第8話 クソ狼


 兄妹というのは、やはり似るものなんだろうか。

 それは突然の災難だった。


 俺達は、アピスの記憶と魔法の地図を頼りに、村を探して歩いていた。

 だが、森というのはよく迷う。

 夕方が近付いても、村への帰り道は見つかっていなかった。

 アピス、ヤクニタタナイナ。


 そんな文句を付けると、アピスは反発した。

 ガヤガヤと言い合いになった。

 すっかり打ち解けたおかげか、その言い合いですら楽しかった。

 そう、俺達はすっかり気が緩んでいたのだ。


 だから、直前まで気付けなかった。

 恐ろしい狼の急襲に。

 


「――やっと見つけたァ」



 ゾワッ、と全身に鳥肌が走った。

 低い声とともに、鋭い殺気を感じたのだ。

 脳内で警鐘が鳴り響き、俺は本能的に理解した。


 何かが、来た……!!


 俺はソラの細剣を腰に差していた。

 俺が持っていた方がいいとソラが判断したのだ。


 俺はすぐさま剣を抜き、振り返った。

 おそらく俺が出せる最速の動きだった。

 が、もう遅かった。

 振り返った瞬間、地を駆るように迫った獣が突進してきた。


 剣は間に合わない。

 俺は獣の突進を、抱きかかえるように受け止めた。


「ぐぁ……!?」


 だが、突進の勢いは殺せなかった。

 俺は吹き飛ばされ、獣と一緒に地面を転がった。


 一瞬で遠くに行った俺を見て、ソラとアピスは目を剥いているだろう。

 だが、それを確認する余裕すらない。

 俺はすぐに立ち上がり、敵の姿を確認した。


「獣人……」


 眼前にいたのは獣ではなく、狼人族の男だった。

 狼男と目が合う。

 その殺気立った眼光に睨まれた瞬間、俺は反射的に斬りかかった。

 やらなきゃ、殺される……!

 本能的にそう思ったのだ。


 だが、俺が剣を振り下ろすより速く、狼男が拳を突き出してきた。

 俺は走馬灯のように、アピスから受けた右ストレートを思い出した。

 みぞおちに来る。

 回避はできない。

 狼男の拳が俺の腹に炸裂した。


 一瞬の出来事だった。

 俺が膝を折りそうになると、狼男は腕と胸ぐらを掴んできた。


「おらァッ!」

「くは……っ」


 そのまま、背負い投げで地面に叩き付けられた。

 仰向けに倒れされると、すぐさま狼男が上に股がってくる。

 両腕を膝で踏み付けられられ、身動きが取れない。

 離れたところから「ハルっ!?」とソラの声が聞こえた気がした。


「ハッ、反応は悪くねぇな。誘拐なんてみみっちいことやってる割にはやるじゃねぇか」


 狼男は口元を歪めた。

 その顔を見て、俺は目を見開いた。


 紺色の獣人だった。

 獣耳と犬歯が生えている。

 男にしては小柄だが、体は鍛え抜かれている。

 顔は悪人面で、頬には魔獣の爪に引き裂かれたような三本の古傷がある。


 俺は直感的に確信した。

 この目つきの悪さ、間違いない! 

 コイツは……!


「――死ね」


 狼男は一言、拳を振り下ろした。

 俺はぎゅっと目を瞑り、歯を食いしばった。

 その時。


「待ってお兄ちゃん! こいつらは私を助けてくれたのよ!!」


 アピスの叫び声が響いた。


 俺はおずおずと瞼を開いた。

 眼前には、残り数ミリの距離で止まった拳。

 俺がごくりと唾を飲むと、狼男の獣耳がぴくりと揺れた。


「こいつら、兄妹そろって凶暴すぎるだろ……」


 シンとした空気の中、俺はポツリと嘆いた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 結論から言うと、こいつはクソだった。

 あ、間違えた。

 結論から言うと、こいつはアピスの兄だった。

 名前はアビル。

 アビル、アピス、似たような名前でわかりにくい。


 こいつは妹が誘拐されたと勘違いして、俺達を襲ってきたらしい。

「わりぃボンクラ、勘違いだった」とのこと。

 俺はこいつの態度にイラッときた。

 こっちは冤罪で腹を殴られてんだぞ!

 妹と合わせて本日二発目だ!


「だぁから、謝ったつってんだろうがッ!」


「まさか謝ったって、『わりぃボンクラ』ってやつか?」


「ハッ、ちゃんと聞いてたんじゃねぇか。何度も同じこと言わせんじゃねぇよ」


「あれを謝罪だと思ってるお前の人間性はカスだ」


「あァ!? だいたいテメェが俺のパンチを避けてりゃあ、こんなことになんなかったじゃねぇか、このノロマがッ!」


「そもそもお前が何も聞かずに突進してきたのが悪いんだろ! 魔獣と同じ知能かお前は!」


 俺とアビルはしばらく言い合った。

「もうっ、二人とも仲良くしなさい!」とソラに怒られ、俺だけデコピンされた。

 わりと痛い……。

 どうして俺だけなんですかソラさん。

 こいつにもパワーボムを喰らわせてやってください。

 

「ケッ、村に連れてってやんだから、黙ってついてこい血頭」


 アビルが苛立たしげに言った。

 血みたいな髪色だから、血頭?

 ひどいあだ名ですね。

 俺は『ハル』と名付けられたばかりなんだよ、クソ狼くん。


 現在、俺達はクソ狼の案内で村に向かっていた。

 ソラがお願いして、妹を助けたお礼に村に連れて行ってもらうことになったのだ。

 アビルはかなり嫌そうだったが。


 まあ、ひとまず村には行けるんだ。

 こいつはアピスと違って迷子じゃないらしいし。

 殴ってきたことは許さないけど、ここは怒りを収めてあげよう。

 俺は大人だからな。


「気にしなくていいわよ、ハル。お兄ちゃんは最初の突進を受け止められたのが気に食わないだけ、強さへの執着が異常なのよ。まったく、子どもなんだから」


 アピスが肩を竦めて、慰めてきた。


「背負い投げは決まったんだからいいじゃない、ねえハル?」


 何がいいんだろう。

 それより、ハルって呼ばれるの新鮮だな。


「黙れ、迷子が。勝手に村を抜け出しやがって、帰ったらババアにしこたま絞られんぞ」


 アビルが言った。

「そ、そんな……」とアピスが凹むと、アビルは「愚図がッ」と吐き捨てた。

 目つきだけじゃなく、口の悪さも最悪のようだ。

 さすがはアピスの兄だ。


「それにしても、アビルが案内してくれてほんとに助かった。それで、村まではあとどのくらいなの?」


 森を歩きながら、ソラが聞いた。

 アビルは少し間を空けてから答えた。


「……あと少しだ。最短距離突っ切ってっかんな」


「そうなんだ。ちなみに、道中は魔獣が出たりする?」


「ハッ、安心しろ。あんなザコ何匹沸こうがぶッ殺してやるよ」


 アビルは鼻を鳴らした。

 たしかにこいつなら大丈夫そうだが、ソラとしては魔獣の住処は避けたいだろう。

 彼女は少し困った顔をしていた。

 すると、アピスが口を開いた。


「心配しなくても大丈夫よ、ソラ! お兄ちゃんはバカだけど、強さだけはホンモノだから!」


「うるせぇ! テメェにだけはバカ呼ばわりされたかねぇよ!」


「何よっ! 唯一の長所を褒めてあげたんだから、素直に感謝しなさいバカ!!」


「どこに感謝する要素があんだよ!? 帰り道すらわからねぇ能無しがッ!!」


 いつの間にか兄妹喧嘩が始まっていた。

 ソラが面食らってあたふたし始める。

 本当に似たもの兄妹だ。

 俺はめんどくさいから放置することにした。


 しばらくすると、兄妹喧嘩が終了した。

 アビルが不機嫌そうに方向転換して、茂みの中に入っていく。

 自分達よりも背の高い茂みの中だ。

 俺達も後ろに続き、巨大な草葉をかき分けて進んでいった。

 

「なあ、なんでこんな歩きにくい道を通るんだ?」


 ふと俺は尋ねた。

 すると、アピスが答えてくれた。


「わたし達の村に行くルートはこの道しかないのよ。誰かに簡単に見つかっても困るから、あえて険しい環境に村を造ってあるの」 


「あー、なるほど。たしかにこれは見つからないな」


「だから、村には魔獣も寄り付かないし、運よく辿り着いたとしても結界で守られてるから、村の中に入ってしまえば安全地帯ってわけ」


 アピスがドヤ顔してきた。

 俺は目をこする。

 なんか、うざ可愛く見えてきたな。


「わかったら黙ってついて来い。道は悪りぃが、せいぜい足元に気ぃつけろ」


 アビルがめんどくさそうに言った。


「……もしかして、お前ってツンデレ?」


「テメェは死ね」


 それから、俺達はしばらく歩いた。

 道が険しくて疲れるが、後ろを歩くソラとアピスは楽しそうに話していた。

 アピスもすっかりソラに懐いている。

 俺は会話の内容は聞かなかった。

 何回か「ハル」と聞こえた気がしたけど、盗み聞きは野暮だろう。

 え、俺の悪口じゃないよね?


 そして、日が暮れる頃。

 俺達は狼人族の村に到着した。

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