第26話 俺の本質


 俺は奮戦していた。


 衝突はもはや数百合。

 俺は傷まみれになりながらも、致命傷だけはなんとか防ぎ続けていた。

 実力差は圧倒的だ。

 それでも、エレクサの猛攻に耐え凌いでいたのだ。

 まさかここまでやれるなんてと、正直自分を褒めてやりたいところだ。


 だが、限界は近かった。

 初めての命の削り合いに、俺の精神は大きく摩耗させられていた。

 目を離せば死ぬ。

 気を抜いたら死ぬ。

 一手でも間違えれば死ぬ。

 そんな命のやり取りを、自分より遥かに強い相手と交わし続けているのだ。

 俺は心身ともにギリギリの状態だった。


「ははっ、どうした、動きが遅くなってきてるぞ!」


 対して、エレクサは愉しそうだった。


 鉄剣と細剣が激しくぶつかり合う。

 エレクサの目線が俺の右脚を捉えた。

 右脚を斬られる……いや、これはフェイントだ!

 俺は右脚をあえて引かず、距離を詰め、鍔迫り合いに持ち込んだ。


「ほう、悪くない読みだ!」


 俺の反応を見て、エレクサは唇を吊り上げた。

 彼女は力づくで俺の剣を斬り払い、無理やり距離を空けた。

 そして、俺が態勢を崩したところに、高速の横薙ぎを放ってきた。

 俺の反応は間一髪だった。

 なんとか剣を滑り込ませ、受け止めた。

 が、受け流せはしなかった。

 エレクサが剣を振り抜くと、俺は大きく吹っ飛ばされた。


「はぁ……はぁ……いってえな……」


 勢いが止まると、俺の体が地面を削った跡があった。

 痛い。苦しい。汗が鬱陶しい。

 呼吸が喉に詰まる。

 でも、体だけはすぐに起こした。

 それをできなくなったら、俺は死ぬのだから。


「強くなったなあ、ハル。お前みたいな空っぽな奴がここまで成長するなんて、私は驚かされたよ」


 不意に、エレクサが言った。

 殺し合いの場にはそぐわない穏やかな声だ。

 ふらつく頭を上げると、離れたところにエレクサが突っ立っている。

 襲いかかってくる様子はない。


「はぁ……はぁ……あ? どういう意味だよ……」


 俺は呼吸を整えながら、尋ねた。


「私は幼い頃に親を亡くしてな……身寄りのない私は売られて、奴隷になったんだ」


「…………は?」


「盗み、暴行、そんな犯罪行為をさせられるのは当たり前。家に帰れば毎日暴力を振るわれて、腹いせに刺されたこともあったな」


 エレクサが急に語り始めた。

 なんの話だ?

 今更不幸話なんてされても、同情などできない。

 興味もない。

 こいつは許されないことをしたのだ。

 ……だが、俺は話を止めなかった。

 ただ聞いた。

 今は少しでも休息の時間が欲しかったから。


「そんなことをして日々を重ねて、なんのために生きるのか、幸せってなんなのか、いつしかそんな感情らしい思考は私の中から消えていた」


「……」


「ある日、いつものように男が馬乗りになって私を殴ったあと、少し女として成長した私に気付いて、服を脱がそうと下品に笑ったんだ。……その男の顔が、今でもはっきり思い出せる」


「……」


「さすがの私も本能的な恐怖を覚えた。だから咄嗟に、たまたま落ちていたハサミの先端を、男の腹に突き刺してしまったんだ」


「……」


「誰かの命を奪うという戸惑いはなかった。ただ、あれほど横柄だった男が『助けて』と悲鳴をあげて、必死に命乞いする姿を見た時、胸の奥の奥からゾワッと……奮い立つように総毛立って、思ったんだ」


