第4話 災難


 うわ、こいつは生意気そうだ。

 突如茂みから飛び出し、俺の顔面に突っ込んできた子どもを一目見て、そう思った。


 燃えるような赤い髪。赤い瞳。

 だいたい十歳くらいか? 

 顔立ちは綺麗な女の子だ。

 ただ、態度が悪い。目つきも悪い。鬼の形相だ。

 自分から頭突きしてきたくせに、何をキレてんだこのガキは。


 そこまで観察していて、俺は「あれ」と気が付いた。


「狼人族の子ども……!」


 ソラがハッとした声を洩らした。

 目の前の少女は獣人だった。

 それも狼の獣人だ。

 ソラが言うには精強な部族らしい。

 だが、そんなことよりも、俺は思わず手を伸ばしてしまっていた。

 無意識で体が動いてしまったのだ。


「獣耳を見たら、やっぱ触らずにはいられないよなー」


「ちょっ!? ふへ、くすぐ……たい……ッ」


 俺は少女の獣耳を両の手で触った。

 頭の上にピョンとついた、もふもふの赤い獣耳だ。


「急にな……やめ……やめ、ろ……」


 少女はくすぐったそうに、頬を赤くして抵抗した。

 ソラはポカンとしていた。

 うん、いい感触だ。このもふもふを触れるのなら、頭突きされたことなんてなんのその。


「あんた……ぅ……そろそ、ろいい加減に……っ」


 これは本能的な行動だ。

 きっと俺は、以前から獣耳が好きだったんだろう。

 ……でも、変な趣味はないよな? 

 俺はちょっと不安になった。

 そんな不安を抱いたせいで、俺は少女がぶちギレ寸前だったことに気付かなかった。


「いい加減に……」


 赤い瞳がギッッ、と吊り上がった。


「しろーーッ!!」

「ぶはっ?!」


 渾身の右ストレートをみぞおちに頂戴した。

 小さな女の子から放たれたとは思えない、腰の入ったいいパンチだった。


「がは……っ!」


 俺は膝から崩れ落ちた。

 腹を抱えて無様に悶えた。


「なんなのよあんた!! 初対面でいきなり耳を触ってくるなんて、失礼なやつねッ!!」


 二本だけ伸びる鋭い犬歯を剥き出しに、少女は怒りに声を震わせた。

 いや、正論だよね。

 さすがのソラさんも「うんまあそうだよね」と困り顔を浮かべている。

 でも、不可抗力じゃないか。

 獣耳を見たらつい触ってしまったのだ。

 にしてもコイツ、全力で殴ってきやがったな。

 なんて凶暴な女だ……。


「あんた、もう一発蹴られたくなかったら、こうべを垂れて地に這いつくばりなさいッ!!」


 少女が怒鳴った。

 俺は大地に蹲りながら答えた。


「すでに土下座に近い態勢だけど……ガキのくせになんて威力しやがる……」


「あー、これはたしかに土下座に近いわね。ふっ、いい眺めだわ」


 少女はゴミを見るように嘲笑った。

 こんのクソガキ。いつか馬乗りになってボコボコにしてやる……!

