第15話:雲の上から見る街は
白天の城は、街が地図のようになるくらい遠くなった頃に成長が止まった。
きっと今頃街は急な出来事に大騒ぎしているだろうなと思う。
もうここまでくると、階段で上ることは無理だろうなあなんて思ってくすっと笑った。
そして今度は雲が横に広がっていった。
今いる城を中心に、円のように丸い雲の大地が広がっていく。
下の街と違って、今度こそ何もないシンプルな雲の大地。
だれもが思い描く白い空の大地だ。
私は、まだ残っていた展示室の出入り口から城をでて、雲の大地に降り立つ。
雲の感触を確かめるように。この街に初めてきた時にそうしたように、わくわくする心を抑えることもせず。そろそろと、第一歩を踏み出した。
ああ、なんて柔らかい感触。
優しくて、ふわりとして、でも下の街と違うのは、風がひやりと気持ちよく、ここが空の上だという実感があった。
きっとこっちこそが、私の期待していた雲の上だったって思えた。
キズナもこの状況に戸惑いを隠せないままみたい。でもガイドの仕事を思い出したのか、城を出て私に着いてくる。まあ、初めての現象に遭遇してガイドも何もなかろうけど。
広がるシンプルな白の世界。
ここからの景色も十分に壮大。
雲の大地の端からは、青い空ではなく《マボロシの海》が遠くに見える。
深い青と紫の不思議な空間、そして輝く星の道。
このまま見ていたかったような気もするけど、私は端を目指して歩いた。
きっと『始まりの雲』が本当に見せたかった願いの形を見るために。
まだそこまで広くなっていないこの大地を歩くと、ほどなくして端が見えてくる。
さらに歩く。
端に辿り着く。
私は、そこから下をのぞいてみた。
「すごい……素敵!」
私は感動の声を上げた。
雲の大地の遙か下に、街が広がっている。
雄大で胸に響くそんな景色。
とても遠くで、同じ《星》の中にいるのに別の世界にいるかのよう。
高い天空から見る雲の《星》は、城から見た時と違い人の営みもつぶさには見えない。
でも、描かれた街の奇跡と文様は、それだけでこの《星》の歴史を、この街を造った人たちの思いを胸に刻み込んでくるようだった。
《星》は、そしてこの街は確かに生きていた。
この高さがあって初めて雲世界にきた実感が湧く。さっきまでの造られた街の高さとは別の世界の視界。
そうか。この景色を見るためには、空となるこの高さと、そしてなにより見下ろすための街が必要だったのかと私は気づいた。
だって、雲は空にあるものだから。
だから、『始まりの雲』は最初に街を造ろうと思ったんだ。それが意図から外れて暴走してしまって、一番大事な願いを叶えられなかった。
それは悔しいことだったろう。
けれどそれは今、ここに叶ったんだ。
きっと今、この雲の道は初めて本当の幻を叶えて願いの
「また派手にやったね。君の行動で《星》が変わってしまった」
声に振り返ると、そこにキズナがいた。あきれたような顔をしながら、でもそこに非難の様子はなかった。
私は笑顔で言葉を返す。
「だって、この《星》を心から楽しみたかったんだもの。気持ち悪さとか心残りがあったら、いい旅にならないでしょ」
「それで、ここまでやるわけか。いや、確かにまだスフィアのことがわかってなかったみたいだよ」
「でしょ、私にだってわからない自分なんだから。これからゆっくりお互いを理解していきましょう」
「理解ねえ。苦労の方が多そうな気がしてきたよ。まだまだ長い旅だけどね」
「きっと旅ってわからないことが多い方が楽しいと思うわ」
「そう願ってるよ」
私はもう一度雲の端から街を眺める。
そこには変わらず遙か遠くの白く柔らかい雲の島。そしてたくさんの人が集まる雲の街があった。
「ね、いい景色でしょ」
私は、後ろのキズナに呼びかける。
「そうだね。それには異論無い。とても壮大で他にはない景色だ。だれもが憧れる雲からの景色だって思う」
「きっと私もこの景色を期待してたんだと思う。だから、ずっと違和感があったんだ。雲といえば空にあるものだから。歩けることも重要だけど、空の上にない雲ってやっぱり違うなって思っちゃったのよね」
「なるほどね。今ならスフィアの気持ちもわかる気がするよ。この景色を見てしまったあとなら。まさに《マボロシの海》でしか見られない。人の理想と幻想が形になったそんな光景だ」
「うん、私がこのツアーで見たかったのはこういう世界だったんだ。たぶんね」
「そっか。ああ、このあとのツアーも考え直さないとなあ……」
「よろしく、ガイドさん」
「気楽でいいねスフィアは」
――ありがとう
そんな声が私に届いた。声の主の姿は見えないけどきっと『始まりの雲』が私に話しているんだと理解できた。今いる雲の大地全部があの雲なんだろう。
「お礼なんていいの。私がしたかったことをしただけ」
――それでも感謝を伝えたい。私がこのマボロシの世界で叶えたかったのは、この形だったから。
「願いを叶えられてよかったわ。きっとあなたはこの《星》に来る人を楽しませたかったんだよね。そんな優しい人の願いが叶わないのは違うって思うから」