 一拍置いて、エレクサは笑った。

 まるで恋でもする乙女のように、うっとりと笑った。


「人が絶望する瞬間は、なんて美しいんだろう」


「…………お、まえ……」


 俺は息を詰めた。

 こいつの境遇に驚いたのではない。

 俺はわかってしまったのだ。

 こいつが子どもを誘拐して、村の連中を魔獣に殺させる理由が。


「お前、まさか、そんなことのために……?」


 エレクサはとぼけた顔をした。

 俺は、頭にカッと血が上った。


「お前はッ! そんなことのためにアビルを殺したのか!? そんなことのためにアビルの父親も殺して、村の仲間を魔獣に喰い殺させてるっていうのかッ!?」


「そんなことなんかじゃないッッ!!」


 エレクサが声を荒らげた。

 俺は気圧され、口をつぐんだ。


「信頼していた相手に裏切られた時の、あの憎悪にまみれた叫びが! 絶望しながら死にゆく恐怖に歪む表情だけが! 私を満たしてくれるんだ!!」


「……」


「それが私の生きる意味なんだと! 私は生きてていいんだと教えてくれるんだッ!!」


 エレクサは、狂気的なまでに恍惚と叫んだ。

 声に熱が込もっていた。

 俺は言葉を失った。

 理解できない。したくもない。


 ただ他人の不幸を見ることが、自分を満たしてくれるのだと、この女は言い切ったのだ。

 そんなくだらない感情のために、アビルの父親は殺され、あの兄妹は生き方を捻じ曲げられたのだ。

 そんなくだらない感情のために、村の人達は殺されようとしているのだ。


「……アビルを即死させなかったのは、真実を告げられた時のあいつの顔が見たかったからか」


「ああ。わざわざ五年も温めた甲斐があったよ」


「村に魔獣を放ったのは、ただ不幸な人を増やしたかったのか」


「私は満たされ、アピスを売って金も手に入る。最高だろう?」


「…………そうか」


 俺は静かに、拳を震わせた。

 魔力の出力を最大まで上げた。


「やっぱりお前は、ここで殺す……!!」

 

 俺はエレクサに斬り掛かった。

 両者の刃が衝突し、空気が爆ぜる。

 俺は猛攻を仕掛けた。

 攻められてる時は防ぐのに精一杯だ。

 だから今度は、こっちから攻めまくる。

 相手に反撃の隙を与えない。


「らぁぁぁあッ!!」


 激しい火花と金属音が舞い散る。

 俺の連撃を受け……エレクサは興奮気味に笑った。


「ははっ、いいぞ、いいじゃないかぁ!!」


 エレクサは俺の連撃を全て防いだ。

 エレクサの攻撃に体勢を崩されていた俺とは違う。

 その場から一歩も動かず、余裕で防いでいた。


(くっ!? この女、これでもダメなのか……ッ!?)


 俺は限界まで魔力を解放している。

 全身が軋んでいる。

 ここまでやっても俺は、こいつには到底及ばないのか……!

 くっそ!!

 どうする……!?

 そうだ、アピス……せめてアピスだけでも……!


「せめてアピスだけでも、とか考えてるんだろ? 私を殺すんじゃなかったのか? ずいぶんブレブレだな」


 エレクサの鋭い視線に射抜かれた。

 見透かされ、俺はハッとした。


「だからお前は薄っぺらいんだよ! お前の元気がない理由、教えてやろうか?」


「な……っ」


 エレクサの言葉に、俺は一瞬気を取られた。

 剣を払われ、俺の右腕が跳ね上げられる。

 胴体を晒した。

 そこにエレクサの鉄剣が叩き込まれる。

 ……おわった。

 俺は死を確信した。


「まだ、殺さんがな!」


 だが、俺の胴体は真っ二つにならなかった。

 エレクサは剣が接触する寸前、手首を返したのだ。

 剣の腹の部分が、俺の脇腹に叩き込まれた。

「がっっ!?」と苦鳴を洩らし、俺は真横に倒れ込んだ。


 唾液が喉に詰まった。

 俺は喘ぐように吐き出して、顔を上げた。

 直後、エレクサの左蹴りが俺の顔面に炸裂した。

 俺は鼻血を撒き散らし、背中から倒れた。


 やばい……ッ!!

