第20話 ハルの元気がない
誘拐事件から三日後。
子どもの捜索隊は、村から離れたある洞窟に辿り着いた。
森の奥に隠れた、深くて、暗い洞窟だ。
そこに、巨大な足跡があった。
「ずいぶんでかい足跡だな……」
アピスの体がすっぽり収まりそうな大きさだ。
鋭い三本の爪跡も地面にくっきり残っている。
うん、魔獣の足跡だな。
まあ誘拐事件とは関係ないが、これはこれで……
「これは、シルバーバッグの足跡だな」
足跡を見て、エレクサが言った。
「シルバーバッグ!? こ、こんなところに!?」
「おいおい冗談じゃねえぞ、どういうことだ!?」
捜索隊は騒然とした。
シルバーバッグ……俺は知らない魔獣だ。
だが、みんなめちゃくちゃビビっている。
なんかヤバそうだな。
「すみません、シルバーバッグとはどのような魔獣でしょうか?」
一人の男が質問した。
全員が知ってるわけじゃないのか。
「シルバーバッグは、体長七メートル近い化物だ。とにかく腕の力が半端じゃなく、猿のように木々を渡り移るため、森の中での討伐は危険かつ難しい」
エレクサが答えた。
「だが、事態に重きを置くべきところはそこではない」
「……どういう意味だ?」
俺は首を傾げた。
「シルバーバッグは大陸の南に生息する魔獣だ。だからそもそも、あれがこの森にいること自体あり得ないんだよ。人為的な要因がなければ、な」
人為的……。
それはつまり、こういうことだろうか。
「じゃあ、誰かがこの森に、シルバーバッグを連れて来たってことか?」
「そうなるな。そして、こんなイレギュラーと誘拐事件が偶然重なるとは考えにくい。おそらく、シルバーバッグは誘拐犯が連れて来たものだろう」
おいおいまじか。
誘拐事件だけでも手に負えないのに、凶暴な魔獣まで……?
「そのシルバーバッグって、頑張れば倒せるのか?」
「私とアビルがいればなんとか倒せると思うが、それでも間違いなく犠牲が出る」
毎日修行で俺をボコボコにしているエレクサと、あのアビルがいてもギリギリ倒せるレベル。
とんでもない怪物だ……。
俺は想像して、思わず身震いした。
「ですが、魔獣を連れている目的はなんでしょうか? 誘拐犯の護衛でしょうか?」
さっきの男が質問した。
また、エレクサが答える。
「そんなとこだろう。魔獣を操る『調教者』という者も存在するからな」
「調教者……。ですが、誘拐するための護衛に魔獣を選ぶのは、少々リスキーかと……」
問題はそこだ。
誘拐は五感の優れた獣人の目を奪い、慎重に行う必要がある。
そこでわざわざ、不安要素の大きい魔獣を連れ出すだろうか?
万一にも、獣人に気付かれたらお終いなのに。
「そこがわからないな。単に犯人がバカなだけだと助かるんだが、三度も誘拐を成功させた用意周到さからもそれは考えにくい。まったく、忌々しいッ」
エレクサはギリッと奥歯を鳴らした。
「ひとまず、別の危険が出てきたのは事実だ。シルバーバッグを連れてる以上、誘拐犯には違う目的があるのかもしれない。村に戻って対策を練ろう」
エレクサがまとめると、皆が頷いた。
その表情はどれも、魔獣への恐怖心と危機感に溢れていた。
だがそれ以上に、大事な村を守ろうとする覚悟が浮かんでいた。
「……っ」
それを見て俺は、なぜか、胸がモヤっとした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
村は慌ただしい空気に包まれていた。
そんな中でも、エレクサは修行をしてくれた。
彼女は「見て学べ」だけで大した指導がなかった。
そのため、俺はエレクサの技を勝手に盗もうとしていた。
が、うまくできなかった。
相手の剣を受けるのではなく、剣の腹を滑らせたり、横や斜めから叩いて受け流す剣技。
言うは易し。
これがなかなか難しい。
それに受け流すことばかりに集中すると、今度は魔力操作が疎かになる。
まさに負のスパイラ……
「考え事とは、余裕だな!」
「ぶへっ!?」
木剣が顔面にめり込んだ。
俺は吹っ飛ばされた。
「あと一歩ってところだな」
地に伏せた俺を見ながら、エレクサが言った。
本当に楽しそうな表情だ。
このサディスト女め……!!
