旅の準備 第3話:マボロシの旅はいかがですか?
遙か不思議な空間に、記憶を失った謎の少女が一人。
なんて絵になる光景なのかしら。
とか言っておちゃらけてみたところで、状況はもちろん変わらない。
あらためて自分を見回してみる。
手足は細くて少し短め? 確かにキズナの言うとおり少し幼い見た目かもしれない。服はパステルカラーでフリルや飾りのたくさん着いたワンピースのような感じ。スカートのデザインはふわりと膨らんだ感じで結構かわいらしい。
確かに服のデザインは少し幼めかしら。
キズナのように鞄を持っているわけではなさそう、と言うか身につけている服以外は一切のものを持っていなさそう。どこかで落としたのか、それとも、元々ものを持ち歩かない生活をしていたのかも。
ぐるっと体を回すたびに長い髪が目に入ってくる。
どうやら腰くらいまであるみたいだ。
少しウェーブの効いたふわっとした栗色の長い髪。
全体的な見た目を一言で言うと、いいとこのお嬢様って感じなのかしら。
自分の見た目でわかる情報はそれくらい。
とはいえそれ以上はどれだけ考えても、いくら記憶の底をあさってみても、自分がなんなのかわからない。
着ているものもヒントにはならなかったみたいで、自分につながる情報はおろか自分の名前もわからない。
ものすごくびっくり。
ついさっきまでは、自分がこんな不思議な空間にいることに心の底から驚いていたのに、よくよく考えてみたら、自分も十分に不思議な存在だったのだから。
この場所のことを知らないから現在もわからない、記憶が無いから過去もわからない、こんな空間になすすべなく漂流しているものだから未来だってわからない。
すべての時間でわからないことだらけ。ここまでくると極まってるなあなんて感心してしまう。
それでも不思議なことに、本当に不思議なことに、数え上げれば絶望が本のページを作れそうなほどあるこんな状況でも、私はまったく不安にならなかった。むしろ、わくわくでいっぱいなのだ。
過去のことは知らないけれども、きっと根っからさっぱりした前向きな自分だったんだろうなあとあきれてしまう。
結局のところ、どれだけ思い返そうとしても何も記憶は出てこないようだし、それならば未来を向いてみよう。そう考えることにした。
「ねえ」
私はキズナに訪ねる。
「なに?」
私がうんうん言いながら頭を抱えて考え込んでいる間、律儀に口も挟まずに待ってくれていたキズナは少しだけあきれた顔だ。
「私って、どんな見た目なの?」
「どんなって、自分でも見ての通りだと思うけど」
何を聞かれているのやらという感じのキズナのため息。
「そりゃ着てるものとかそういうところはわかるけど、肝心の顔が見えないじゃない。私ってどんななのかなって思ってさ」
「うーん、人の見た目を一言で言うのはちょっと難しいけど、まあ強いて言えば、人間年齢的には十代前半から半ばの女の子、見た目だけで言えばいいとこのお嬢様って感じじゃないかな」
あ、その他人から見てもその印象なんだ。と私は納得した。
「まあ、いいか。どんな見た目でも自分は自分だし」
「ずいぶんさっぱりしてるんだな。普通自分の記憶がないってわかったら、もっと混乱したり不安になったりしない?」
「そんなこと考えても記憶が戻るわけでもないし、この状態がよくなるわけでもなさそうだもの」
「……君はずいぶん強いんだね」
キズナは少し驚いてるみたいだった。
「わからない過去なんかよりも、これからのこと考えた方が楽しいかなって」
「訂正、君はずいぶんと楽天的みたいだ」
「なんだか評価が下がった気がするわ」
「気のせいだよ」
それ以上つっこんでもキズナはきっと応えてくれないだろうから、深く聞くのはやめることにした。
「自分の分析は終わったかな?」
「分析なんて難しいこと考えていたわけじゃないけど、自分のことを考えるのはいったんやめておくわ。たぶん意味なさそうだし」
「じゃあ、あらためてこちらの話をしてもいいかな」
「そういえば、旅の企画がどうとかって話からはじまったのよね」
そうそう、それが話しのきっかけだったっけ。記憶喪失のことで驚いたからすっかり忘れてた。
「そう、君は忘れていそうだからもう一度言うけど、僕はこの《マボロシの海》で旅の企画提案とツアーガイドをしている幻想旅行社の社員。行き先のなさそうな君に旅の提案をしにきたんだよ」
「一つ聞いていいかしら。私いきなりここで目が覚めたから、この場所のことを何も知らないの。まず《マボロシの海》ってなに?」
「ああ記憶が無いんだものね。当然そこからか。じゃあ、まずはこれを見せることにしようかな」
キズナはそう言うと鞄を開け、中から数ページ程度の薄い冊子を私に差し出してきた。
あの小さい体に抱えた鞄から、どうしてこの大きさのものが出てくるのかは聞いちゃだめなのかしらと思いながら。
「自動で翻訳されるから、どの世界から来ていても読めるはずだよ」
確かに書かれている文字らしきものは、すべて意味がわかるように思えた。
「《マボロシの海》ツアーガイド?」
冊子の表紙には、今見ているこの場所の絵らしきものが一面に印刷されていて、真ん中の少し上くらいにそんなタイトルが大きく描かれていた。
「1ページ目を開いて読んでみて」
言われるままに冊子の最初のページを開く。
そこには『《マボロシの海》とは』という言葉のあとに、説明のようなものが書いてあった。
『《マボロシの海》とは!
