第22話 五年前
何が、起こった……?
俺は完全に思考停止していた。
アビルを斬り伏せ、未だ剣を握っている相手の前でだ。
思考停止なんて許されない。
普通なら俺は速攻で殺されているところだ。
だが、エレクサはそれをしなかった。
「て……メェ……ッ」
最初に動いたのは、重症を負ったアビルだった。
「クソがぁッッ!!」と、倒れた体を起こす勢いで、裏拳を振り抜いた。
アビルの腕には、拳を覆うように手甲が装着されていた。
だが、エレクサは後ろに飛び退き、悠然とアビルの拳を躱した。
それがアビルにとって最後の一撃だった。
アビルは「ご、ふ……ッ」と血を吐きながら、今度は前のめりに倒れた。
血の海が、アビルを中心に広がっていく。
「お、にいちゃん……ぅぐ……え、死なぁ……!」
アピスが膝をつき、アビルに泣きついた。
顔をぐちゃぐちゃに濡らしていた。
アビルは嗚咽を洩らしながら、なんとか身体強化を発動した。
魔力を傷口に集中させ、出血の勢いを抑えた。
ソラが前に出た。
「エレクサさん……っ、どうして……どうして、アビルを斬ったんですかっ?!」
そう、エレクサがアビルを斬ったのだ。
意味がわからない。
でも、それが確かな事実だった。
俺はようやく体を動かし、剣を抜いてエレクサに向けた。
対して、エレクサは余裕の笑みを浮かべていた。
「なん、でだ……?」
俺は震えた声で問うた。
「ん? 何がだ?」
エレクサはとぼけた返事をした。
「なんで! アビルを殺したんだっ!?」
「まだ殺してはいない。ちゃんと息を残してるじゃないか?」
「そんなの……! 結果は同じことだろうが!」
「まあそうだな。だが苦労したんだぞ? 魔道具で臭いを消しても近付きすぎたらバレるからな。ギリギリの間合いで息を殺して、爆発で動揺した隙に一気に迫って斬るのは少しだけ……そう、少しだけ緊張したよ」
エレクサは嬉しそうに説明してくれた。
「だが、うまくいってよかった。ちゃんと生きててくれて嬉しいよ、アビル」
「……うれしい?」
「ああ、こいつは私を満たしてくれる大切な道具だ。小さい頃から見てきたんだ。こんなに呆気なく死なれたら悲しいじゃないか。もっと、もっともっと、苦しむ顔を見せてくれよぉ」
エレクサは頬を紅潮させた。
その顔には、抑えきれない悦びが溢れ出していた。
俺は鳥肌が立った。
おぞましいと、心の底からそう思った。
こいつは敵だ。
弁明の余地などない、もう味方なんかじゃないのだ。
「ソラ、アビルの怪我を治せたり……しないか?」
俺はおずおずと聞いた。
ソラはすぐにアビルの傷口を確認した。
そして、彼女は息を詰めた。
「ごめん……傷が深すぎる。この怪我は私じゃ……」
ソラは目を伏せた。
治せないのはソラのせいじゃない。
謝るなよ。
そう言ってやりたい。
だが、今はそんな場合じゃない。
アピスはアビルに泣きついている。
「助けてよ……」と声を震わせている。
どうする、どうしたら、どうすればいい……。
「……お前は、何が目的なんだ?」
気付けば、俺は尋ねていた。
ギッッ、とエレクサを睨み付けて。
「いったい何がしたいんだ? なんでアビルにトドメを刺さない? お前が誘拐犯だったのか?」
俺は疑問が止まらなかった。
聞かずにはいられなかった。
だが、エレクサは答えなかった。
彼女はそっと俺から視線を外すと、アビルとアピスの方を見た。
「アビル、アピス、お前らに良いことを教えてやろう」
エレクサは静かに言った。
「あァ……?」と、アビルは苛立った声を返した。
倒れた状態で顔だけ上げ、射殺すようにエレクサを睨んでいた。
「五年前、魔獣を村に誘き寄せて火を放つという暴挙を犯したお前達の父親は、最後は魔獣に喰い殺されるという無惨な終わりを遂げた」
語り始めたのは五年前の話だ。
今回の事件は、五年前の事件に似ている。
なぜ似ているのか、そしてなぜエレクサがその話を始めたのか、誰もが疑問に思っていた。
だが、俺達のそんな疑問は、次の瞬間に消し飛んだ。
「あれは私がやったんだ。そしてお前達の父親に罪をなすり付け、私が殺した」
全ては自分の手引きだったと、エレクサは告白した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
は……?