「何やら、不愉快なことを考えてる目だな?」
ぐっ、とエレクサ顔を寄せてきた。
この勘の鋭さ、末恐ろしい。
「……別に。てか今更だけど、あんた本当に修行なんてしてる暇あるのか? 副村長なのに」
「ん? 捜索は交代でやってる。空いた時間に何をしようと私の勝手だろう」
「体力無限大ですね」
「それに徐々にだが、お前は力を取り戻している。シルバーバッグという脅威がチラつく以上、短期間で成長が見込めるお前を鍛えておくのは大事なことだ」
……へーえ。
そんな意図があったのか。
ただのストレス発散だと思っててごめんな。
「そういえば、アビルのことなんだが……」
不意に、エレクサが話題を変えてきた。
「あまり悪く思わないでやってくれ。ソラには私から謝っておくからさ」
「……なんだよ急に。てか、村の連中と違ってずいぶん肩入れしてるんだな」
「小さい頃から見てるからな。あいつの父親と腐れ縁だったのもある」
聞いた話だと、エレクサはアビルの父親に犯されかけている。
それでも、あの二人を気にかけ続けている。
本当に面倒見のいい人なんだな。
俺は「わかったよ」と素直に返した。
すると、エレクサが微かに眉を寄せた。
「お前、なんだか表情が暗いな。何かあったのか?」
「え……? 顔に出てるか?」
「なんとなくそう感じただけだがな。嫌なことでもあったか?」
「……いや、別に。でもなんか、ここ最近心が晴れないんだよな。原因はわからないんだけど……」
俺はなぜかモヤモヤしている。
ずっと胸に嫌なわだかまりがある。
それはたぶん、ソラが泣いたあの夜からだ。
「そうか……。まあその手の問題は、自分と向き合い続けるしかないからな。たくさん悩むといい」
エレクサは少し考えたあと、そう言った。
彼女は片手を挙げ、踵を返す。
「じゃあ、私はこれから大事な用があるから、今日はこれで終わりだ」
エレクサは立ち去った。
俺は草原に一人、ぽつりと佇む。
時刻は夕暮れ。
空は曇天。
なんか、余計に気分が重くなる空模様だ。
「自分と向き合え」というエレクサの言葉は、記憶と向き合えという意味だろうか。
でも、向き合うってなんだろう。
それに、もし前の記憶を取り戻したら、今の俺ってどこに……。
「……いや、今はいいな。ソラのとこに戻ろう」
俺は考えるのをやめて、宿に戻った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
宿に戻ってもソラがいなかったため、村に探しに行った。
村の空気は重かった。
今は子ども達も外に出歩いていない。
当たり前か。
俺は帯剣しながら歩いていた。
シルバーバッグの情報が出てから、村の人は常に武器を装備している。
帯剣は意外と重いし好きじゃないが。
「あ……」
ふと、俺はある人物を見つけた。
ソラではない。
でもラッキーだ。今は修行終わりで体もボロボロだし、治してもらおう。
俺はその人物に近寄った。
その人物は村の中央の広場、フレイムの石碑の前で祈っていた。
俺は邪魔しないよう少し待った。
大人だからね。
「……あれ、ハルさん?」
しばらくすると、彼女はこちらに気付いた。
この村唯一の治癒術師様、ベータだ。
「こんばんは。お一人でどうされたんですか?」
「お一人でって、なんかいつも誰かといるみたいに聞こえるな」
「ふふっ、そうですね。アピスに振り回されてるイメージが強いので」
最近は捜索で忙しいからな。
アピスのおもりはソラに任せている。
俺はベータと少し雑談することにした。
いきなり現れて「じゃあ治して!」なんて図々しいからな。
「フレイムに何を祈ってたんだ?」