 俺は子ども相手に情けない復讐を誓った。

 いや、俺が悪いのはわかってんだけどね。


「ちょっとごめんね? お互い謝らなくちゃいけないところはあると思うけど、そんなにいじっぱりな態度をとっても、ぶつかっちゃうだけじゃない?」


 そこで、みかねたソラが間に入ってくれた。

 彼女は相手に目線の高さを合わせ、優しく微笑みかける。


「まずは自己紹介から始めない? 私はソラっていうの。あなたのお名前は?」


「なによあんた、子ども扱いしないで! おばさん!」


「お、おば………………」


 がーん、と。ソラの頭に雷が落ちた。

 優しく歩み寄った彼女の心は、狼の牙にガブッと噛み付かれた。


「......ぉば………………さ…………」


 ソラはおばさん扱いされたショックで凍り付いてしまった。

 なんて素直な子だろうか。

 真に受けすぎだろ。

 ……まあ、こうなったら仕方ないな。

 俺は「いてて……」と腹をさすりながら立ち上がった。


「なあ、さっきはいきなり耳を触って悪かったよ。よかったら、少しだけ話を聞かせてもらえないか?」


「はあ? なに気安く話しかけてんのよ! いきなり痴漢してくるような男と話すことなんてないわ、この変態!」


「獣耳を見たら条件反射的に手が動いちまったんだよ……。本当に悪かった。このとおりです」


「ハッ、どんな変態な構造してんのよ、あんたの体! 今すぐ死になさい!」


 ……うん。これはダメだな。

 俺への印象が最悪なせいで、謝罪を全く受け入れてもらえない。

 なおもこちらを睨み付けてくる少女。

 どうしたものかと、俺は目頭を押さえた。


「子どもに変態呼ばわりされる趣味はないんだけど……とりあえず、なんで急に茂みから飛び出して、俺に頭突きしてきたのかくらい教えてくれないか?」


「そんな趣味があったら今すぐぶち殺してやるわ」


「なんで急に茂みから飛び出して、俺に頭突きしてきたのかくらい教えてくれないか?」


「二回も言うんじゃないわよ!? ……ったく、しょうがないわね」


 開き直って二度も尋ねると、少女は諦めたように腕を組んだ。


「私が急いでたのは魔獣に追われてたからよ。それで走って逃げて………………って、あぁッ!! こんなことしてる場合じゃないわ! 早く逃げないと魔獣に追いつかれちゃうじゃないッ!!」


 少女はハッとした顔で声を荒らげた。


「……まじ?」


 俺は顔をしかめた。


 え、嘘でしょ?

 こいつ、魔獣から逃げてる最中だったの?

 このままだと『魔獣に追われてる人と遭遇する』っていう話が実現しちゃうの?

 鳥の糞が頭に落ちてくる確率だぞ?


「そ、そうだ! あんた、お願いだからわたしを助けなさいっ!」


「いや断る」


 俺は即答した。

 頭突きと腹パンチがちらついて、つい断ってしまった。

 少女は顔を赤くして地団駄を踏んだ。


「はあ!? なんでよ! ちゃんとお願いしてるじゃない! ぶつかったことなら悪かったわよッ!!」


「いや、全く誠意を感じねーよ……。けど、魔獣が来るってのは本当か? だとしたらふざけてる場合じゃないぞ!」


「ふざけてなんかないわよ! なんとか撒いたんだけど、あいつら鼻が効くししつこいのよ! お願いします!!」


 おお、なんて図々しいガキンチョだ。

 とか文句を言いたいけど、マジでそんな状況ではない。

 魔獣除けの石はあくまで魔獣除け。

 遭遇してしまえば効果を発揮しない。

 兎にも角にも、すぐにここを離れるべきだ。


「おいガキンチョ、ひとまず一緒に逃げてやる! だから、魔獣が来る方向を教えろ! それと、あそこで固まってるお姉さんにあとで謝れ!」


「わ、わかったわ! ヘルハウンドなら茂みの遥か奥にいるわ! あと、私の名前はアピスよ! 覚えておきなさい!」


 そう言って、アピスは自分が飛び出してきた茂みの方を指差した。


「ソラ、落ち込んでる場合じゃない! こいつのせいで魔獣が来る。逃げるぞ!」


「まじゅう……魔獣!? 大変、すぐに逃げないと……って、落ち込んでないもんっ!」 


 魔獣という言葉で、ソラの意識が現実に戻った。

 なぜか落ち込んでいたことは認めなかったが、それをからかう余裕はなかった。

 ソラに魔獣が来る方向を教え、俺達は走り出そうとした。


「あぁッ!!」


 その、瞬間だった。

 鼻をぴくぴく動かしたアピスが、急に大声を上げたのだ。

 俺は「急にどうした」と聞こうとした。

 だが、遅かった。


『ガルァァァアッ!!』

「「「……ッ!?」」」


 直後、茂みから魔獣が飛び出してきた。

 それも四匹もだ。

 俺達はすぐに取り囲まれた。

 背中を合わせて周囲を警戒しながら、顔を青ざめさせた。

 

「クソっ、遅かったか……!」

「ヘルハウンド……それに四匹も……っ」

「うそ、なんで!? こんな早く追いついてくるなんて……っ」


 全身を紺色の毛並みで覆った、鋭い鉤爪と牙を持った四足歩行の化け物。

 その恐ろしい姿を目の当たりにして、俺は立ち竦むことしかできなかった。

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