 それしか頭になかった。

 俺は必死で立ち上がった。

 そこに、エレクサの連撃が襲いかかった。


「っ!?」


 本気だ。

 これがエレクサの本気だ。

 俺のさっきの連撃を遥かに凌駕する、斬撃の嵐だ。

 俺は何度も剣の腹で叩かれ、足で蹴られ、たこ殴りにされた。


「なんの……真似だ!?」


 もし刃で斬られていたら、俺はとっくに死んでいる。

 なのに、エレクサは決して斬らなかった。

 ただただ殴り続け、嗤っていた。


「お前はさ、空っぽなんだよ。大事なものも、これからどうしようという意思もない。空っぽな男なんだよ」


 また、エレクサが喋り出した。


「なんでお前に元気がなかったのか教えてやるよ。それは妬んでたからだ! 周りの連中を見て、帰る場所や守るものがある奴らを妬んでたんだよ!」


 俺がここ最近、胸がもやもやしていた理由を喋っているのだ。

 殴られ続ける俺に、それを聞く余裕はない。

 ないはずなのに、なぜか耳に届く。

 脳に響いてくる。


「ソラに聞いたよ、ハルに勇気を貰ったって。酷いやつだよなあ。彼女が落ち込むと何もない自分が不憫だから、上っ面の言葉で慰めたんだろ? 親身になったふりをしたんだろ?」


 ……やめろ。

 違う。

 俺はただ、彼女の元気な姿が見たかっただけだ。


「偽善だよ、ソラの力になりたいなんて都合のいい嘘だ。お前は自分の居場所が欲しかっただけだ。行く場所がなかったから、恩返しなんて最もらしい理由を並べて、自分を安心させていただけだ」


「ちがッ……俺は本当に、彼女の力になりたくて――」


「じゃあ、なんで記憶を取り戻そうとしないんだ?」


 その指摘に、俺はハッとした。


「ソラに迷惑をかけたくないなら、記憶を取り戻そうとするはずだ。だが、お前はそれをしない。いつまでも不安定なまま、彼女に頼ろうとしてる」


 心臓を掴まれたような感覚があった。

 そうだ。普通なら記憶喪失についてもっと考える。

 でも、俺はそれをしなかった。

 だって……


「だって、怖いよなあ? もし記憶を取り戻したら、今のお前とは違う、前の人格に戻るんだから!」


 ……やめろ。


「記憶喪失は不安だ。でも治るのも怖い。考えたくない。考えないようにしよう。俺はソラに恩返しするフリして、先のことから目を逸らそう。逃げて、逃げて、逃げて、逃げて……それがお前の本質なんだよ!!」


「ぐ……っ、黙れえッ!!」


 気付けば、俺は反撃に出ていた。

 力任せの無理やりの一撃を放つ。

 エレクサに簡単に防がれた。

 次いで、エレクサに顔面を殴り飛ばされ、俺は地面を転がった。


「ぅ……はぁ……はぁ……っ」


 吐きそうだった。

 意識が飛びそうだった。

 二人の距離が開いた。

 なんとか顔を上げると、エレクサは意地の悪い笑みを浮かべた。


「お前さ、名前はなんて言うんだ?」


「……ぁ?」


 今更なにを聞いているのか。

 俺は顔をしかめた。


「名前だよ。なんて言うんだ?」


「……ハル、だ……」


「違う。それは偽物の名前だろ?」


「……ぇ?」


「お前はハルなんかじゃない。ハルって人物になりきってるだけだ。それは本当のお前じゃない」


 本当の自分って、なんだよ……。

 やめろ。

 その言葉は、俺の心を抉る。


「今のお前は偽物だ。嫌なことから目を逸らし、優しくしてくれるソラを妬み、利用するゴミだ。そうまでして、いったいお前はなんのために生きてるんだ?」


 なんの、ために……。

 俺の、生きる、理由なんて……。


「お前に目を付けたのは、その顔が見たかったからだよ。怖いことから目を逸らしてヘラヘラしてる、その化けの皮を剥いでやりたかったんだよ」


 俺はもう、何も言い返せなかった。

 ボロクソに言われて、違うと否定したくて。

 だけど、何も言い返せなかった。


「あぁ、やっぱり人が絶望する顔は美しい。ありがとう。そしてさようなら、名無しくん」


 エレクサは一足で肉迫してきた。

 俺は反応が遅れた。

「ぇ?」とか間抜けな声を洩らして、回避しようとした。

 間に合うはずがない。

 エレクサが剣を振り下ろした。

 今度は剣の腹ではなく、刃で確実に斬られた。

 赤い血が、宙に飛び散っていった。

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