第24話 信じてくれる人


 エレクサが一足で距離を詰めてきた。

 振り下ろされる鉄剣を、俺はソラから借りている細剣で受け止める。


(おっも……!)


 体は動く。

 もうさっきみたいに、ビビって固まったりしない。

 だが、エレクサの斬撃が重すぎる。

 修行の時とはレベルが違う、一撃一撃が骨まで響いてくる。

 これを受け続けたら、俺の腕が死ぬ……!


 俺は戦い方を変えた。

 エレクサが振り下ろした剣を、斜めに構えた剣で受け止める。

 そのまま、剣身を滑らせるようにして相手の剣を受け流した。


 エレクサは受け流された剣を即座に切り返した。

 剣先が、俺の顎先を目掛けて一気に斬り上がる。

 俺は自身に迫る剣の腹を横から叩き、斬撃の軌道をなんとか逸らした。


 これは、エレクサが使っていた剣技だ。

 相手の力を利用して、受け流す。

 修行中、俺がずっと習得できずにいた剣技だった。

 だが、俺は土壇場でモノにしてみせた。


 初めて経験する命懸けの勝負。

 格上相手。

 真剣での斬り合い。

 俺の精神は、極度の緊張状態に追い込まれていた。

 いつ緊張の糸が切れ、崩れ落ちてもおかしくない状況だった。

 でも、だからこそできた。

 凄まじい集中力を発揮して、エレクサから学んだ剣技を再現してみせた。


 これならいける。

 そう思った。

 だが、俺の心は高揚しなかった。

 それどころか、ずっと戦慄していた。


「土壇場で魅せてくれたな。だが、私はまだ一度も反撃を受けてないぞ?」


 エレクサが口元を歪めた。

 そう、俺は防戦一方だったのだ。

 エレクサの剣を受け流し、防ぐことに精一杯で、一切の反撃をできずにいた。

 だが、俺が戦慄しているのはそこではなかった。


 相手に自分の攻撃を防がれた場合、そこには必ず隙が生まれる。

 これはエレクサの教えだ。

 俺はエレクサの攻撃を防ぎ続けている。

 だから、エレクサには隙が生まれ続けていた。


 だけど、俺は反撃に踏み込めなかった。

 これは間違いなく、エレクサが故意的に作り出した隙だと思ったからだ。

 俺がその隙に食いけば、エレクサは俺の首を落としにくる。

 誘われているのだ。

 俺が必死で食らいついているこの状況で、こいつはわざと隙を作り、俺を誘い出しているのだ。

 

 俺は吐きそうなほど焦った。

 まずい、力の差がありすぎる……!

 どうする、どうすれば…………いや、今はいい。

 今はとにかく耐えるんだ。

 耐えて、耐えて、耐えて、チャンスを待ち続けろ。

 こいつの首を刈り取るチャンスを……!


「ふっ、成長したじゃないか。だが、意識が他に散ってるぞ!」

「ぶへ……っ!」


 エレクサの蹴りが、俺の腹に直撃した。

 俺は後方に飛ばされた。

 みぞおちに直撃したせいで、息ができない。

 吐き出せ、吐き出せ、すぐに体勢を立て直せ……!


「さて、少しスピードを上げようか」


 エレクサが嗤い、再び距離を詰めてきた。

 俺は必死に抗った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ソラはアビルを背負い、村まで走っていた。


