第17話 アビルの過去


 アビルは嫌なことがあると、寝て忘れることにしている。

 もしくは、結界の外に飛び出し、魔獣をひたすら潰しまくっている。

 今回は寝ることにした。

 どんな状況でも寝れることが、オレの特技だった。


『だって! あんたは人殺しの息子なんだから!!』


 ……眠れねぇ。

 むしゃくしゃしてしょうがねぇ。

 あのクソ女に言われた言葉が、頭ん中でガンガン響きやがる。


「……ケッ、うるせぇんだよ」


 オレは舌打ちして、感傷を振り払った。

 それを何度も繰り返した頃、ようやく意識が落ち始めた。


(あァ、クソがッ……)


 だが、遠のく意識の中で、また舌打ちした。

 そうだ。

 オレはこういう時に限って、いつも昔の夢を見るんだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 十七年前、オレは狼人として生を受けた。


 フレイム大森林の奥地にある、三百人超えの群れをなす集落。

 そこの長が、オレの親父だった。

 親父は村で一番強く、仲間から慕われていた。

 母もかなりの実力者で、狩猟担当に組み込まれる数少ない女だった。

 オレは二人に憧れた。

 オレもいつか強くなるんだろうなと、漠然と思っていた。


『アビル、強さは何かを壊すためにあるんじゃない。守るんだ』


 親父は、その教えを何度もオレに説いた。

 獣人は黒、紺、白の瞳と毛色が基本だが、親父の瞳は赤かった。

 威厳に満ちた目だった。

 けど、オレを見る時だけ、優しい目をしていた。

 オレはあの目が好きだった。

 強い親父ようになりたかった。



◇◆◇



 狼人族は、火の精霊『フレイム』を崇める、精強な部族だった。

 獣人は人間より身体能力が高い。

 男は幼少から鍛えられ、部族に伝わる技を受け継ぎ、精強な戦士として育てられる。

 

