第2話 これから


 ソラの変人リアクションが収まった頃、俺の腹が大きな音を立てた。

 最後に食べたのはいつなんだろう。


 ソラはその音を聞くと、ふふっと笑った。

 そして、彼女は食料を恵んでくれた。


 彼女の荷物は少なかった。

 食料を取り出したリュックと、護身用の細剣だけだ。

 着ている白い服もピシッとしてるし、森を歩くような服装には見えない。

 スカートだし。

 なんでこんな森にいるんだろう。


 俺は渡された赤い木の実にかじり付く。

 口の中でジュワッと甘みが広がった。


「おっ、うまいなこれ。なんていう木の実なんだ?」


「私もこの森に入ってから見つけたから、名前はわからないの。でも、毒はないから安心して」


 食べる前に毒味をしたのか。

 当たり前のことだが、今の俺ならパニクって忘れそうだ。

 俺は続けて質問した。


「この森に入って長いのか? てか、なんでこんなとこにいるんだ? そんな服装でも、迷子って感じには見えないけど」


「服装に関してはどっこいどっこいだと思うけど、この森に入ったのはつい先日かな。なんでっていうのは……自分探しの旅、とかかな?」


 一瞬だけ表情を曇らせて、ソラは答えた。

 俺は少し引っかかった。


 彼女は今、木陰に座っている。

 綺麗な座り方だ。

 所作も一つ一つが美しいし、育ちがいいことは間違いない。

 そんな子が、自分探しのために深い森に一人きり。

 ……怪しい。

 なんかわけありそうだ。

 でも、余計な詮索はやめておこう。

 今の俺はそれどころじゃないし。


「そっか、そしたら俺がいたと……。でも、俺を助けることに抵抗とかなかったのか? もしかすると、危ない人間だったかもしれないだろ?」


「え? だって、それは助けてみないとわからないじゃない。いい人が倒れてたかもしれないのに見捨てたら、後悔するでしょ?」


 ふと尋ねると、ソラは不思議そうに首を傾げた。

 真っ直ぐな目だった。

 本当にいい子だな。

 それに度胸もある。

 でも、こんなにいい子に助けてもらえるなんて、俺もうすぐ死んだりしないよな?


「たしかに、あなたは善人顔ではなかったから、その、悪い人じゃなくて、なんていうか、ちょっとだけ安心したけどね」


 言葉を選びながらソラが言った。

 俺ってどんな顔してんだ?

 自分の顔をぺたぺた触る。

 うん、わかるわけない。

 ちょうど近くに小さな水溜まりがあったので、俺は自分の顔を覗いてみた。


 血のような赤い髪。気だるそうな黒い瞳。

 なんというか、全体的にやる気のない顔だ。

 たしかに善人面ではないな。

 ちょっと残念だ。

 あとそんなストレートに言われるとショックだよ。


「それで、あなたは記憶がないんだもんね? どうしてここにいたのかも、覚えてないんでしょ……?」


 ソラが窺うように聞いてきた。


「そうだな……。この森ってどこなんだ?」


「ここはフレイム大森林。大陸で一番大きな森だから、知らない人はいないと思う」


 フレイム大森林。

 俺はその単語を口の中で転がす。

 知らない地名だ。

 俺はそのあとも何個か質問することで、自分の記憶の状態について把握した。


 俺が忘れているのは二つ。自分自身こと。この世界の歴史だ。

 一つ目は説明するまでもない。

 自分が誰なのかを知らない。

 これまでの人間関係も綺麗さっぱりだ。


 二つ目は、要はこの世界の成り立ちついてだ。

 常識といってもいい。

 過去にどんな歴史があったのか。

 その結果、現在ではどんな国が存在するのか。

 フレイム大森林?