 男の人をおんぶするなんて初めてだった。

 城暮らしではまず経験できない。

 でも、今は新鮮さなんて感じれる余裕はなかった。


 アビルは気絶している。

 魔力で抑え込んでいるけど、出血はじわじわ続いている。

 私の白い服も、背中から真っ赤に染まっていた。


 私は軽い身体強化しか使えない。

 アビルを背負って運ぶくらいはできても、速さは出せない。

 その上、道も悪い。

 急げ急げと、気持ちばかりが逸った。


「はぁ、はぁ……急がな、きゃ……はぁ」


 息が絶え絶えだ。

 心臓も破裂しそう。

 だけど、休む暇なんてない。


 さっき、咆哮が聞こえてきた。

 あの骨まで響くような咆哮は、ヘルハウンドじゃない。

 たぶんあれが、シルバーバックだ。

 シルバーバックを倒すには、一刻も早くアビルを治さなきゃいけない。

 私は急いで森を抜けて、村に入った。


「……え?」


 そこで目に飛び込んできたのは、壊された家の破片が宙を飛ぶ光景だった。

 ここからでもハッキリ見えた。

 村の真ん中で、シルバーバックが暴れていたのだ。

 私はすぐに頭を振って、止まった足を動かした。


 みんなが集まるとしたら、村の広場だ。

 でも、そこはシルバーバックが暴れている。

 きっと東側に避難してきているはずだ。


 私の予想は当たった。

 すぐに村の人達と合流することができた。


「ベータっ!」


 私はベータを呼んだ。

 彼女は振り返り、目を見開いた。


「え、ソラ!? いったい今までどこに……いいえ、今はそんな場合じゃありません!」


「状況はわかってる! ベータに頼みたいことがあって来たの!」


 ベータの言葉を遮りつつ、チラリと彼女の後ろに視線を向けた。

 ここには、村の子ども達が集められていた。

 そして、子ども達の護衛が数人と、魔獣との戦いで出た負傷者が寝かされていた。

 血の滲んだ包帯を巻き、地面に寝そべる大人達。

 泣きじゃくる子ども達。

 痛ましい光景だった。


「幸いなことに、死者はいません。ヘルハウンドも全て倒しました」


 ベータが言った。

 ……よかった。


「ですが、シルバーバックには村の中央まで押し込まれました。負傷者も増えて、もう限界が近いです……」


「限界って……」


「それに、こんな時にエレクサさんがいないんです。エレクサさんさえいれば……ソラ、エレクサさんの居場所に心当たりはありませんか?」


 最後の希望に縋るような瞳だった。

 胸がぎゅっと痛む。

 でも、今話しても混乱を招くだけだ。

 私はアビルを背中から降ろして、ベータに見せた。


 ベータは口元を手で押さえ、息を詰めた。

 アビルの体には、左肩から右腰にかけて惨たらしい傷が走っている。


「こんな大怪我、いったい何があったんですか?!」


「ごめんね、説明してる時間はないの。エレクサさんの居場所もわからない。でも、とにかくすぐにアビルを治して欲しいの。お願い、ベータ」


 私は懇願した。

 アビルを治せば、シルバーバックを倒せるかもしれない。

 アビルには無理をかけることになるけど、ここは頑張ってもらうしかない。

 そしたら、ハルとアピスちゃんを助けに……


「ごめんなさい。私の実力では、この傷は治せません」


 ベータは目を伏せた。

「ぇ……」とか細い声が、私の喉から洩れた。


「傷が深すぎます。これほどの重症を治せる魔法なんて私には使えませんし、そもそもの魔力量も足りません……」


「そ、そんな……それじゃあ、アビルは……」


 私は声を震わせ、頭を抱えた。


 アビルは、助けられない。

 アビルがいないと、シルバーバックは倒せない。

 村は滅ぶ。

 ハルも、アピスちゃんも、助けに行けない。

 森が燃えて、逃げ道もない。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう……。

 エレクサさんがアピスちゃんを連れ去った時、私は怖かった。

 だけど、どうにかしようって必死に考えた。

 必死に考えて、それでもどうにもできなかった。

 私には、何もできなかったんだ……。


「ベータ、治癒魔法を頼む! またすぐ戻らなきゃなんねえ!」


 不意に、男の人達がベータを呼んだ。

「今行きます!」とベータが返す。

 そして彼女は、「ソラ」と私の名前を呼んだ。

 私は泣きそうな顔をしながら、彼女の顔を見た。

 彼女はなぜか微笑んでいて、優しく言った。


「ソラ、アビルさんを救える可能性を秘めているのは、あなただけです」


「………………ぇ?」


「あなたが本来の力を発揮できれば、もしかしたら治せるかもしれません。だからあとは、あなたに任せます」


 ベータは去って行った。

 私は目を丸くしていた。


 ……あなたに任せる? 

 何を、言ってるんだろう。


 私はベータを視線で追った。

 彼女は三人の男の元に駆け寄った。

 腕が変な方向に曲がった人。

 片目を失った人。

 胸元を魔爪に切り裂かれた人。


 みんな、重症だった。

 だけど、みんな、前を向いていた。

 勇ましい目をしていた。

 家族を、村を守り抜くのだと、まだ諦めていなかった。

 その姿を見て、私はハッとした。


 ……そうだ。

 私はまだ、何もしていない。

 最初から自分のことを戦力に数えていなかった。

 私がアビルを治せばいい。

 ベータはそう言ってくれたんだ。


 …………でも、私なんかにできる?


