旅の準備 第2話:幻想旅行社の誘い

「その旅、僕らに企画させてもらえないかな?」

「え? だ、だれ?」


 私は驚いて大きな声で呼びかける。

 このヘンテコな世界で目覚めた時にも、自分がろくに動けないのがわかったときにもここまで驚かなかったが、さすがにこれには驚いた。

 だって、さっきまで私の周りにはだれもいなかったはずなんだから。

 その声の主の姿は私の視界には見えていなかった。声の聞こえている方向から考えて、後ろか、上か。

 まあ、ぐるぐる回っている私にとって上下がどっちなのかはよくわからないけれど。


「僕がだれか? ああ、大事なところを省いてしまったか。少し不親切だったかもね。あらためて紹介しておくと、僕はこの《マボロシの海》でツアーガイドをしているものさ」

 相変わらずその声は視界の外から聞こえてくる。その声は、男の子の声のようだが、声の感じからはおそらくそれなりに若いだろう感じが伝わってくる。

 

「だれでもいいんだけど、……いやよくはないけど、まずは顔を見せてくれるとうれしいんだけどな。私今うまく動けないから、あなたの方を見ることができないんだけど」

「おっとそれは失礼。あなたはこの《マボロシの海》の動き方を知らなかったんだね。それじゃあ」


 その言葉とともに、顔の横をすうっと何かがよぎった気配がしたかと思うと、私の少し前、顔の正面辺りに人影が現れた。

「それじゃ、あらためて自己紹介を。僕の名前はキズナという。ここで旅行の企画提案とガイドをしている、幻想旅行社って会社のしがない一社員でツアーガイドさ。契約によっては以後よろしくってことになるかな」

 キズナと名乗った自称ツアーガイドは、口調の大人びた感じの印象とは違って、予想通り年の若い男の子のようだった。はっきり言うとかなり幼い見た目。

 生地の厚そうなコートを羽織り、丸くて短めのつばのついた濃いブラウンのキャスケット帽を深くかぶっていた。ひもの細い、でも造りのがっしりした大きめの肩掛け鞄を左肩から斜めに下げている。

 銀色の前髪は左目を隠すくらいに長く伸ばしている。見えている右目の眼光は鋭くて、正直あまり人当たりのよさそうな感じはしない。ツアーガイドってお客さんに愛想がよくないといけないんじゃないのかな、と初対面ながら心配になる感じの印象だった。


 とまあ、細かいところを見ると、いろいろと気になる点は多いけれど、そんなあれこれをすべて吹き飛ばすようなインパクトのあるポイントが二つ。

 その一、

「えとキズナくん? あなたなんか透き通ってない? 気のせいか、あなたを通して向こう側が見えるような……」

 これがまず気になったところ。

 キズナの体が妙に透き通って見えるのだ。

 体もそうだけど、服も透き通っている。

 しいていえば、キズナの存在全体が妙に曖昧で、ここに居るのに居ないようなそんな感じがしてしまう。

 とはいえ見えている以上、まったく透明というわけではなくて半透明という感じ。キズナの体を通した光が私の目に届いているようだった。この状態を例えて言うならば……


「ああ、僕の体はホログラフみたいなものだからね。正直なところ、今僕は君が見えている場所に実際居るわけじゃない。あくまで立体映像だと捉えてくれればいい」

「ああ、それでいきなり現れたのね。どう考えても、そんなところにさっきまではいなかったから不思議だったの」

「驚かせて悪かった。この空間を監視していたら興味深いことを言っている人間がいたから、このポイントに投影させてもらったんだ」

「なるほど。それで一つ謎は解けたけど、それよりも、私と、しては……」

 私は、笑いそうになるのを必死で食い止める。

 キズナが現れた時から一番気になっていたことがあった。

 突っ込みたくて仕方なかったのだけど、なんだかそんな空気でもないような、聞いたら悪いような、そんな気がしていたのだけれど、そろそろ……。

 私が笑いをこらえているのを、何か不思議に思ったのか、キズナが私の方をのぞき込んでくる。

「どうした? なにか体調でも悪いのか? それなら、僕が持ち合わせている薬を渡すことくらいは契約前でも出来るけど」

 そう言いながら、帽子をかぶり直し、右手を口元に持って行って真面目な顔をする。いかにも大人ぶったそのポーズに、そろそろまともに対応しようとしていた私にも限界が……。

 ああ、もうだめだこれ。

 というわけで、そして私的に超気になっていたポイントその二、

 

「ちっちゃい! そんな大人ぶってるのに、超ちっちゃい! なにそのギャップ、ずるいよ!」


 思わず私は吹き出してしまった。 だって今目の前で大人びた台詞で気取っているキズナ少年は、私よりも遙か小さくて、多分私の顔くらいの大きさしかなかったんだから。極端に言えば、手のひらサイズ、ぬいぐるみみたい。

「うそでしょ、かわいい! マスコットみたい」

「かわいいとか言うな!」

「いや、これはかわいいって言うしかないでしょ。かっこいい声で気取ってしゃべりかけてくるから、どんな人なのかなと思ったら、こんなちっちゃい子が来るなんて思わなかったんだもの!」

 さすがこの空間には不思議がいっぱいだ! と私は変なところで感心してしまった。

 ここに来てからと言うもの、楽しくて興味深いことばかりだ。なんて素晴らしいんだろう。


 見るとキズナは明らかに機嫌を損ねているのがわかった。それでも怒っていると言うよりは、すねているという感じなのが、またかわいい。

「あんまり、小さいとか言うなよ。これでもたぶんあんたよりは年上なんだからな」

「そんなわけ無いでしょ」

「だいたい、そんなこと言ってるあんただって、十分に子供だろうが。他人のこと言えた口かよ」

「またまた、そんなこと言ってえ。だって、私は……」


 と言ったところで気がついた。

 ……ん? そういえば、私って今何歳だっけ? というか、私ってどんな人なんだっけ。

 自分の思考の引っかかりをきっかけに、滝のように疑問が湧いてくる。

 そういえば、なんで私はこんな不思議なところにいるんだろう?

 いったい、ここはどこなんだろう?

 いつから、ここにいるんだろう?

 そうして考えた時にはじめて気がついた。

 今更と言えば、あまりにも今更。

 でも、気づけば疑問は星の数として湧いてくる。


 ――なんで私はこんなところに?

 ――私はどこからここに?

 ――私が居た場所って、どんな世界だった?

 わからない、わからない、何にも思い出せない。

 そして最後に一番重要な疑問。

 ――そもそも、私は、だれだっけ?


 びっくりするほど、何一つわからなかった。

 思い出せなかった。

 頭の中をどんなに探しても、なんの情報も出てきてくれなかった。

 ああ、こんな大事なことを何で考えなかったんだろう。

 ここに至るまで、まったく考えようともしなかった自分に笑ってしまいそうになる。

 私は、ようやくその単語に思い至って、おもわずほほえんでしまった。


 ――ああ、私はどうやら記憶喪失っていうやつらしい。

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