第25話 守る強さ


 アビルが身体強化を解くと、抑え込んでいた出血が再開した。

 すごい勢い……。

 彼の凄まじい生命力に、私は吐息をこぼした。


 私はこれまで、初級の治癒魔法しか使えなかった。

 初級の中でも簡単なやつだ。

 だけど、この傷を塞ぐためには、最低でも中級以上の治癒魔法が必要になる。

 ずっと練習してきて、一度も使えなかった魔法だ。

 私は魔力を解放した。


「ぐ……っ」


 体が軋む。

 発汗が激しい。

 膨れ上がる魔力が、全身を駆け巡る。


 ……だけど、大丈夫。

 ずっと嫌いだった、弱い魔法。

 でも、今は少しだけ好きだと思える。

 ハルを守ってあげた、優しい魔法だから。

 だから、大丈夫。


 手のひらに魔力を集めて、私は優しく唱えた。


「“ヒーリング“」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 アビルは地べたに寝そべり、茫然と目の前の女を眺めていた。


 オレは、こいつが嫌いだった。

 自信がなくて、弱気で、泣き虫の女。

 魔法の練習に付き合わせたくせにやる気がなかった時は、思わず罵声を浴びせちまった。


 ……なのに、オレはその女に命を預けた。


「ケッ、情けねぇな……」


 白い魔力の光が、オレの体に流れ込んできた。

 すげぇ魔力量だ。

 こいつが一歩間違えりゃ、オレの体はぶっ壊れる。

 けど、今回はちゃんと繋がったみてぇだ。


 他人に命を委ねるなんて、今までなら絶対にあり得ねぇ選択だった。

 けど、何もできなかった弱いはずの女に信じろと言われて、絆されちまった。


 たぶんそれは、こいつの真紅のあかい瞳が、親父の瞳と重なっちまったからだ。

 復讐しか頭になかったオレを、こいつがぶん殴ってくれたからだ。


 こいつは思い出させてくれた。

 オレにはまだ、アピスがいることを。

 うぜぇから本人には言わねぇけど、オレがここまで生きてこれたのはアピスがいたからだ。

 全てを壊せる力を求めたのも、結局はアピスを守りたかっただけだって、心のどっかではわかってた。

 なのに、こんなところで奪われるわけにはいかねぇ。


 きっとこの女は、守るために変われた。

 守ることが強いことだって、親父の言葉の正しさを証明してくれた。

 だから、オレも守ってやる。

 他人に助けられてまで生き延びたんだ。

 家族だけは、死んでも守り抜いてやる。


 大切な何かを思い出せた気がして、オレは少しだけ笑った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 治癒魔法を終えた瞬間、私は地面にへたり込んだ。