 もし失敗したら、アビルを殺すことになる。

 今まで一度もできたことがないのに、できるはずない。

 怖い、怖い、怖い……。

 不安が込み上げてしょうがない。

 だって、私なんかが、こんな魔法で……。


「……ぁ」


 ふと、私は思い出した。


『その「私なんか」って言う癖もやめようぜ?』


『あんまり自分を卑下するなよ。自分の魔法を嫌うなよ。俺はその凄い力に救われたんだから』


 ……そうだ。

 自分を卑下するのは、もうやめたんだった。

 ハルは、私を信じてくれたんだ。

 私の魔法を好きだって言ってくれたんだ。

 思い出すだけでも、胸が温かくなる言葉だった。


 なのに、私はまた、私自身を否定しようとした。

 それはハルの想いを裏切る行為だ。

 それだけは、絶対にダメ。

 絶対に嫌だ。


「……だから、やらなきゃ」


 私は生まれて初めて、覚悟を決めた。

 その時だった。

 後ろから「ぅ……」とうめき声が聞こえた。

 振り返ると、アビルが意識を取り戻していた。


「あ、アビル……! よかった、大丈夫?」


 アビルは私の言葉に答えなかった。

 顔を歪め、苦しそうに上半身を起こした。

 私はアビルの肩を掴んで、言った。


「アビル。いきなりで悪いけど、魔力での止血を解除して」


「……あぁん?」


 アビルは顔をしかめた。


 治癒魔法をかける時、受ける側は魔力を解く必要がある。

 治癒術師の魔力を妨害しないようにだ。

 でも今、アビルは魔力のおかげで息がある。

 魔力を解いても傷が塞げなければ、数十秒で出血死する状態だ。


 彼は他人を信用しない。

 失敗すれば死ぬような状況で、治癒術師に命を預けるはずがない。

 魔法の練習で、魔力暴走を起こして立木を破壊する私を見ていた彼なら、なおさらだ。

 それでも。


「私が今からあなたの傷を治す。だから魔力を解いて」


「テメェがぁ……? ざけんな……俺は、他人の……施しは受け、ねぇ……ッ」


「ちょっと、動いちゃダメ! どこに行くつもり?!」


「うるせぇ! 邪魔すん……ッ!」


 アビルは立ち上がろうとして、失敗した。

 私は咄嗟に支えた。


「安静にして! いま治療しないとあなた死ぬのよ!? お願いだから言うことを聞い――」


「どうせオレはもう助からねぇ!!」


「……っ」


「だからぁ……だから死ぬ前に、あの女を殺してやるんだッ! 邪魔すんならテメェもぶっ殺すぞッッ!」


 アビルは叫んだ。

 その紺色の瞳は、復讐心に溢れていた。


「あの女だけは絶対に許さねぇ!! ぶっ殺してやるッ!! オレがこの手で必ず息の根を止め――」


 パチン、と。

 私は気付けば、アビルをビンタしていた。

 周りの視線が集まる。

 アビルは目を見開き、ビンタされたと理解すると、目を血走らせた。


「こんのクソ女ァッ!! 何しがる!?」


「簡単に! 投げ出さないでよっ!!」


 アビルの声を上回る声量で、私は叫び返した。

 たぶん、こんなに大きな声を出したのは生まれて初めてだと思う。

 でも、今は胸がムカムカして、止まらなかった。


「みんな戦ってるの! 村を守るために魔獣と戦ってるの! 自分のできることを最後までやってるの!」


 私はアビルの胸ぐらを掴み寄せた。


「なのに、復讐? そんなことのために命を投げ捨てるなんて、弱い人がすることよっ!」


「……ッ」


「あなたにはやるべきことがある。それは復讐なんかじゃない。みっともなく生き延びてでも、アピスちゃんを助けること!」


 アビルがハッとしたように目を見張った。


 自分を棚に上げて何を言ってるんだと、私の心の声がささやく。

 そうだ。私だって弱い人間だ。

 すぐに諦めて、逃げて、楽な方に……。

 でも、それはもうやめた。

 戦わなきゃ。

 だからアビルにも、命を諦めさせたらダメだ。


「ハルがエレクサさんを足止めしてる。アピスちゃんもあなたを信じて待ってるはず。だから、一緒にみんなを守りましょう」


 アビルは口を閉ざしていた。

 私は真っ直ぐ彼を見て、最後は優しく言った。


「あなたは私が守る。だから、私を信じて」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る