「村の皆さんの無事を祈っていただけです。シルバーバッグの足跡が見つかったと聞いてからとても不安で、いてもたってもいられなくなって」
「なるほどね。ベータは、フレイムのことが好きなんだな」
「この森でフレイム様を好きじゃない人の方が、きっと珍しいですよ」
ベータは微笑んだ。
彼女の視線には、フレイムへの尊敬の念が強く浮かんでいた。
まあ気持ちはわかる。
俺だって、世界の英雄に憧れている部分はあるからな。
俺もフレイムの石碑に視線を向けた。
いいよな、英雄。
こんなに真っ直ぐ、自分の道を進めるなんて……。
「そういえば、このフレイムの石像、剣を持ってるんだな。俺が読んだ本では魔法を使ってたけど」
ふと、俺は尋ねた。
「私が子どもの頃に読んだ話では、フレイム様は火の魔法はなんでも使えていましたよ。その中でも一番の武器が『紅蓮の聖剣』なんです。剣に炎を纏わせる付与魔法ですね」
「付与魔法……って、最弱の魔法だろ? そんな魔法を大精霊が?」
「そのはずですね。でもフレイム様の聖なる炎は、如何なるものも叩き斬ったと書いてました」
叩き斬った、ね。
炎は普通、焼き尽くすとかだろ。
でも、最弱と言われる付与魔法も、大精霊が使えば強靭な刃になるのか。
理不尽だな、と俺は苦笑した。
「それでは、私はそろそろ戻りますので、治癒魔法をかけますね」
話が落ち着くと、ベータは治療をしてくれた。
まだ何も頼んでないのに……。
「ふふっ、そのために私に話しかけてきたんですよね? それくらいわかりますよ」
あら、お見通しだったか。
お恥ずかしい。
俺は頬をポリポリ掻きながら、お礼を告げた。
彼女は治療が終わると、一礼して去っていった。
俺はフレイムの石碑を見ながら、ボケっと突っ立っていた。
……魔法。
俺にも、火の魔法の適性があるはずなんだけどな。
ベータには使えて、俺には使えない。
魔法は自分の精神と密接。
自分を信じることが基本……ね。
「ハルっ! やっと見つけた」
不意に、俺は名前を呼ばれた。
聞き覚えのある綺麗な声だ。
振り返ると、ソラがこちらに駆けてきた。
彼女は肩で息をしながら、俺の前で立ち止まった。
「ソラ、どうしたんだ?」
「はぁ……えっと、ハルに用事があって探してたんだけど……ベータに怪我、治してもらってたの?」
「ん、ああ。さっきまで修行しててボロボロだったから」
「頑張ってるんだね、お疲れ様」
彼女は微笑んだ。
なんか、今日は特に気持ちが晴れなかったけど、ソラを見ると落ち着くな。
「あっ、それでね。実はエレクサさんから伝言を頼まれたの」
ふとソラが言った。
「伝言?」と俺は首を傾げる。
「うん。『今すぐ村の東にある丘に来い。誘拐について重要な話がある』だって」
ソラのモノマネは全く似ていなかった。
ともあれ、誘拐についての重要な話。
なんだ……?
てか、エレクサはこれから大事な用があるって言ってなかったか?
「さっき偶然すれ違ったんだけど、エレクサさんはそれだけ言うとすぐにいなくなっちゃって……」
「なんだそれ。まあ断るわけにはいかないよな。じゃあ、ソラも一緒に行こうぜ?」
「私は呼ばれてないけど、行ってもいいのかな?」
「まあ大丈夫だろ。一人であそこまで行くのも寂しいしさ」
「ハルが寂しいなら……しょうがないね。話は聞かないようにすれば大丈夫だしね」
ソラは柔らかく微笑んだ。
……なんか、駄々っ子のお願いを聞いてあげるような表情だ。
寂しいとか言ったのは俺だけど……。
まあいいか。
さっそく俺達は、村の東の丘へ向かった。
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