 もちろん初耳だ。

 歴史を知らなければ、地名なんてわかるはずがないのだ。


 ただ、幸いなのは、生活する上での最低限のことは覚えていたことだ。

 言語は覚えている。

 国とか森とかいう概念もわかる。

 服の着方など、物の名前や使い方もわかる。

 ひとまず、何も知らない赤ん坊状態じゃなくてホッとした。

 

 とはいえ、だからなんだという話だ。

 今はソラといるおかげで落ち着いている。

 混乱せずに済んでいる。

 でも、記憶がない事実は変わらない。

 これからどうしたらいいのか、俺は悩んだ。


「じゃあ、とりあえず森を抜けるまでは、私と一緒に行動する?」


 悩んでいると、彼女が提案してくれた。

 俺は目を丸くした。


「それは、正直めちゃくちゃありがたいけど……迷惑じゃないのか? 見ず知らずの男と一緒にいるなんて」


「こんなにしてもらって、今更なんの迷惑を気にしてるの?」


 鋭い指摘に、うぐっ、と声が洩れた。

 手当てしてもらい、安心させてもらい、食べ物までもらい……。

 うん、申し訳ないくらい迷惑をかけていた。

 でも、だからこそ思うのだ。

 これ以上迷惑をかけてもいいんだろうかと……。

 とはいえ、俺に他の選択肢がないのも事実だ。

 こんな森に一人で取り残されれば、俺は死ぬ。

 また恐怖で蹲る。


「ふふっ、冗談だよ。私は迷惑だなんて思わないから。困ってる人を助けることを迷惑だなんて、そんな寂しいこと思いたくない」


 俺が押し黙っていると、ソラが悪戯っぽく言った。


「だから、遠慮しないで? 私にできることなら、ちゃんと手伝うから」


 そして、彼女は真紅の瞳を細めた。

 俺は、胸がじんわり温かくなった。


 優しい声色だ。柔らかい微笑みだ。

 俺が申し訳なく思わないように、彼女は気を使ってくれたんだろう。

 こんな見知らぬ男を助けても、なんのメリットもないのに。

 ……いや、そうじゃないか。

 彼女はきっと、ただの底抜けのお人好しなのだ。


「ほんと、ソラって天使みたいに優しいな」


 俺はふっと口元を緩めた。


「うぇあ!? てん、そ、そんな……こと……っ」


 彼女はまた、赤面して慌てふためいた。

 俺は思わず吹き出した。

「あはは」と声を出して笑ってしまった。


「お前、面白いな。なんでそんなに褒められ慣れてないんだよ」


「わ、わたし……友達とかいないから慣れてなくて……。もう、そんなに笑わなくてもいいのに」


 ソラがぷいっと唇を尖らせる。

 いじらしい顔だ。

 この容姿で生きてきて、友達がいないなんてあるんだろうか。

 普通なら人が寄ってきそうだけど。

 まあ、今はそんなことどっちでもいい。

「ごめんごめん」と笑い謝って、俺は続けた。


「でも、助けてくれたのがソラで、本当によかった」


「あえ……急にどうしたの?」


「いや、ただ純粋に思っただけだよ。ちょっと変なとこもあるけど、ソラがいてくれてよかった」


「変……。でも、そっか。そう言ってもらえると、私も助けてよかった」


 素直に伝えると、ソラは吐息のように笑った。


「じゃあ、お言葉に甘えて、ひとまずソラの旅について行かせてもらうよ。その間は、役に立てるように頑張るからさ」


「うん、わかった。……でも、本当にいいんだね? 私なんかといるの、嫌だったりしない?」


 念のため、彼女は確認してきた。

 嫌なことなんてあるはずない。

 命の恩人だ。

 それもとびきりの美少女だ。

 だから、俺は決めたのだ。


「ああ、大丈夫だ。女の子に助けてもらって、男として何も返さないわけにもいかないし。まずは、君に恩返しさせてくれよ」


 俺は、彼女に恩返しをしよう。

 ここまでしてもらったんだ。

 どうせ俺には帰る場所もないし、これからの目的もないんだ。

 なら、せめてもの恩を返そう。

 少しの間だけ、彼女の力になろう。


 そう伝えると、ソラは唇に手を当てながらどこか嬉しそうに笑って、手を差し出した。


「うん、よろしくね」


 俺はその白い手を、優しく握り返した。

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