11.予知夢(感想:まとめきれなかった……苦笑)
「お母さん……?」
お母さんが青信号になった交差点に入り、ゆっくりと前に進んでいく。追い掛けようとするが何故だか自分の身体が動かなかった。
突然、叫び声が響いた。左からだった。
見ると、奥からもの凄いスピードでトラックが走ってくるのと、軽自動車が宙を舞うのとが見えた。軽自動車がガシャンという大きな音を立てて地面に衝突する。それでも、トラックは止まらない。トラックはそのまま、お母さんが渡っている交差点に向かって来ていた。お母さんは、トラックを見つめて呆然と立っていた。足が震えている。怖いのだ。
お母さんがこちらを振り向く。穏やかな笑顔で僕を見つめていた。
トラックが目の前から、お母さんの姿を奪っていった。
目が覚めるのと同時に、目覚まし時計が鳴った。
酷く嫌な夢だった。生々しく、鮮明で、そしておぞましかった。僕はベッドから飛び出して急いで一階のリビングに向かった。
「おはよう」
呑気な声が僕に向けられた。夢の中で消し飛んだお母さんの姿がそこにはあって、目玉焼きを作っていた。
「どうしたの、そんなに青ざめて」
お母さんが首を傾げて尋ねる。パジャマ姿の僕は階段の前で仁王立ちして少しだけ息が上がっていた。
「いや、なんでもない。ちょっと変な夢見ちゃっただけ」
「そう」
一つ、大きな深呼吸をして階段をゆっくりと上がる。あれはただの夢。そう心に言い聞かせた。
今日は中学の授業が終わった後、眼科に行くことになっていた。火曜日の放課後には合唱部の活動はない。他の生徒たちがそれぞれの部活を始める姿を見て、自分も吹奏楽部や運動系の部活とかに入ればよかったと思いながら下駄箱に向かう。
靴を履き替えると、ふっと意識が飛んだ。そして目の前に鮮明な映像が流れだした。
「危ない!」
男性の低く大きな声が響き、直後、昇降口からサッカーボールが飛び込んでくる。
ゴツッ、という重たい音とともに、僕の後ろで丁度靴を履き替えていた黒髪の女子生徒がその場に倒れた。頭から血が滲んでいる。どうやら当たり所が悪く、下駄箱の角に頭をぶつけたらしい。映像は、そこで終わった。
気が付くと、僕は上履きに手を掛けたまま固まっていた。振り返ると、隣のクラスの下駄箱に女子生徒が歩いてくる。今見えた不思議な映像に映っていた黒髪のその人だった。
突然、外から声が響いた。
「危ない!」
身体が勝手に反応した。咄嗟に彼女の腕に手を伸ばして、引っ張る。
「きゃっ……!」
直後、もの凄いスピードでサッカーボールが入って来て、下駄箱に思い切りぶつかる。跳ね返ったボールは中庭の窓にぶつかり、大きな音を立てた。
すぐにユニフォームを着た男子生徒が入って来て、すみません、と言いながらサッカーボールを回収して去って行った。
「あ、あの、ありがとうございます」
自分に掛けられた声に反応して、掴んだままになっていた彼女の腕を放す。
「あ、いえ、すみません、突然」
「いえいえ、そんな……」
僕はなんだか恥ずかしくなって目が合わせられず、それじゃあ、と言ってさっさとその場を後にした。
よかった。どうやら僕は、彼女のことを救うことが出来たらしい。突然見えた夢のような映像と同じことが目の前で起こった。あれは予知夢だったのか……。そして僕はその未来を変えた、ということなのだろうか。よくわからないが、僕は不思議な力を手に入れたらしい。
僕は、なんだかとてもいいことをした気分になって、スキップをするように下校した。
家に帰ると、お母さんの運転する車に乗り、眼科に向かう。駐車場はクリニックから少し離れたところにあり、車から降りた僕たちはしばらく歩くことになる。
「そういえば、夕飯のカレー、材料が足りないからあなたが診察を受けてる間に買ってきちゃうわね。早く終わったらちょっと待ってて」
お母さんはそう言うとカードケースから取り出した保険証と診察券を僕に渡した。
「わかった、あっ……」
顔を上げると見覚えのある場所が目に写る。今朝、夢の中で見たあの交差点だった。
「それじゃあ、また後でね」
お母さんは青信号になった横断歩道を歩き始める。
嫌な予感がした。
「待って!」
「何?」
振り返ったお母さんはそれでも歩みを止めない。
「危ないから!」
僕は焦ってお母さんの元に駆け寄る。
「何、何、どうしたの?」
「ここにいたら危ない」
動揺するお母さんは眉をひそめていたが、突然、はっとしたような顔をして僕の後ろを見た。振り返ると、軽自動車が宙を舞い、トラックがこちらに迫っていた。
ああ、もう時間がない。
「ああ!」
僕は精一杯の力でお母さんを突き飛ばす。
直後、大きな金属の塊が僕の肩をかすめて通り過ぎた。
僕は吹き飛ばされるようにして地面に倒れ込む。
エンジンの臭いと煙が辺りに立ち込めた。
トラックはそのまま電柱に衝突するとバランスを崩して横転した。
しばらくの静寂の後、通行人が近寄って声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
頭がぐわんぐわんする。声はエコーが掛かったように響いて、うまく理解できない。
「救急車!救急車!」
大人たちの叫ぶ声が段々と遠くなるのを感じながら、僕は意識を失った。
「これで、しばらく様子を見ましょう」
ギプスを付けられて太くなった自分の左足を見つめる。
「わかりました」
診察室を出ると、お父さんが椅子に座って待っていた。松葉杖を使う僕の姿を見て、一瞬動揺したみたいに見えた。
「お母さんのところに行こう」
「……うん」
エレベーターに乗り、五階に向かう。病室のドアを開けると、看護師とすれ違いになった。
「須藤(すどう)さんですね。少しいいですか」
「わかりました。颯斗(はやと)、先にお母さんと話してて」
「わかった」
看護師がお父さんを連れてドアを閉めるのを見届けると、僕はお母さんが横になっているベッドの前に立った。
手術が終わり、今はゆっくりと眠っていた。両足が動かなくなってしまったらしい、ということを聞いているが、詳しいことはわからない。あの時、トラックの目の前からお母さんを突き飛ばして退かしたが、腰の当たり所が悪かったそうだ。
予知夢で見た出来事が起こり、僕はその未来を変えた。でも、その結果として、僕はお母さんに両足のない生活を強いらせることになってしまった。
あれはトラックのせいだ。もしお母さんがトラックに轢かれて死んでいたらそう思えただろう。でも、この両足の負傷は僕がお母さんを押したから出来たものだ。
僕は未来を知っていた。なら、もう少し上手く出来たのではないか。
死んだ方がマシとは思えない。でも、あれで何もしなかった方が、もしかしたら気が楽だったのかもしれないとは思う。
お母さんが麻酔から覚めて、両足が動かないことを知ったらどんな顔をするだろう。
僕はそれを想像するだけで身体から力が抜けて、その場に崩れ落ちて咽び泣いた。
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