後日譚

 ハシモトアツシは一人、再び喫茶店を訪れた。「チョイ能力者」達の秘密結社談義で盛り上がったのはいいが、当初の目的であった「ヒナタアオイの居酒屋社員勧誘」には失敗。どうしたものかと思い悩み、自然と足が向いたのであった。

「おや、本日はお一人ですか。お好きな席へどうぞ」

 マスターは彼の顔を覚えていた。


 オレンジの照明が、木目模様の本棚を照らす暖かな店内。テーブル席、カウンター席、ともに客はおらず、穏やかな空気が流れていた。

「昨日はすみません、騒がしかったでしょう? 今日は一人なんで、カウンター席にお邪魔しますかね」

 ハシモトはど真ん中のカウンター席についた。荷物を下ろし、上着を脱ぐ。コーヒーを一つ注文し、その体格の良い身体を細身の椅子に落ち着けた。

「いえいえ、久々に店内が賑やかで、楽しかったですよ」

 コーヒーの用意をしながら、マスターは答える。歳は60代後半といったところだろうか。細い目の目じりに皺を寄せ、穏やかに笑った。

 「ところで、」とマスターは続ける。

「失礼ながら、昨日のお客様の会話が聞こえてしまいまして……なかなか興味深いお話をしていましたね」

 他に客のいない店内であれだけ盛り上がっていれば、当然マスターの耳に届くだろう。秘密結社だのコードネームだのに、若い子と一緒になってはしゃいでいたのが、今更になって恥ずかしくなってきた。ハシモトは半笑いで頭を掻いた。

「いやーお恥ずかしい。彼らが類まれなる才能を持っているものですから、私も興奮してしまいましてね」


 そうこう話している間に、注文したコーヒーが提供された。会話の中でも手際よく、まるでプログラムされた機械のように、しかし柔らかく丁寧に、流石はマスター、といった仕事ぶりであった。


「お客様の話を聞いて思ったのです。私の『これ』も、能力というものかもしれないな、と」

 マスターはそう言うと、親指サイズの靴の置物を取り出した。金属製だろうか、全体は

光沢をもった銀色で覆われている。

「『これ』、とは?」

「さしずめ、『靴に予報させる能力』、といったところでしょうか」

 彼はその靴の置物を指で弾いた。それは回転しながら宙を舞い、木漏れ日のごとき店内の光を反射する。行きつく先はカウンター。一度バウンドした後、靴底を下にして着陸した。

「明日はどうやら晴れですね。靴占いです、ご存知ですか?」

 靴占い。靴を投げ飛ばし、その着陸姿勢で明日の天気を占うもの。靴底を下にした、いわば「正位置」であれば晴れ、逆さまに落ちた「逆位置」なら雨、といった具合で、明日の天気を予報しようというものだ。

「はははマスター。靴占いでいいなら、私にもできますよ」

 マスターはきっと、好意で話を盛り上げようとしてくれているのだろう。しかしハシモトは少し、期待を裏切られた気分であった。


(まぁ、そんなポンポン「チョイ能力者」が現れても困るってもんだが……)


「もちろん、『靴占いができる』だけではありませんよ。私の靴占いは、外れたことがありません」

 証拠に、と、マスターは着陸した靴の置物を拾いあげた。

「私が何度靴を弾こうと、今日は『晴れ』しかでないでしょう」

 彼がもう一度それを弾くと、先ほどと同じく、靴底を下にして着地した。二度、三度と繰り返したが、やはり結果は変わらない。


 だがハシモトは訝しむ。その靴の置物に細工があるのではないか? 靴底側に重りがあるとか……可能性はある。自身にも弾かせてくれ、とマスターに提案した。

「もちろんどうぞ。そちらに細工はありません。……ってなんだか、マジシャンみたいですね」

 ハシモトは何度かその靴の置物を弾いてみた。正位置、逆向き、横倒し。確率はよくわからないが、様々な向きで転がった。この置物自体に細工はなさそうだ。

「少なくとも、『弾いた靴の置物の向きを日ごとに固定する能力』はありそうですね……それが明日の天気を予報しているのかは、明日にならなければ判断できませんが……」

 ハシモトの所見に、マスターは満足そうに笑った。


「でも、予報できるところまで真実なら、なぜ喫茶店を? なぜ天気予報士にならなかったんですか?」

「予報の根拠が靴占いでは、予報士の資格は取れませんよ」

 コップを拭きながら、マスターは微笑む。

「自分の『できること』と『やりたいこと』が合致している方は幸運なんです。大抵の人は、この二つのギャップに苦しむものですよ」

「それはそうですが、マスター。『能力』は一般論でいう『できること』とはレベルが違う」

 ハシモトは熱く拳を握った。

「持たざるものがどれだけ努力しても手に入らないものを持っている。それなのに、その自覚が薄い能力者ばかりだ。彼らの力で、もっと世界を良くできるかもしれないのに」

 少し間を置き、握った拳を左手で覆う。彼はうつむき、言葉を続けた。

「つまるところ、私は羨ましいんですよ。あなた達のような能力者が。私も欲しかった、何かの能力が……」

 おや、とマスターは目を丸くした。コップを拭いていた手が止まる。

「あなたも自覚がないのかもしれませんよ、あなた自身の『能力』に」

 コップを置き、布巾を仕舞い、彼はハシモトの目を捉える。

「私はこれまで、『能力』と呼べるようなものを持った人間と会ったことはありませんでした。そんな人間が自分以外にもいると、想像したこともなかったのです。昨日、あなた方が来店されるまで。」

「思いませんか? 『能力者』は皆、あなたを通して知り合っていると」

 「道を譲らせる能力」のアオヤギは、ハシモトの旧知の仲であった。「太陽を指し示す能力」のヒナタは、ハシモトの居酒屋の元アルバイト。彼女が辞めた後、新しくアルバイトで入ったのが「靴下を離別させる能力」のカタヤマ。そしてハシモトが選んだ喫茶店でマスターを務めるこの男が、「靴に予報させる能力」を自称している。

「あなたはもしかしたら、『チョイ能力者を引き寄せる能力』があるのかもしれませんよ」

「『引き寄せる』……」

 思いもよらぬ言葉に、ハシモトは困惑した。あるのだろうか、自身にも「能力」が。

「それをどう使うか、あるいは使わないか、すべてあなた次第です。どうかより良い選択を」

「本当に能力があれば、ですがね……ありがとう、マスター。色々と、考える必要がありそうだ」

 いえいえ、とマスターは首をすくめた。


 コーヒーを飲み干し、お代を払うと、ハシモトは店を出た。青い空から太陽が、コンクリートを熱くする。明日も晴れるんだったか。冷たいビールが売れそうだ。彼はようやく、本業を思い出した。

「しまったしまった、仕込みをしないと」

 ハシモトの頭の片隅で、マスターの言葉が繰り返し再生される。自分はこれまでしてきただろうか。今後できるだろうか。自分の「できること」を、見直さなければならない。


——どうかより良い選択を。

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太陽を指し示す能力 秋都 鮭丸 @sakemaru

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