第1の旅:雲の道の《星》

第7話:雲の道\ミルキーウェイ

――雲の上を歩けたら、そんな夢を私は叶えた



 静かに揺れる。

 ときどき車輪がレールを叩く優しい音が聞こえる。

 窓から見える景色は、深い青の視界と時折緩やかに揺れる虹色の波。

 近くに遠くにまたたく光が、あそこにはいつか行きたいマボロシがあるのだと教えてくれている。

 光と光をつなぐ道は、列車の輝く軌道。

 宇宙のような海のような不思議な空間の中に、歴史が紡いだ幾何学模様が素敵な景色を描いていくれる。

 私は今《マボロシの海》を走る星間列車の中。

 素敵な素敵な旅路の途中。


 傍らには、この旅を企画してくれている幻想旅行社ツアーガイドのキズナが、列車の窓枠に腰掛けて足を伸ばしている。

 キズナは小さなぬいぐるみみたいな大きさの男の子で、本人曰く立体映像とか言うやつらしい。

 頭がすっぽり隠れる大きめの帽子と厚手のコート、やや大きめの肩掛け鞄のセットが相まって、全体的に丸みを帯びたかわいらしいイメージになっている。

 私の中ではすでに旅のマスコットと言うことに決定している。

 窓際に座るのは正直お行儀悪いとは思うけど、ちょこんと椅子に座ってる姿をからかいすぎたのがお気に召さなかったらしく。頑として椅子に座ろうとしなかった。

 まあ、列車の中で浮いてられても落ち着かないからいいんだけど。


 私の名前はスフィア。

 ほんとの名前じゃない。すべての記憶をなくしてこの《マボロシの海》を漂っていた私にキズナがつけてくれた名前。《星》を意味する名前なんだって。

 今私はこのマスコットのキズナと一緒に幻想旅行社のツアーに参加していて、最初の旅の地である雲の道の《星》に向かって移動しているところだ。

 『雲の道』

 その言葉だけを聞いても、気分が高揚してくる。なんて幻想的で素敵な言葉なんだろう。

 これから私は、どんな《星》でどんな街や人や食べ物に出会えるのだろう。とにかく楽しみで仕方ない。


 雲の道の《星》。どんなところなんだろう。

 星間列車に乗るまではお楽しみ、と名前以外は何一つ教えてくれなかったのだ。

 なまじ、素敵な名前の《星》だけに期待ばかりが嫌でも高まってくる。


「ねえ、キズナ。最初の《星》はどんなところ? そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかな?」

 窓枠でそっぽを向いているキズナに話しかけると、ようやくこっちを向いてくれた。

 機嫌を直したのか、仕事を思い出したのか。

「……そうだね。そろそろ話しておくか。これから向かう雲の道はその名の通り、雲で出来た街。マボロシを形にした街としては、これ以上無いくらいにわかりやすい《星》ってところかな」

「雲で出来た街! なんてロマンチックなのかしら。やっぱり全部の道が雲で、ふわふわで夢心地って感じなのかな」

「何を言っているかはいまいちわからないけど、期待してくれているのはよく伝わったよ」

 もちろん楽しみで仕方ない。雲の上を歩くこと。それはだれもが一度はきっと夢見たことがある空想の一つなんじゃないだろうか。

 そんな私の言葉にキズナがニヤリと笑う。

「でも、うちのツアーをなめないでほしいな。それだけの場所を、大事な大事なツアー最初の《星》に選ぶわけがないだろう。きっと降りたら驚くよ」

 キズナは自信たっぷりだ。これほど言うからには私の想像をきっと遙か超えてくるんだろう。素直に楽しみにしておこうと思う。

 

「まあ、っていっても雲の道の《星》のコアはとってもわかりやすいのも確かなんだけどね」

「《星》の核? それってなに?」

 まだ聞いたことのない言葉だ。

「ああ、核っていうのは、《星》を構成する夢や願いなんかの想いといっていい。《星》は人の強い想い・記憶・夢を形として世界を形成するっていうのは前に説明したとおり。その中心となる言ってみれば想いの種となるのが核だ。幻想旅行社ではサテライトなんて呼んだりもするかな」