今、こいつ、なんて?
俺は言葉を失った。
いや、誰も言葉を発せなかった。
目を見開くアビルとアピスを見て、エレクサは幸せそうに嗤った。
「嫁を失ったあいつを嵌めるのは簡単だった。相当血迷っていたのか、嫁を生き返らせる手段があると言ったら、すぐに信じてついて来てくれたよ」
「……」
「そんなマヌケを殺すのは簡単だった。希望が絶望に変わる瞬間の瞳は快感だった。あれほどゾクゾクしたのは久しぶりだったなぁ」
なんて……。
なんて、クソみたいな現実だよ……。
ずっとコイツらを気にかけてくれた人が、全ての元凶だったなんて。
そんなの、クソすぎるだろ……。
「テ、メェ……ッ!! エレクサァァァアッッッ!!」
アビルが叫んだ。
その形相は、殺意に満ち溢れていた。
「ぶっ殺してやるッ!! エレクサァァッッッ!!」
だが、叫ぶだけで動けなかった。
そんなアビルの腰から、アピスがナイフを抜いた。
アピスはナイフを両手で握り締めると、目を剥いて飛び出した。
「お父さんを……ッ! 返せぇッッ!!」
「待て、アピス……ッ!」とアビルが止める。
だが、アピスは止まらない。
そのままエレクサに斬り掛かると、あっさり防がれ、手刀により気絶させられた。
「はぁ、はぁ……アピ……ゥ……ッ」
アビルは咄嗟に動こうとした。
が、もう限界だった。
意識が落ちる寸前だったのだ。
「安心しろ、アピスは殺さない。こいつは大事な商品だからなぁ!」
エレクサは気絶したアピスを雑に抱えた。
大事な商品、か。
やっぱり、こいつが誘拐事件の犯人だったのだ。
「く……そがァ……ッ」
「はっはっは、その顔が見たかったんだよっ! やはりお前はいい顔をしてくれるなぁ!!」
エレクサは今日一番の笑顔を見せた。
その笑顔は、邪悪なんて言葉じゃ表しきれなかった。
「じゃあな、アビル」とエレクサが去ろうとする。
俺は咄嗟に「待て!」と叫んだ。
エレクサを止めようと、一歩踏み込んだ。
「ぅ……っ」
だが、俺の体は動かなかった。
動けなかったのだ。
エレクサに睨まれたのだ。
たったそれだけだ。
たったそれだけで、俺は察したのだ。
これ以上踏み込んだら殺される、と。
クソ……動け、動け、動けよ……!
「ハルっ!!」
「ぅ……っ」
エレクサが走り去ると、ソラが声を張った。
「すぐにアピスちゃんを追って! 見失ったら、もう助けられない!」
「……で、でも、どうやって助ける……っ。エレクサの強さは本物だ、追ったところで……」
俺は視線を彷徨わせた。
エレクサには勝てない。
俺が追ったところで助けられないのだ。
エレクサを止められるのはアビルしかいない。
でもアビルは、もうすぐ死ぬ……。
「しっかりしてっ! いま二人を助けられるのは私達しかいないの!」
ソラが俺の頬を両手でパチンと挟んできた。
無理やり顔を押えられ、真紅の瞳と視線が交差した。
「私は今から、アビルをベータのところに連れて行く。彼女ならきっとなんとかしてくれる。そのあとは村の人達を連れてハルを助けに行く」
「……」
「だから、ハルはエレクサさんを止めて。私達が着くまで耐えてくれたら、あとはなんとかなるから!」
彼女の声には熱が込もっていた。
その熱が、俺の心に移ってきた。
……そ、そうだ。
何をしてるんだ、俺は……!
ここで動けなきゃ、俺は何のために存在するんだ。
彼女に恩を返すために、彼女の役に立つために、力をつけてきたんだろ!
俺は長く息を吐き、頷いた。
「わかった、俺がエレクサを足止めする。そっちは任せたぞ」
「うん。絶対に私達でなんとかしよう」
互いの健闘を祈って、俺達はそれぞれ走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます