第7話 あなたの名前は


 ヘルハウンドを倒してから、俺達は移動した。

 今は大木の根っこに座り、休憩している。

 どこに行っても同じような森だ。木の根っこしか座る場所がないのだ。


 身体強化を使用したあとは、筋肉痛のような倦怠感が全身にくる。

 肉体を酷使した反動だ。

 なぜだか懐かしくなる感覚だ。

 俺はだるい体をぐんっと伸ばした。


「あー、まじで疲れた」


「いい働きだった、よくやったわ」


 腕を組んだアピスが労ってきた。

 やけに機嫌がよさそうだ。

「何様だお前」と俺はじと目を向ける。

 彼女は「お子様よ!」と胸を張り、「そんなことより」と赤い瞳を輝かせてきた。


「あんた、すごいじゃない! あんなにすぐ魔力操作ができちゃうなんて、本当は天才だったのね!」


「いや、天才じゃねーよ。あれは体が感覚を覚えてたから、なんとかなっただけだ」


「人は見かけによらないって本当なのね!」


 なんて失礼な野郎だ。

 アピスは聞く耳を持たず頷いている。

 そういえばコイツ、獣耳を触ったことは忘れてくれたんだな。


 ふと、俺は左腕の包帯に触れた。

 身体強化の発動中は、魔力の恩恵で体の痛みが薄れていた。

 だから好き勝手に動いていたが、今はその反動で左腕がジンジンしている。

 傷が開いたのか、血も若干滲んでいた。

 てか、起きたらこの状態だったから、まだどんな傷口か確認してなかったな。


「お疲れさま。すごく強くてびっくりしちゃった。いま治療するから、ちょっと待ってね」


 ソラが俺の前にしゃがんできた。

 癒される声だ。

 ぬ、治療……?

 彼女は俺の胸元に触れると、魔力を解放した。


「おお、治癒魔法か……っ」


 初級の魔法だろう。

 大した魔力量ではない。

 でも、心地のいい感触だった。

 体の内側がじんわり癒された。


 そういえば出会った時も、「できる限り治療した」とか言ってたな。

 あれは左腕の包帯のことかと思っていたけど、治癒魔法もかけてくれてたんだな。


 治癒を続けながら、ソラが言った。


「ごめんね。私が弱いせいで、危ないことさせちゃって……。約束通り、たくさん罵っていいから」


「変態みたいな発言だな……。でも、今回助かったのはソラのおかげだろ。罵るだなんて、俺は感謝しかしてないよ」


「え、いや、でも、実際に戦ったのはあなただし、私は影から見てただけだから……」


「戦えたのはソラのおかげじゃん。お互い様ってやつだよ。だから、ありがとう」


 お礼を言うと、ソラは目を丸くした。

 自分のおかげという自覚がないのか?

 謙虚な性格なんだな。

 ややあって、彼女は「ど、どういたしまして」とはにかんだ。


 魔力の光が消え、治療が終わる。

 体が軽くなり、左腕の痛みも軽減していた。


「てか、治癒魔法を使えるんだな。すげーじゃん」


「……簡単な傷しか治せないけどね」


 お? 褒めたのに、なんかそっけないな。

 気のせいか?


 でも、ソラは本当にすごいな。

 魔法まで使えるなんて、正直憧れる。

 戦えないこと以外は、マジで完璧なんじゃ……


 その時、俺は「あっ」と思い付いた。


「ん、どうしたの?」


 ソラが首を傾げた。


「俺、ソラにどうやって恩返しするか悩んでたんだけど、この森にいる間、君を護衛することにしたよ」


 パチンと指を鳴らし、俺はキメ顔で言った。

 俺は彼女に恩返しすると決めた。

 だが、無知な自分では彼女に恩を返せないと思っていた。

 彼女は完璧だからだ。


 でも、そんな彼女にも足りないものがあった。

 戦う力だ。

 そして、ここは魔獣が住む危険な森だ。

 なら、俺が彼女の役に立てるのは、彼女を守ること以外にないだろう。


「えっと、嬉しいけど、私に守る価値なんてあるかな」


 だが、彼女は遠慮がちに言った。

 ずいぶん卑屈なんだな。

 こういう時はあれだ、ゴリ押しだ。


「当たり前だろ、俺の恩人だ。森を出るまでは俺が守るよ。せっかく俺にも長所があったんだ、頼ってくれよ。持ちつ持たれつってことでさ」


「そこまで言うなら…………わかった。よろしくね。でも、危ないことが起きないように気を付けるね」


 彼女はちょっと悩んでから、顔の前できゅっと両拳を握って、笑った。

 俺は苦笑した。

 なんだその変なポーズは。


「ねえところでさ、あんた名前なんて言うの?」


 話が一段落すると、アピスが尋ねてきた。

 そういえば、まだ名乗ってなかったな。

 まあ、名乗れないんだけどね。


「名前はわからないんだ」


「え、わからないって何? 病気?」


 俺はこの失礼なガキに、事情を簡単に説明してあげた。

 起きたら森にいたこと。

 記憶が失いこと。

 ソラが通りかかって助けてくれたこと。

 二人で集落を探していたこと。

 アピスは終始きょとんとした顔で聞いていた。

 そして、最後まで聞いてもきょとんとしていた。


「え、ちょっと待って。じゃあ、あんたら初対面なの? ソラは初対面の人にいきなり魔力ぶっ込んで戦わせたの? あんたも初対面の人を信用して受け入れたの?」


 俺とソラはこくりと頷いた。

 アピスは目を剥いた。


「あんた達、頭おかしくないっ!?」


 まあ、そうかもな。

 俺は恩人相手だから受け入れられたけど。

 ソラは見ず知らずの人を助けて、その人の命を賭けさせたわけだから、俺よりも精神が図太い。

「私おかしいのかな……?」と不安がるソラの背中を、俺は「どんまい」と叩いてあげた。


「まあいいわ……。じゃあ、あんたのことはなんて呼べばいいの?」


 アピスはため息をつき、聞いてきた。

 たしかに、名前がないのは不便だ。

 今までは情報収集に必死で、自分のことは後回しにしていた。

 でも、名前がないというのは、なんとなく寂しいな。

 ガキンチョにあんた呼ばわりされるのも癪だし。


 俺はソラの方に視線を向けた。


「じゃあ、名前を付けてくれないか?」


「え、わわ、私が……!?」


 ソラは声を裏返らせた。

 そんなに驚くことか……?


