの時のスピーチを彷彿とさせる、『見せましょう、ヤクルトスワローズの底力を!』と引退セレモニーで言っていたな。また楽天イーグルスにコーチとして帰ってきてくれないかな?


「そうなんだ。確かにスポーツって、人を動かす力がありますよね」


 野原は思っていた。スポーツって、人を動かし、感動させる力があると思っている。高校野球もそうだし、特に2013年の楽天イーグルスがその代表例だ。


「うん。オリックスバファローズって、知ってる?」

「うん。おととしに日本一、去年はリーグ優勝したとこですよね。最近、すっごく力をつけてきたなって」


 オリックスバファローズは大阪にあるパリーグの強豪チームだ。2021年から2023年までパリーグ三連覇を果たして、2022年には日本一になった球団だ。それまではBクラスばかりで、最下位になる年もよくあった。だが、中島聡監督が就任してから急速に力をつけてきて、パリーグを代表する強豪となった。


「ああ。あのチームを率いている中嶋監督が現役時代、オリックスブルーウェーブに在籍していた頃を思い出すな。1995年に阪神・淡路大震災が起きた頃、『がんばろうKOBE』の思いを胸に戦い、リーグ優勝したんだ」


 野原はあの時の事を覚えている。1995年1月17日の5時46分、阪神・淡路大震災が起きた。そして、何千人もの人々の命が失われた。そんな中で被災した人々を勇気づけたのは、オリックスブルーウェーブだった。当時のオリックスは後にメジャーリーグに挑戦し、その名を刻む事になるイチローが活躍し、仰木マジックで知られる名将仰木彬が監督だった。中島聡はそんなオリックスブルーウェーブのキャッチャーで、約四半世紀後に監督として有名になろうとは、その時は思ってもいなかった。


「私、小学校の頃、見ていたの。あの頃がすごかったなー。イチローが活躍していて、リーグ優勝が決まったライオンズ戦のホームラン。まるで本当に神戸の想いがスタンドまで届いたようで、感動したな」


 松島もその時のオリックスブルーウェーブを知っていたし、優勝が決まった西武ライオンズ戦をテレビで見ていた。そして優勝が決まった時、とても感動した。被災した神戸の人々に勇気を与えたようで、野球の力を感じた。


「それに翌年はホーム最終戦、イチローのサヨナラタイムリーで優勝が決まったんだよ。9階の土壇場にD・Jの同点ホームランがあって、延長でイチローのサヨナラタイムリーがあったんだよ。去年、ホームで胴上げを見られなかったけど、今回はホームで胴上げを見られたんだね」

「感動的だわ」


 2人とも、そのシーンをテレビで見た事があった。あの時のほっともっとフィールド神戸、当時のグリーンスタジアム神戸は満員で、みんな、生でオリックスブルーウェーブのリーグ優勝の瞬間が見たいとやって来ただろう。そんな中でリーグ優勝を決めたのだ。感動もひとしおだろう。


「そして日本シリーズを制して日本一になったんだ。その後、中島監督がリーグ優勝に導くまで、オリックスはリーグ優勝がなく、2002年からは暗黒期に入ったんだ。そして、2004年の球界再編で近鉄バファローズと合併、オリックスバファローズとなったんだ」


 だが、仰木監督が退任した2002年からオリックスブルーウェーブは暗黒期に入り、最下位ばかりになった。スタンドはガラガラになり、あの時の興奮はまるで夢だったかのようになっていた。そして、2004年にオリックスブルーウェーブは近鉄バファローズと合併した。


「ファンがあんなに頑張ったのにね」

「俺も反対していたんだ。だけど、合併になってしまった。だけど、そんな中で、楽天イーグルスは誕生したんだ。楽天イーグルスができるって聞いた時、新しい夢ができたようで、本当に嬉しかったなぁ」


 でも、東北に楽天イーグルスが聞いた時には、みんな喜んだ。東北に俺たちのチームができたようで、東北の野球少年の新しい夢ができたようで。どんなに弱くても、いつか強くなる、日本一になると夢見た日々。そして、東日本大震災を乗り越えてつかんだ日本一。あの時と同じように、野球の力を感じた。


「ですよね。それまでは巨人が好きだったんだけど、イーグルスができて、私もイーグルスが好きになった」


 最初、松島は読売ジャイアンツが好きだった。だが、東北に楽天イーグルスができた時、松島は楽天イーグルスのファンになった。当時、松島は岩隈久志が好きだったが、田中将大が入団すると、田中将大のファンとなった。


「でも、イーグルスって、寄せ集めのチームで、2005年は散々だった。100敗に迫るほど負けて、本当にプロなのかと思ったんだ。でも、今は弱いけど、いつかは強くなってほしいと思ってたんだ」


 松島は2005年の楽天イーグルスを思い出した。あの時はとても弱くて、本当にプロなのか、アマチュアのようじゃないかと思った。もう応援するのをやめようかと何度も思った。だけど、楽天イーグルスは東北のプロ野球チーム、私は東北が好き、だから楽天イーグルスが好きだと思い、応援していた。


「マー君が来てから変わり出したね」

「うん。もしマー君を引き当てなければ、イーグルスの歴史は変わっていたかもしれない」


 マー君とは田中将大の愛称だ。2006年のドラフト1位で楽天イーグルスに入団した。高校時代は駒澤大学苫小牧高校のエースで、当時高校球界ナンバーワンのピッチャーと呼ばれていた。そんな将来が期待された田中将大に与えられた背番号は『18』。文字通りエースの背番号だ。田中将大は1年目から2桁勝利を挙げるなどの大活躍で、球団初の新人王を獲得したという。それ以後も勝利を重ね、野村監督も『神の子』というぐらいだ。そして2012年の途中から2013年まで24連勝の世界記録を作り、楽天イーグルスを日本一に導いた。


「そうだね。またマー君が帰って来たけど、また優勝、日本一になるのかな?」


 田中将大は楽天イーグルスが日本一に導いた後、アメリカに渡り、ニューヨークヤンキースで活躍した。そんな田中将大は2021年、東日本大震災から10年を迎える年に再び帰ってきた。これから楽天イーグルスはどうなっていくんだろうと考えている。きっとまた優勝に導いてくれるんじゃないかと思ってしょうがない。


「応援しよう!」

「そうだね」


 そして、松島は楽天イーグルスのクリアファイルを見た。今江監督になった今年は、どんなシーズンになるんだろう。今年の楽天イーグルスに期待しよう。

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