――優しいだろうか。
「優しいと思うわ。人を楽しくしたいなんて考える人は特にね。それに私思うの。願いを叶えようとする人の願いは叶えられてほしい。少なくともそんな世界であってほしいって」
――そうか。君はそう考えるのか。
その声は少し優しさを含んでいたように感じられた。きっとこの雲はこの《星》にいるみんなの願いを叶えようとしてしまったんだと思う。それこそ、自分が生まれた理由である人の理想や願いを忘れてしまうくらいに。
それがきっとこの街の、楽しいはずなのに不思議な違和感がある状態を作っていたんじゃないかな。
「《星》は君にだけ話しかけるんだね?」
キズナにしてみれば、最初に話しかけられた時といい、私とだけ『始まりの雲』が話をしているのが不思議なのかもしれない。
「なぜスフィアにだけなんだろう」
「理由なんてわからない。でも確かにここにいて、話をしてくれてる」
「そうか。まあ、君は特別なのかもしれない」
そういってキズナは、私をそしてこの広い雲の大地を見やった。
――この《星》は楽しかっただろうか。私たちは君を喜ばせることが出来ただろうか。
また声が聞こえてくる。
『始まりの雲』の心からの質問。この答えこそがきっとこの雲の在る意味につながるんだろう。
だから私はこう答える。
「もちろん! 素敵で最高なマボロシを体験できた! 下の街だってもちろん楽しかったけど、雲を歩くことが出来たこと、遙か空の雲の上から世界を見下ろせたこと。きっと一生忘れないわ」
――そうか、私にとってこんなにうれしい言葉はない。きっとこの先はもっと君のように楽しんでもらえる旅人を増やしていけると思う。
「うん、この景色があれば、きっとみんな最高の気分になると思う」
――ああ、そういえば大事なことを忘れていた。君の名前を教えてもらえないか
「スフィアよ。本当の名前かどうかはわからないけど。私がなんにも覚えていなかったから、そこのキズナにつけてもらったの」
何を考えたのか『始まりの雲』は少し黙り込んだ。そして、なにか頷いているような納得しているような、そんな雰囲気が伝わってくる。
――スフィア。《星》の名か。なるほど君は《星》なのだな。いい名だと思う。
「私が《星》?」
そこには何か含みがあるように感じられた。きっと聞いても答えてくれないような。そんな何か。
――いずれわかる。スフィア、君は私の友人だ。その名忘れない。
「うん私も。この《星》のこと忘れない。ねえ、私も一つ聞いていいかな」
――なんなりと
「私が初めてあなたに会った時、私にあの景色を見せてくれたのはなぜ?」
――だれも私の声を聞いてくれなかった。だれにも私の願いは届かなかった。でも不思議とスフィアには届くような気がした。でも、今ならなぜ届いたのか、それもわかる。スフィアだから声は届いた。君に会えて良かった。
「そっか、キズナっぽくいうならこれも旅の出会いってやつかもね」
――旅の出会いか。それもよいな。ああ、そうだ。旅というなら、スフィアにはこの《星》の土産が必要だろう。
急に『始まりの雲』はそんなことを言い出した。「え、お土産? まあ、街の人には悪いけど、そういえばとくに何も買っていなかったわ」
――なら、よければこれをもらってほしい。
「え?」
その瞬間、私の目の前に光の球体が現れた。まぶしくなく、どことなく優しい光。
私はその光をそっと両手で受け取ると、光はゆっくりと収まっていく。
光が消えたあと、手の中にはガラスの小瓶があった。私の手のひらに収まるくらいに小さくて、少し細長い。
中に何が入っているのか、もやがかかっているようでよく見えない。だけど、それはまるで、優しくふわりと暖かくて、白く輝く宝石のようで……。
「これ、ひょっとしてこの《星》の雲?」
――ああ、そうだ。ほんの少しだがよければ持っていてくれ。
「ありがとう、なんて素敵なプレゼントなの!」
――喜んでくれたならうれしい。見た目は少ないが瓶からだせば大きく膨らむ。その雲はこの《星》のものと同じように浮くことが出来るし、形を変えることもできる。役に立つことがあれば幸いだ。
「ううん、役になんて立たなくていいの。こんな美しいもの見ているだけで幸せになれるから。大切にするね」
きっとこれは、この《マボロシの海》で本当の意味で初めて自分で手にしたもの。それがこんな素敵な旅の思い出なら。最高だって思える。
――ああ、君は本当に素敵な子だ。さようなら、スフィア。これからの旅路に素敵なマボロシの多からんことを……
「ええ、さようなら。素敵な思い出をありがとう。またいつか会える日を楽しみにしてるわ」
素敵な雲の《星》の旅。
一つの出会いと一つの別れ。
手には綺麗で素敵なお土産一つ。
私はこの雲の道を歩いた先で、最高の思い出を手に入れることができたんだ。
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