「いやいやいやいやいや! そんな、私が名前を付けるなんて……っ!」


「いや、仮の名前だから、そんなにかしこまらないで適当に」


「そんなのダメっ、名前ってすっっっごく大事なものだし」


「そうは言っても、記憶が戻るまでの仮名だしな……」


 俺とソラはしばらく押し問答した。

 どうやら、真面目な彼女に名付けは荷が重いようだ。

 でも、アピスに付けさせるのは嫌だしな。

 よし、ここは心を鬼にしよう。


「とりあえず、なんでもいいから頼むよ。ソラしか頼める相手がいないんだ。俺も名前ない方が困るしさ」


「あ、そっか。私が付けないと、あなたが困るんだもんね……」


 相手の良心に付け込む作戦。

 素直なソラは引っかかってくれた。

 心が痛むな……。


「ほんとに、私でいいの?」


「ああ。捨て犬の名付けは拾った人の責務だ」


「気に入らなくても、文句言わない?」


「絶対言わない。仮の名前だから気楽に付けてくれ」


「……それなら、いいよ」


 ソラはなんとか頷いてくれた。

 でも、彼女の性格的にめちゃくちゃ悩みそうだな。

 どうせ仮の名だ。

 ここはサクッと決めさせてあげよう。

 俺はできるだけ気さくに言った。


「パッと思い付いたのでいいよ。本当に適当で――」


「じゃあ、ハル」


「適当すぎない?」


 俺は思わずツッコんだ。

 悩む素振りすらなかったよね、ソラさん。

 すっっっごく大事とか言ってたよね?


「え、変かな? やっぱり違う方がいい?」


「あ、ごめんごめん。わかりやすくてめっちゃいいよ。じゃあ、ハルで」


 ソラが不安そうな顔をしたので、俺は神速で親指を突き立てた。

 彼女が顔を仰け反らせる。

「ほんとに?」という顔をしてきたので、俺は「二文字だと呼びやすくていいね!」と返した。

 適当な返しだけど、適当な名前だからいいだろう。

 すると、ソラは顔を晴れさせた。


「そっか。気に入ってくれたなら、よかった。私もいい名前だと思う。よろしくね、ハルっ」


「ああ、よろしく」


 彼女は子どもみたいに笑った。

 あんだけ名付けを嫌がってたわりに、嬉しそうだ。

 まあ、彼女が気に入ってるならなんでもいいか。


 とりあえずこれで、俺の呼び名が決まった

 所詮は記憶を取り戻すまでの、仮の名前。

 でも、俺はなんだか嬉しかった。

 ひとまずの間は、彼女に恩を返すためにこの名前で生きていこう。

 一からスタートだと、そう思った。


「あっさり決まったのね。まあいいわ。これからはハルと呼んであげるわ!」


 腰に手を当てながら、アピスが言った。


「ハルさんと呼べ」


「ハッ、敬称ってのは相手を敬う気持ちから使うものなのよ。百年早いわ!」


「じゃあハル様だな」


「あんた耳にうんこ詰まってんじゃないっ!?」


「下品だぞ。慎め」


 こいつ、ずいぶん態度が柔くなったな。

 魔獣を連れてきたのは許さないけど、結果オーライか。

 結果オーライか……?


「そんなことより」とアピスが続けた。


「あんた達、獣人の村を探してるんでしょ? なら特別に、私が連れて行ってあげてもいいわよ!」


 お、まじ?

 ふふーん、と鼻を鳴らすアピス。

 ……いや、こいつ迷子って言ってたよな。


「あー、一人じゃ村まで帰れないから、帰り道を一緒に探して欲しいのか」


「ぅ……」


「それに、また魔獣に襲われても困るもんな」


「ぉ……」


 アピスは頬を引き攣らせた。

 図星だな。

 何が連れて行ってやるだよ、小賢しいガキめ。

 だが、これは俺達にとってもいい話だ。

 ソラも「じゃあ、一緒に村を探そう?」とアピスに微笑んだ。


 迷子とはいえ、アピスがいた方が村を見つけやすいだろう。

 それに、迷子の子を送り届ければ、村での待遇も良くなる。

 ソラがそこまで考えているのか、ただの善意なのかは不明だが。


「何日か村に泊まらせてもらいたいから、村の偉い人を紹介して欲しいの。お願いできる?」


 ソラは目線の高さを合わせて、小首を傾げた。

 すると、アピスは勢いを取り戻した。


「そういうことならいいわよっ! わたしの命の恩人って言えば、きっとおばあちゃんはよくしてくれるわ。わたしとの出会いに感謝なさい!」


「お前、友達いなさそうな性格してるよな」


「ありがとう、アピスちゃんっ! 一緒に頑張ろうね」


 色々と言いたいことはあるけど、ひとまず話がいい方向にまとまった。

 こうして俺達は、アピスの村を探して歩き始めた。

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