「そっか《星》って夢が形になった世界なんだもんね。そこには必ず誰かの思いが真ん中にあるってわけなんだ」

「そういうこと。で、雲の道の《星》の核はズバリ『雲の上を歩きたい』だと言われている」

「うん、わかりやすいね。でもすっごくわかるな。雲って触ったらどんな感じなのかなとか、歩いたらふわふわするのかなとか、一度は考えるよね」

「僕は考えなかった。雲は水蒸気の塊」

「うわ、キズナつまんないの。こんな世界にいるのに夢がないなあ。雲を食べたらおいしそうとか思わなかった?」

「それはスフィアだけだと思うけど」

「えー、そんなことないって!」

 私は心外だとばかりにキズナに文句を言う。キズナはどこ吹く風とばかりに気にしていない。

 うーん、この現実主義者め。

「まあ、その辺は行ってからのお楽しみ。さて、そろそろ雲の道が見えてくるよ」


 私はキズナのその言葉に、キズナを押しのける勢いで窓に張り付いた。

「うわあ……」

 思わず声が漏れた。

 窓越しに見える世界は、まさにどこまでも伸びる雲の世界。

 光を受けて白く輝く雲の道だった。

 雲で出来た大きな島がまんなかに一つ、まんなかの島を中心に同じくらいの間隔で6つの小さな島が空に浮いていた。

 中央の島と周辺の島の間は雲の細い道でまっすぐつながっているみたいだ。

 全体の光景としては、白い色彩と相まって雪の結晶のよう。

 まだ少し遠いが大きな雲の島の上には、たくさんの大きな高く積み上がった雲の塊があちらこちらにあった。

「キズナ! ひょっとしてあれって……」

「そう、全部雲で出来た建物。雲の道は雲の上を歩けるだけじゃない。大地も道も建物もすべてが雲で出来たまさに雲の世界なんだ。どうかな?」

「素敵! すっごい感動!」

「着いたらもっと驚くよ」

「これが旅の最初でこれなの? このあとが楽しみすぎてどうかなっちゃいそうだよ」

「それは企画者冥利に尽きるけど、まずは最初の旅を楽しむのがスフィアの仕事」

 私は素敵な景色に大興奮。その様子を見ているキズナもまんざらではなさそうだ。きっとこれまでもこんな風に喜ぶ観光者を見てきたのだろう。

 一見現実的でドライなキズナだけど、実はこの仕事が好きなのかもしれないな、と私はひそかに思った。

「窓開けてみてももいいかな?」

「ご自由に」

 キズナがふわりと浮かんで場所を空けてくれる。

 窓を押し上げる。

 《マボロシの海》のキラキラときらめく粒子を含んだ風が入ってきた。爽やかでどこかはじけるような感じもして、とても気持ちいい。

 列車は雲の道の《星》よりも少し高いところを走っているみたいだった。全体的に街を俯瞰するような景色になっている。

 私は窓から少し身を乗り出して、雲の道を眺めた。

 思ったよりも遙かに大きな《星》だ。雲の道なんて言うから、もっと小さなところを想像していたけど、これは道と言うよりも街と言った方がいいくらい。まさに雲の王国と言った風情。

「街の真ん中を見てごらん。高い建物があるだろ」

 キズナが私の横に来て指を指す。

 そう言われてみてみると、雲の道のまんなかに他の建物より群を抜いて高い建物があった。建物と言うよりお城のように見える。

「あれが、この《星》の始まりの場所。通称白天の城。あそこから雲が伸びて今の形になったって言われている」

 そこでキズナがコートのポケットからなにかを出した。懐中時計のようだ。文字盤が私の知っている時計とちょっと違うように見えた。

「おっと、ちょうど時間だ。城をみてごらん。星間列車からしか見えない景色が見えるよ」

 

 キズナの言葉に素直に従って、白天の城を見る。ちょうどそのとき、辺りの景色が変わったのがわかった。

 《マボロシの海》の波が変わったというか輝きが変わったというか、これまでの深い青から、やさしい虹色の揺らめきの色が強くなる。その揺らめきは雲の道の上を通っていった。

「すごい……ほんとにマボロシを見てるみたい」

 私はつぶやいた。

 白天の城が《マボロシの海》からの虹色の光をうけて同じように虹色にきらめいている。雲の柔らかい質感が光を受けて幻想的に変化していく。これまでが白の街だったのが、白天の城を中心に広がるように虹色の街に変化していく。

「あれはミルキーウェイ・カレイドスコープなんて呼ばれることもある、この《星》の三大名所の一つなんだ。これを逃しちゃもったいない」

 ああ、なんて綺麗。

 感動で涙が出そうになった。こんな景色を見たことが今までの私にあったのだろうか。

 雲の大地を俯瞰して眺めることだけでも素敵なのに、虹に輝く幻想の光景を私は今目にしていた。

 記憶を無くした今ではわからないけど、この体が初めての体験だと訴えているのがわかる。

 その光景は、ほんの数分の間に虹色が広がり溶けていくように、元の白い世界に戻った。

 一瞬の光景だった。このタイミングでこの星間列車からしか見られない光景。

 名残惜しい、そう思った。

「これ、わかってつれてきてくれたの?」

「こう見えてツアーガイドだからね。もちろん、計算尽くですよお客様。旅は現地に着く前にも始まっているんだ。移動もまた旅なり。いろいろ来る手段はあるのに星間列車を使った理由はまさにこれさ」

 キズナはこれまで私が見ている間に一言も発せず黙ってくれていた。今は私の前の席の背もたれに腰掛けてこっちをニヤニヤ見ている。

 くやしいが、結構有能なツアーガイドなのかもと思ってしまう。

「すごい景色だった。きっと一生忘れないと思う。これからも、もっとすごいことあるんだよね?」

「ああ、保証する」


――次は雲の道駅、雲の道駅です。お忘れ物のありませんよう。

 そこに列車からのアナウンスが流れた。

「さあスフィア支度して。この列車のドアが開けば《星》への、そしてツアーへの第一歩だ」


 これが旅の最初の最初。

 でも、この旅はきっと想像を遙かに超えて、私の世界をすべて造り直してくれる、そんな予感がしていた。

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