「はあ……はあ……うまく、いった……っ」


 よかった。

 失敗しなくて、ほんとによかった。

 私は魔力暴走を克服できた達成感よりも、とにかく心の底からホッとしていた。


「…………助かった。……悪るかったな、色々と」


 ふと、体を起こしたアビルがお礼を言ってきた。

 ぶっきらぼうな言い方だ。

 でも、さっき少しだけ笑っていたのを見ちゃったからか、それすらも可愛く思えてきた。


「チッ、なに笑ってやがる。気ぃ抜くにはまだ早ぇぞ」


「あっ、ううん、ごめんね。えっと……体は動く?」


 アビルの怪我は治した。

 でも、万全ではない。

 負傷によるダメージは、内側に濃く残っている。

 アビルの額は今も汗まみれで、顔色も最悪だった。


「ハッ、オレはそんなヤワじゃねぇ」


 だけど、アビルは不敵に嗤った。


「オレはこれからアピスを助けにいく。テメェも来るか、ソラ?」


「えっ……うん。私も行く。きっとハルはエレクサさんと戦ってる。だから、今度は私がハルの力になりたい」


 私は立ち上がった。

 急激な魔力消費の影響でくらくらするけど、気合いでねじ伏せた。

 アビルは私の目を見て、愉快そうに鼻を鳴らした。


「それで、ハルとアピスちゃんの居場所は臭いでわかる? みんな消火に労力を割けてないから、森の火もどんどん広がってるけど……」


「煙の臭いがハンパねぇな。そのせいで少しわかりにくいが……問題ねぇ」


「……?」


「それに、あの血頭がくたばる前に追い付けなきゃ意味がねぇ。少しばかり無茶する。ちょっと待ってろ」


 そう言って、アビルが距離を取った。

 何をするつもりだろうと、私は首を傾げる。

 その直後、私は瞳を瞬かせた。


 珍しいことではなかった。

 それ自体は私も知識として知っていた。

 でも、実際に目の当たりにすると、驚かずにはいられなかった。


 アビルが地面に四肢をつき、魔力を解放する。

 周囲の空気が一変する。

 アビルの瞳孔が獣の如く縦に割れて、全身から紺毛が生え始た。

 骨格が変形、肥大化して、口には鋭い牙が生え揃っていく。


「獣化……すごい……」


 私は息を洩らすように呟いた。

『獣化』は数多の獣人の中で、限られた者だけが使える特殊能力だ。

 激しい魔力の消耗と引き換えに、絶大な野生の力を得ることができる。


「この方が早ぇし、鼻も効く。とっとと乗れ」


 アビルが背中を向けてきた。

 その姿は、紺色の大きな狼となっていた。

 獣の獰猛さを秘めた、勇ましくて、美しい姿だった。


「わかった。お願い!」


 私はその大きな背中に跨った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 巨大な魔獣を倒す定石は、足元を崩すことだ。

 村の人達はまず、シルバーバックの足を削ぐことに集中した。

 体格差を利用して、足元に潜り込む。

 だが、シルバーバッグは手が地面につくほど長腕だ。

 不用意に足元に飛び込めば、振り回される腕の餌食になってしまう。

 刃物で斬り掛かる者、その者を盾で守る者に役割を分け、腕の攻撃に注意を払った。

 それ故に、負傷者の発生を減らせていたのだ。


 戦いの指揮を取っていたのは村長だった。

 村長はアピスが見当たらないことに不安を感じていた。

 だが、それをおくびにも出さなかった。

 エレクサ不在による村人達の動揺を檄で吹き飛ばし、村長としての責務を果たしていた。


 シルバーバッグの皮膚は剛毛で覆われており、分厚くて硬い。

 並の攻撃ではかすり傷すら付かないのだ。

 村人達は、何度も同じ部分に攻撃を重ねた。

 少しずつ、シルバーバックの足にダメージを蓄積させた。

 だが、村長は限界が近いことを悟っていた。

 いや、誰もが感じていた。


『ヴォオオオオオオオオッッ!!』


 シルバーバックが叫んだ。

 足元をちょこまかと駆け回る村人達に、痺れを切らしたのだ。

 シルバーバッグは足裏で地面を踏み鳴らし始めた。

 村人達は虚をつかれ、体勢を崩した。

 そこに、シルバーバックの長腕が炸裂した。


 悲鳴が轟く。

 シルバーバッグが地に伏せる村人を見回した。

 だが、すぐに興味をなくした。

 シルバーバックは鼻をすすらせると、人の気配が多い避難所の方に進み出した。


「食い止めよッ!!」


 村人達は、大縄を鞭のように投げた。

 シルバーバッグの太い首に縄が巻き付く。

 まだ動ける者はその縄にしがみつき、死ぬ気で引いた。

 ピン、と縄が伸びきる。

 シルバーバックは首を締め付けられ、一瞬だけもがいた。

 だが、そのまま力づくで進み出した。


「「ぐあぁぁぁあ……ッ」」


 村人達は必死だった。

 至るところから出血していた。

 縄を引く度、傷口から血が吹き出していた。

 苦鳴を洩らしながら、地面を引きづられていった。


 限界だと、誰もが思った。

 自分の娘息子が殺される未来に絶望した。


 まさに、その時だった。

 紺色の大狼が、疾風のごとく飛び込んできたのだ。


 その光景に、誰もが目を奪われた。

 目にも止まらぬ速度だった。

 大狼は、疾走の勢いのまま高々と跳躍し、シルバーバックの眼前に躍り出た。

 

「――――ッッ!!」

『グオォォッ!?』


 大狼は前脚の鉤爪を振り抜いた。

 鋭利な爪先が、シルバーバッグの顔面に叩き付けられる。

 すると、シルバーバックの顔の上半分が、一撃で吹き飛ばされた。


「ぇ……?」


 それを見て、誰かがとぼけた声を洩らした。

 本来、爪撃とは肉を切り裂き、抉る程度のものだ。

 だが、目の前で放たれた強烈な一撃は、一振りで魔獣の頭部を吹き飛ばしたのだ。

 それも、自分達が傷を付けるのにも一苦労した、シルバーバックの強固な皮膚をだ。


 戦場は静まり返った。

 ぐらり、とシルバーバッグが崩れ落ちた。

 大狼は軽やかに着地すると、そのまま走り去った。

 その背中にしがみつく、少女の白銀髪が激しくなびいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る