 だが、オレは弱かった。

 オレには親父のような剣の才能がなかった。

 体格も小さく、同年代の子どもの中で一番弱かった。

「父親は強いのにお前は落ちこぼれだな」と。

 負ける度バカにされ、嘲笑われた。


『まだ体が小さいんだから、慌てなくても大丈夫よ。ゆっくり強くなって、いつか私達を守ってね』


 オレは優しい母の胸で泣いた。

 自分の弱さを、恵まれない体格を恨んだ。

 きっと今じゃないんだ。

 いつか大きくなったら強くなれるんだ。

 そうやって、周りを見返す日を待ち望んでいた。



◇◆◇



 村の生活は自給自足だ。

 だが、三百人以上の食料確保は大変なため、狩猟は遠出をして広範囲で行われていた。


 ある日、両親が狩猟に向かった。

 オレはいつものように七つ下の妹と留守番していた。

 両親が数日いなくなることに不満はなかった。

 強い両親が誇らしかったから。

 それに、妹の面倒を見るという役目が、強くなれないオレの心を埋めてくれたから。


 だが、その報せは突然訪れた。

 狩猟の帰路に着いていた両親は、急な嵐に遭遇した。

 凄まじい雨風が山間に降り注ぎ、視界と聴覚、嗅覚までも奪われた。

 全員で岩陰を目指し、視界の片側に谷間が広がる細道を進んでいた時。

 もう片側の傾斜の厳しい岩肌をぽつぽつと小石が転がり落ちてきて、仲間がようやく気付いた。


「魔獣だぁッ!!」


 嵐のせいで、直前まで魔獣の襲撃に気付けなかったのだ。

 母は動揺した。

 真上から襲ってきた魔獣を迎え打とうとし、泥濘んだ地面に足を滑らせ、谷底に転落した。


 帰ってきた母の死体は、無惨だった。

 オレは言葉が出なかった。

「ぅ、ぁ……」とか、意味のない音だけを発していた。

 涙が止まらなかった。

 胸が張り裂けそうだった。


 親父は、精神が崩壊した。

 母を失った絶望で心を病んだ。


 人は薄情なんだとオレは知った。

 最初は同情していた村の仲間も、次第に親父から離れていった。

 当然だ。

 強さで群れを統率するのが獣人の性質だ。

 生気を失い、廃人のように家に引きこもる親父が見放されるのも、仕方のないことだ。

 オレは十二歳でそれを学んだ。


 だが、不思議と不安はなかった。

 オレはまだ、親父を信じていた。

 親父は強い。

 いつか立ち直って、また昔のようにみんなを導いてくれる。

 オレは親父の分も働き、家庭を養った。



◇◆◇



 だが、信じた日は訪れなかった。

 ある日、親父は唯一最後まで自分を気にかけてくれたエレクサを犯そうとした。

 服を破られ、顔を腫らして涙するエレクサの姿に、村の奴らは激怒した。

 連中はすぐに家まで押し寄せ、親父を殴り付けた。

 親父は虚ろな目で「知らない」とだけ言っていた。

 噂は一夜にして村に広がった。

 この日、親父の信頼は地に堕ちた。


 オレは夢かと思った。

 夢であって欲しいと願った。

 だが、その悪夢は覚めてくれなかった。


 翌日、親父は復讐のために村に火を放ち、結界石を壊して大量の魔獣を村に呼び込んだ。

 大木の密集地帯に造られた隠れ里だ。

 家と木々はすぐに燃え広がる炎に包まれた。

 逃げる女子どもは火の壁に阻まれ、魔獣と戦った男どもは焼死した。


 内臓が焼ける臭い。

 喰いちぎられた死体。

 炎にあぶられた慣れ親しんだ顔。


 オレはその場にへたり込んだ。

 恐怖で動けなかった。


 しばらくして、オレは立ち上がった。

 親父がこんなことするはずねぇ。


 気を失った妹を抱えて、オレは走った。

 煙のせいで、親父の臭いはわからなかった。

 でも、魔獣が来た方に行けば会える気がした。

 オレは夢中で走った。



◇◆◇



 どうして、こんなことになった……。

 魔獣に喰い殺された親父の死体を見ながら、オレは考えた。


 体の震えも、恐怖も、既に消えていた。

 母が死んだ時のような胸の痛みも感じなかった。

 涙も出なかった。


 結界石の破片。

 それを壊した父の愛刀。

 魔獣の群れを誘き寄せる魔道具。

 親父の傍らに落ちていたそれらが、こいつの罪だと教えてくれた。


『アビル、強さは何かを壊すためにあるんじゃない。守るんだ』


 オレは、一つだけ理解した。

 両親は弱いから死んだのだ。

 魔獣にも抗えず、母を守れず、自分の心すらも守れずに死んだのだ。

 守るための強さなんて、何の役にも立たねぇ。


 虫のように沸きあがる魔獣も。

 うざってぇ村の連中も。

 降りかかる不幸も。不条理も。運命も。

 テメェに不都合なものを全て、何もかもをぶっ壊せる力が必要なんだ。

 もう二度と、オレは何も奪われねぇ。


 無防備に立ち尽くすオレの頬に、真横から飛び出してきた魔獣の鉤爪が襲いかかった。



◇◆◇



 オレとアピスは、駆け付けたエレクサに助けられた。


 生き残った連中は新たな村を造った。

 今度は燃やされることがないよう開けた土地に。

 結界石も大量に集め、次は簡単に破れない強固な結界を結んだ。


 オレとアピスは、次の村長を務めることになったバーヤが引き取ってくれた。

 幼い妹がいるオレには、この村で生きていく選択肢しかなかった。 


 家族を亡くした連中の怨念は、大罪人の子どもであるオレとアピスに向いた。

 オレは同年代のガキどもに虐められた。

 親が死んだ恨みを晴らすため、と。

 毎日毎日、図体のデカいガキどもに痛めつけられ、ぶちのめされた。


 大人達からは、憎悪の視線を向けられた。

 罵声を浴びせられ、陰で直接殴られることも少なくなかった。

 必死に集めた食糧を葬られる陰湿な嫌がらせもされ、小さな妹は怯え、毎日泣いていた。


 だが、オレが折れることはなかった。

 オレの胸は怒りに包まれていた。

 それは周りの連中にではなく、自らに対する怒りだった。

 オレが強ければ、何も失うことはなかった。

 体格のせいにしていた。

 弱い自分から目を逸らしていた。

 母に甘え、いつか強くなったらと甘えた考えを持っていた。

 雑魚の考えだ。

 オレはゴミ以下だった。

 いつかじゃねぇ。

 今この瞬間だ。

 今この瞬間に命を燃やし、全てを蹴散らさなければ、また運命という呪いに呑み込まれるんだ。


 オレは毎日のように結界の外に飛び出し、魔獣の群れに突っ込んだ。

 ただ強さだけを求めて、己の身一つで暴れ続けた。

 村のガキどもに何度倒されようと、気を失うまで喰らいかかった。

 才能のない剣は捨てた。

 剣を握ると、親父を思い出すから。

 あの死んだような赤い目が、大嫌いだった。

 オレは怒り狂い、吠え続けた。



◇◆◇



 いつしか、オレに敵う奴はエレクサ以外にいなくなっていた。

 村の奴らからの暴力も、執拗な嫌がらせも、全て返り討ちにした。

 妹に危害を加えた奴に至っては、顔の原型がなくなるまで殴り、半殺しにした。


 村の奴らはオレを恐れた。

 誰も歯向かわなくなった。

 オレ達は腫れ物として扱われ、孤立した。


 だが、それでよかった。

 仲間も、信頼も、何もいらない。


 何かを守る強さなんて役に立たねぇ。

 全てを壊せる力だけが、この残酷な世界で生きていく術なのだ。

 オレは、弱い親父のようにはならねぇ。

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