すべての世界の人々が心に秘める、素敵な夢や空想、願いの欠片が集まる場所。本来ならありえないマボロシが形になったそんな夢の空間なのです。
だれしもが夢見る、おとぎ話、こうなればいいなという空想、忘れ去られてしまった大切な記憶や思い出。そんなものがこの海に浮かぶ《星》となって、無数の不思議な世界を作っているのです。
我々幻想旅行社は、そんな夢の世界である《マボロシの海》の素敵な旅をご提案いたします。
普通の世界ではけっしてみられない、そんなマボロシをあなたも体験してみませんか?』
おお、これはなんて本格的な旅行ガイド!
「《マボロシの海》についてはわかってもらえたかな?」
「ええ、とっても!とっても! すごいのね、ここ。そうかあ《マボロシの海》っていうのかあ……、夢とか願いで出来た素敵な世界なのね」
わくわくが止まらない。
なぜここにいるのか理由は知らないが、私は今夢の世界にいるんだ。面白くないわけがない。
「そう。《マボロシの海》には本当にたくさんの夢や願いが流れ着いている。そんな夢たちが造った世界のことを僕らは《
「なんて素敵! 私旅してみたい。このツアーって私も参加できるのかしら?」
「もちろん。それが僕らの仕事だもの。それに君は記憶をなくしているようだし、このツアーは君に必要なものかもね」
「どういうこと?」
「このツアーの中ではたくさんの《星》を巡ることになる。《星》はいろんな世界の夢や願いでできたものだから、ひょっとしたらこれから巡る中に君の世界につながる記憶があるのかもしれない」
「そっか。じゃあ、このツアーで私の記憶が戻せるかもしれないのね」
「あくまで可能性だけどね。《マボロシの海》は広く、《星》も多いから」
「それでも可能性があるなら十分じゃない。何もしなかったらきっと記憶も戻らないわ。それならなおのこと旅に出なくっちゃ」
旅を楽しんで、記憶も取り戻せる可能性がある。なんて素晴らしいツアーなのかしら。こんなことを考えてしまうから、キズナに楽天的なんて言われるのかもしれないけど。
「ただし報酬はいただくけどね」
その言葉に興奮しきっていた頭が少し冷静になる。たしかに、向こうも仕事なんだからもちろんお代は払わないといけないのよね。でも報酬っていわれても……。
「私、お金なんて持っていないわ。それどころかなにも持っていないし。自分の家もわからないから取りに帰ることも出来ないもの」
記憶を失ったこと自体は何とも思わなかったけれど、せっかくの楽しそうなイベントに参加できないのは、少しどころではなく悲しい。
「ああ、ごめん。少し誤解を招く言い方だった。報酬と言ってもお金とかじゃない。そもそもこのツアーは、様々な世界からお客様を招いているからね。お金なんて共通性のないものじゃ、報酬にはならないんだ」
私の気持ちを察してくれたのか、キズナがフォローするように説明してきた。私がよっぽど悲しそうな表情をしていたのだろう。
「なら、なにで支払えばいいのかしら。どっちにしてもなにも持ってないの」
別にキズナのせいではないのだが、少しだけ怒ったような声になってしまった。
「報酬はね。《旅を楽しんだ想い》を少しいただくことさ」
「楽しんだ想い?」
よく理解できなかった。想いを支払うってどういうことかしら。
「さっき説明したとおりこの《マボロシの海》は、夢や願いといった強い想いが流れ着いて形となるところなんだ。それはこの空間で旅をする人にも同じことが言える。楽しんだという想いが強くなれば、それはこの空間では力を持った形となる。幻想旅行社ではそれを《
楽しんだ気持ちが報酬になる。そんなこともここではあるんだと不思議な気持ちになったし、キズナがいる幻想旅行社というツアー会社にも少しだけ興味が湧いていた。
「じゃあ、今何も持っていない私でもそのツアーに参加できるってことね」
「そういうことだね。必要なのは参加したい、この世界を楽しみたい、そういう気持ちだけさ。楽しむ気持ちがない人に参加されても僕らはただ働きになってしまうから」
「それならきっと私は資格十分だわ。だって、この世界で目覚めてほとんど経っていないのに、わくわくがあふれているんだもの。キズナがいう《星》にも是非行ってみたいって思っていたところだったんだから」
しぼんでいたわくわくが帰ってくる。旅への期待と元気にあふれてくるようだった。これから行く世界がどんな場所かわからないけれど、きっと楽しむことだったら私は最強だ。そんな確信があった。
そんな私の宣言を聞いたキズナが笑みを浮かべる。そして大仰な口調でこういった。
「それなら君は僕らのお客様だ。《マボロシの海》ツアーへようこそ! これから僕ら幻想旅行社が、あなたの楽しい旅を全力でサポートさせていただきます」
旅の始まりの予感が私を包んでいた。
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